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ベトナムのハノイから:ボディータッチと法律、そして弁護士

ベトナムのハノイから:ボディータッチと法律、そして弁護士

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 木本 真理子

 

 はじめに

木本 真理子(きもと・まりこ)
 1999年3月、国際基督教大学教養学部卒。2005年10月、司法修習(58期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2007年10月、当事務所入所。2011年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2011年11月から2012年10月までハノイのLEADCO Legal Counsel出向。2012年11月からハノイのJICA(独立行政法人国際協力機構)法・司法制度改革支援プロジェクトで長期専門家として勤務。

 ベトナムのハノイに来て、1年半になる。弁護士として東京で5年勤務し、その後、ニューヨークのロースクールへの1年の留学を終えて、縁あってハノイのローカルの法律事務所に約1年間出向し、2012年11月からは独立行政法人国際協力機構(JICA)ベトナムの法・司法制度改革支援プロジェクトで弁護士の専門家としてベトナムの法整備支援の仕事をしている。

 ハノイに来た当初は、バイクに圧倒され、タクシーに騙され、午前5時から始まる公園のエアロビクス体操の音楽の騒音に苦しんだが、やがて、ベトナムの人たちと触れ合い、生活するなかで、当初想像していた以上にハノイに馴染み、この暮らしを楽しんでいる自分がいる。

 ベトナムと日本

 ベトナムは、日本との類似点が多い。地理的には、南北に長く、山地が多く、長い海岸線を持つ。ベトナム北部出身のベトナム人研修員を日本の千葉の田舎に連れて行くと、山並に夕陽が沈む様子はベトナムの故郷そっくりだという。文化的には、儒教的道徳観を有しており、大乗仏教が優勢で、漢字由来の言葉を持つ。先祖を大切にし、年上を敬う。また、顔もよく似ているし、稲作が盛んで米を食べる。そんなわけで、ベトナムには親近感を持ちやすいし、理屈抜きの懐かしさのようなものを覚える。

 また、ベトナム人は驚くほどに親日だ。タクシーに乗って、日本人だと聞くと途端に笑顔になって、「ンゴイニャッ ザッゾーイ!(日本人は素晴らしい!)」という(油断するとメーターが二倍速で回ってぼられることもあるが)。また、ベトナムに暮らす日本人女性ならば、必ず言われたことがあるであろうが、ベトナムでドラマ「おしん」が流行する以前から、ベトナム男性の夢として「中国の料理を食べ、日本人の妻を持ち、西洋式の家に住む」ということわざがあり、日本人女性が理想化されているところがある。

 ベトナムにおいて、日本は、太平洋戦争当時、日本軍占領下の北部ベトナムで大量餓死者を出したという重い歴史がある。しかし、日本製品の品質の高さや、ベトナムに対する官民による継続的な支援、そしてこれまでベトナムに関係した日本人が築いてくれた信頼のお蔭で、ベトナム人の日本に対する感情は概して良く、ベトナムにおいて日本人であるということはプラスに働くことが多い。

 このように、ベトナムには日本に類似する点が多くあり、かつ親日であるということが、日本人のベトナムにおける生活を非常に過ごしやすいものにしてくれていると思う。

 物の価値:自分の目で見極める

 そうはいっても、当たり前だがベトナムと日本との違いもたくさんある。

 まず、ベトナムでは、物の価値を自分で見極める必要がある。最近出店が目立つスーパーや百貨店、洗練されたお店を除いて、ベトナムの小売店舗では商品に値段がついていないことが多く、売主が提示してくる金額が相手によって変動する。これは、インフレやベトナムドンの貨幣価値が不安定なことから、物価が変動しやすく価格を固定化するのを嫌う傾向にあることが背景にある。だから、ベトナムでは、買主が物の価値を知り、物の質を見極める目を鍛えないと適正な金額で物を買えない。

出向していたベトナムのLEADCO法律事務所の同僚弁護士と道端でお茶を飲む

 例えば、出向していた法律事務所の同僚は、私の服をよく褒めてくれたが、その度に必ず「これいくら?」と聞いた。また、職場の同僚弁護士達を家に招いたときには、挨拶もそこそこに、まず「この家は何平米か。」と聞かれ、次に「この家の家賃は月いくらか。」と聞かれる。やってくるベトナム人同僚のほぼ全員がこの質問を繰り返す。また、焼き立てのフランスパンを売る店では、人々は売り物のパンをよく触って、香りと温度を確かめて、なるべく大きいパンをかごの底から選び出す。このように、ベトナム人は日々、物の価値を見極める力を鍛えるべく、躊躇することなく物の値段を聞き、価値を確かめる。そして、その鍛えられた目で、ベトナム人は玉石混交の売り物の中から価値あるものを選び出し、自分が適正と思う値段まで値切る。外国人にはなかなかこれができないから、ぼられる。特に、消費期限などの表示を信用して買うことに慣れてしまっている日本人は、なかなか太刀打ちできない。

 人と人との距離:手を握る、腕を組む、抱きしめる

 また、ベトナムでは、人と人との距離が近く、触れ合うことが多い。

 ベトナム人はボディータッチが多い。これには、女性男性の区別はない。女性同士、男性同士が手をつないだり、腕を組んで歩いていることもある。私は、宿泊していたホテルの受付の女の子が突然腕を組んできて、ドキドキしてしまったことがある。また、酒席では、何度も乾杯をし、盃を空ける度に握手をし、握手をしたまましばらくしゃべり続けたり、抱き合ったり、肩を組んだり、腕をクロスして酒を飲み合ったり、とにかく常に触れ合っている。日本でも数十年前まではそうだったのかもしれないが、その頃を知らない私にとっては新鮮である。セクハラのようで嫌ではないか、と日本人に気遣ってもらうこともあるが、どちらかというと、関西の親戚付き合いをしているような感覚である。

