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字を書かなくなった弁護士、改めて文字を習う

字を書かなくなった弁護士が字を書くことについて考えてみた


アンダーソン・毛利・友常法律事務所
 弁護士 長戸 夏恵

長戸夏恵弁護士長戸 夏恵(ながと・なつえ)
 2000年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2002年10月、司法修習(55期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、現事務所入所。2013年1月、現事務所スペシャル・カウンセル就任。

 弁護士になり、アンダーソン・毛利・友常法律事務所で勤務を始めてから10年が経った。私が入所したころ、シニアの弁護士からは、「依頼者とメールでやり取りができるようになってから、仕事のテンポが格段に速くなった(なってしまった・・)」と言われた。

 確かに、私が入所した頃は、相談案件がある都度、クライアントの担当者と直接会って会議をしたり、少なくとも電話会議で話をするというのが当たり前であったように思うが、最近は、相談頂く場合でも、メールのやり取りだけで一つの案件が終わるということも少なからずあるように思う。専門とする分野によっても違うかもしれないが、私が専門としている労働分野は、例えば問題社員への対応一つにしても、様々な角度からの情報を踏まえたうえで対応を検討する必要がある場合が多く、必然的にクライアントとのやり取りが多くなるので、他の分野に比べると、クライアントと会議で直接顔を合わせたり電話で話をしたりする機会は、まだ多い方かも知れない。

 他方、自宅から事務所のメールアカウントへのリモートアクセスも容易となり、さらにブラックベリーやiPhoneまで支給されるようになったおかげで、事務所から離れていても、いつでもどこでも簡単に仕事ができるようになった。入所当初は、夏休み・お正月休みといえば、国内にいても携帯電話でのみ連絡が可能、海外に行く場合には電話すらつながるかわからないといった状況で、夏休み中は、まさに「休んだ!!」という気がした。ところが、最近は、海外にいてもメールも携帯もつながるようになった。それが弁護士個人にとって良いか悪いかはさておき、クライアント企業のニーズに迅速に間断なく対応するためには必要な変化ということだろう。

 消えた「鉛筆だこ」

 さて、このようなメールやノートパソコンの普及により、私が弁護士として勤務を開始してから、何かを手書きするという機会も激減してしまった。

 司法試験の受験生だったときには、論文試験の答案の練習、また、研修所に入ってからも、弁護士として訴状や準備書面を作成する練習、検察官として起訴状を書く練習、裁判官として判決書を書く練習のどれも、原稿用紙に手書きであったため、とにかく、ペンを持って手で書くということが、生活の一部になっていたように思う。

 ところが、実際に弁護士になってからは、準備書面や意見書などの作成は全てパソコンで行い、クライアントとのやり取りもメールが中心であるため、何かを手で書くという機会がほとんどない。小学校の時以来、私の右手の中指には「鉛筆だこ」ができていて、弁護士になるまでずっとそこにあったわけだが、弁護士になってから10年。きれいになくなってしまった。

 筆跡鑑定はどうなる?

 とは言え、弁護士になってからも、最初の何年かは、クライアントから契約書などのレビューを依頼される場合に、文書がファクスで送られてきて、それに手書きでコメントを入れ、またファクスでお返しするということがあった。そのようなとき、手書きでのコメントは、字が下手な私にとっては緊張を強いられるもので、何度も何度も書き直した(当時は、「消せるボールペン」もなかったので、机の上を消しゴムの屑で一杯にしながら)。ときには字が綺麗な秘書さんに書き直してもらってからクライアントに出したこともあった。

 しかし、最近は、文書をハードコピーでやり取りするという機会もほとんどなくなってしまった。また、プライベートでも、年に一度の年賀状でさえ、今では印刷で全てが済んでしまい、一人に一言添える程度である。そのため、仕事の場でも、私生活でも、肉筆で字を書く機会は格段に減った。

 これは、弁護士に限らず、読者の皆さんも同じではないだろうか。以前は、親しい人たちは、その人が書く字がどういう字かもわかっていたが、今では、職場で多くの時間を一緒に過ごす同僚の字でさえ、あまり見たことがない。話は少し逸れるが、筆跡によって書いた人物を判定する筆跡鑑定という方法がある。筆跡鑑定の確実性などについては、刑事裁判でも民事裁判でも争われることがあるが、そもそも皆が字を書かなくなってしまったら、筆跡鑑定が登場する場面もなくなってしまうのか?!と思ったりなどする。

 小学生の子供と一緒に習う

 というわけで、ここ数年間、字を真面目に書く経験から遠ざかっており、たまに書く必要があるときには漢字が出てこないという恥ずかしい思いをしていたが、昨年、上の子供が小学校に入学したのを機に、また、日本語の読み書きを一から勉強する機会を得ている。

 平日の帰宅後は、子供たちに食事をさせ、歯を磨かせ、お風呂に入れ、寝かしつけるという最低限の工程をこなすのに手一杯で、子供の宿題をゆっくり見てあげられる時間がほとんどない。子供も、良いか悪いか親があてにならないのを知っているため、親がサインをするための、宿題プリントの確認欄にも、親の代わりに自分でサインをしてくれている。

 しかし、多少時間のある休日に子供の宿題を見ていると、1年生の最初はひらがなとカタカナから始まり、2年生になった今では、なかなか難しい漢字も習っている。途中、「あれ、その書き順は違うんじゃない?」「あれ、その『、』の場所は、もっと上なんじゃない?」などと口を出してみるが、子供が「あってるよ!」と主張し、漢字学習帳を持ってきて一緒に確認をすると、「ほら、やっぱりママが間違えてる!」ということが結構ある。自信喪失である。今では、おかしいと思ったら、まず、私が自分で子供の漢字学習帳をこっそり確認してから、指摘するようになった。また、ここは長い、ここは短い、ここは払う、ここは止めるという、字の基本的な形についても、子供に聞かれても返事に詰まってしまうことが多く、子供と二人で国語の教科書を見ながら、「こっちの線の方が長いんだね。」「この線はまっすぐではなくて、少し上に上がるんだね。」などと、私も子供と一緒に一から勉強し直している。ひらがな、カタカナ、漢字と3種類の異なる文字を組み合わせる日本語、なんて奥深く高度なのだろう。

 そんな子供が最近、近所の書道教室を見つけてきて、「お習字ならいたい!」と言い出した。見学に行くと、90歳近いおばあちゃん先生。こちらの連絡先をお伝えするのも、もちろん、携帯電話の赤外線通信ではない。先生が新聞の折り込みチラシの裏を利用して作ったお手製のメモ帳に、先生の視線に少し緊張しながら、久しぶりに名前と電話番号を手書きした。

 機会は減ってしまったが、字が下手な私でも数少ない手書きの機会を楽しめるよう、子供と一緒に字を習ってみるのも悪くないかと考えている。

 長戸 夏恵(ながと・なつえ)
 2000年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2002年10月、司法修習(55期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、現事務所入所。2013年1月、現事務所スペシャル・カウンセル就任。
 共著に「The Littler Mendelson Guide to International Employment and Labor Law」 (Japan Chapter) (Lexis Nexis 2008年)、「女性雇用実務の手引き」(新日本法規 2008年)、「要件事実体系 一般民事編」労働法分野(第一法規出版 法情報総合データベースサービス「D1-Law.com」内)がある。論文に「相談室Q&A(競業避止規程を定める場合、労働者への代償措置はどの程度必要か)」(労政時報2012年1月号 No. 3814)がある。