 また、ベトナム人は、相手の容姿やプライバシーについて、かなり踏み込んで直接的に意見を述べたり質問する。例えば、日本では聞きにくい結婚や子供のことについて、初対面であっても妙齢の女性に鋭い質問を投げかけてくる。また、少し太ると、すかさずベトナム人同僚から「太ったね。」と突っ込みが入る。気にしてくれるのはありがたいが、それなりにデリケートな私は「そんなに太ったかな」と真に受け傷つくこともある。このように、ベトナム人は、周囲の人と家族のように触れ合い、お互いの私的な事情に踏み込みながら生活し仕事をしている。フェイスブックの創業者のマーク・ザッカーバーグは、「人間とは、本能的につながりたい生き物なのです」と述べたが、ベトナム人はまさに本能的につながっている人々だと思う。

 ところで、2013年5月1日に施行されるベトナム新労働法では、国際労働機関(ILO)のアドバイザーが入って、初めて雇用者によるセクシャル・ハラスメント行為が禁止された。しかし、セクシャル・ハラスメントの定義や、これを予防する対策等は全く規定されていない。これらは今後、下位規範に規定されることになるのだろうが、このボディータッチとプライバシー共有型の文化において、何が「嫌がらせ」になるのかをどのように判断していくのかというのは難しい問題である。法律を作るだけに終わらせず、職場で嫌がらせに苦しむ人を実際に減らす効果が生まれるように規定していく必要がある。

 法が適用され、遵守されるために

 セクシャル・ハラスメント禁止規定の実効性について書いたが、ベトナムでは、法律があってもそれが実際に適用されなかったり、遵守されなかったりするという問題がある。

 ベトナムでは、ドイモイ政策後の経済発展に伴い、急速に立法が行われたことや、各立法の起草を担当する省庁間の横の連携がうまくいっていないことなどから、法令が不明確であったり、他の法令との矛盾があったりすることが多い。

 また、法は、ある行為を命令、許可、規制することによって、行為の規範となる(行為規範性)。そして、法が、法以外の宗教的、慣習的、倫理的、道徳的なルールと異なるのは、これを強制できるというところにある(裁判規範性)。しかし、ベトナムの場合、「こうあるべきだ」という行為規範を規定するに留まり、その規範をどのように強制的に適用し、遵守させるか、というところまで目が向いていないことが多い。また、ある法令が、当事者に選択の余地なく適用されるべき強行法規なのか、当事者が合意していれば合意したルールを優先し、合意がなかったと認められる場合にのみ適用される任意法規なのかが明らかになっていないことも多い。

 私がハノイの法律事務所に出向していたときも、ある法律の規定の適用を合意で排除できるのか、つまり、任意法規か強行法規かということでベトナム人弁護士と話し合っても判断に迷うことが多くあった。迷ったときに依拠すべき教科書や解説本はベトナムにはほぼ皆無であり、また判例も原則として公開されていないため、事務所に蓄積された先例や、担当の行政機関に非公式に照会するなどの方法で情報をできる限り集めて、ベトナム人弁護士と議論を重ねてアドバイスするほかない。

 このような法令の不明確性、法令間の齟齬を解消するために、私が昨年11月から専門家として勤務しているJICAベトナムの法・司法制度改革支援プロジェクトでは、15年以上にわたり、法整備支援活動を続けている。プロジェクトでは、日本から派遣された裁判官・検察官出身者・弁護士が、これまで、民法、民事訴訟法を始めとした様々な法令の起草支援活動や裁判と法執行実務改善のための支援活動を行っているが、弁護士である私にとっては、2009年に設立されたばかりのベトナム弁護士連合会の活動支援も重要な活動の1つである。

ベトナム弁護士連合会が主催し、JICAが支援した弁護士法改正の普及セミナーの様子 テーブル中央はベトナム弁護士連合会のトゥック・アイン会長

 ベトナムでは、まだ弁護士の地位が低く、弁護士業だけではなかなか暮らしていけないという厳しい現状がある。また、地方では、弁護士過疎が深刻で、きちんとトレーニングを積んだ弁護士へのアクセスが難しい。如何に素晴らしい法律ができても、裁判制度が整っても、当事者に法律の適用についてアドバイスし、裁判において当事者を適切に代理する弁護士がいなければ法の適正かつ迅速な適用と執行は実現できない。

 今年は、弁護士法の改正が施行され、ベトナム弁護士連合会に一定の自治権が認められるようになる。ベトナム弁護士連合会の組織と地位が強化されることによって、ベトナムの弁護士がベトナム全国各地で活躍し、それによって、市民や団体に適切に法が適用されることになるように、微力ながら努力していきたい。

 木本 真理子(きもと・まりこ)
 1999年3月、国際基督教大学教養学部卒。2005年10月、司法修習(58期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2005年10月からポールヘイスティングス法律事務所・外国法共同事業勤務。2006年12月から2007年4月まで外資系金融機関に出向。2007年10月、当事務所入所。2011年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2011年11月から2012年10月までハノイのLEADCO Legal Counsel出向。2012年11月からハノイのJICA(独立行政法人国際協力機構)法・司法制度改革支援プロジェクトで長期専門家として勤務。
 論文に「法律上の原因なく代替性のある物を利得した受益者が利得物を第三者に売却処分した場合に負う不当利得返還義務の内容」(民事研修No. 628、2009年8月号)(共著)、「譲渡禁止特約に反して債権を譲渡した債権者がその債権の譲渡の無効を主張することの可否」(「ビジネス法務」 2010年7月号)がある。