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インドのすゝめ 〜 変化を続ける大国の今

山田 貴彦

インドはいかがですか?

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 山田貴彦

 はじめに

山田 貴彦(やまだ・たかひこ)
 2004年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2009年7月から2012年2月まで金融庁総務企画局市場課に出向。2012年3月、当事務所復帰。2013年3月からインド・ムンバイ及びニューデリーのKhaitan & Co法律事務所にて研修中。

 朝7時、誰かがドアをノックする音で目を覚ます。もう少し寝ていたいから聞こえないふりをする。しばらくすると音がやんだ。ホッとしたのも束の間、今度は鍵を開けようとする音が聞こえる。もう少し寝ていたいから聞こえないふりをする。いや、私もそこまで無頓着ではない。急いで起き上がり、鍵を開けられるよりも先にドアノブに手を掛けようとしたが、間に合わなかった。ゆっくりとドアが開いた。

 私は今、インドの法律事務所に勤務している。昨年、金融庁での勤務経験をこの「企業法務の窓辺」に書かせて頂いたが、その一年後に、インドでの勤務経験を書かせて頂くことになるとは、思ってもみなかった。

 ご存知のとおり、インドには多くの日系企業が進出している。近年、経済成長は減速気味だが、将来的には中国を上回るその人口が生み出す市場としての魅力、外資規制の継続的な緩和への期待から、日本を含む海外企業にとって、様々なビジネスチャンスがあると言われている。例えば、インドでは、道路、鉄道、空港、港湾、電気、水道、通信等のインフラ整備が十分ではない。今後の更なる経済成長のためには、これらのインフラ整備が重要課題の一つと考えられており、インド政府は、2012年4月から2017年3月までの5年間で、1兆ドル規模のインフラ投資を計画している(第12次5ヵ年計画)。日本でも、安倍政権の成長戦略(日本再興戦略)において、「海外市場獲得のための成長的取組」として、「日本の『強みのある技術・ノウハウ』を最大限に活かして、2020年に『インフラシステム輸出戦略』で掲げた約30兆円のインフラシステムの受注目標を達成する。」とあり、インドは、日本が誇るインフラシステムの輸出先として大いに期待される。

 私は、インドでビジネスを行う日系企業や、インドへの進出を考える日系企業のために、主に、日本法及びインド法上の論点の指摘、現地法律事務所とのコミュニケーションのサポート、現地法律事務所によるリサーチやデュー・ディリジェンスの舵取り等をしているわけである。

 インドに対するイメージ

オフィスの外観
 皆さんは、インドに対してどのようなイメージをお持ちだろうか。一言で表すなら「カレー」、「暑い」、「新興国」、「BRICs(BRICS)」等々、いろいろ挙げられると思うが、過酷なイメージをお持ちの方が多いのではないかと思う。

 どういうわけか、インドというと過酷なイメージが前面(全面?)に出されがちである。インドに関するブログ等を見ると、まず苦労話が目につくし、インドの法律事務所に勤務することが決まった時も、やはり過酷なイメージのためか、多くの方々に心配して頂き、「先生、大丈夫なの?」、「生きて帰って来いよ。」、「必ずお腹を壊すから覚悟した方がいいよ。」、「毎日カレーだと大変だね。」等々、(中には人ごとだと思って面白がっていた方もいらっしゃったが、)温かい言葉をかけて頂いた。ちなみに、海外勤務に付き物の「羨ましい」という言葉は一切なかった。

 私自身は、インドと聞いて、「まあ何とかなるだろう。」と高を括り、早速タージ・マハルやガンジス川を検索してのんきに構えていたのだが、実際にインドでの生活が始まると、なるほど、多くの方々のイメージどおり過酷だということを思い知らされた。

街中に佇むタクシーたち
 例えば、私は、毎日片道40分ほどかけて徒歩で通勤しているのだが、インドのドライバーは歩行者に厳しい。多くのドライバーが、けたたましくホーン(クラクション)を鳴らしながら歩行者の列に突っ込んでくるため、轢かれそうになることは日常茶飯事である。特に、通勤時間帯と帰宅時間帯は、先を急ごうとするドライバーたちで殺気立っており、かなりのスピードを出しているため、気を緩めて歩いていると怪我では済まされそうにない。どうやらインドでは「(歩行者ではなく)自動車が優先」らしい。そうかと言って、タクシーに乗れば安全かと言えば、決してそういうわけでもない。不当な料金請求もさることながら、ドライバーたちが我先にと強引な追越しや割込みを繰り返し、多少接触しても素知らぬ顔で運転を続けるため、慣れるまでは生きた心地がしない(余談だが、インドでは、未だに1950年代のイギリス車(モーリス・オックスフォード・シリーズIII)や1960年代のイタリア車(フィアット・1100D)をベースにしたタクシーが現役で頑張っている。クラシックカー然としたその佇まいは、自動車好きの私には非常に魅力的で、しかもそれがカーチェイスの如く走り回るので、映画「ミニミニ大作戦」のようで見ている分には楽しい。)。

 路上の緊張感に加えて、インドでは、茹だる様な暑さと激しい砂埃(そしてよく分からない臭い)が容赦なく襲ってくる。「健康のために徒歩で通勤しよう。」と考えて実行しているのだが、逆に不健康になりそうだ。さらに、6月上旬以降は、モンスーンによる土砂降りの雨まで襲ってくるにようになった。インドを完全に甘く見ていた私は、当然傘など持ち合わせていなかったため、やむなく傘を購入し、「これでどうだ。」と強気になったのも束の間、その日のうちに盗難され、結局ずぶ濡れで帰宅したのは良い思い出である。

 また、日本であれば、食事の時間は気持ちも和らぎ、気分転換になるはずだが、インドでは、必ずしもそうではない。興味本位で見慣れない料理を注文してあまりに辛くて食べられないこともあれば、野菜に付いた水滴やジュースに入った氷でお腹を壊すこともあり(ミネラルウォーターで製氷された氷でないと、しばしばこういう事態に陥る。冷たい飲み物を注文する際は、氷抜きで注文するのが無難である。)、時に細心の注意を払いながら、時に運命に身を委ねながら、毎回食事をとらなければならないのである。場合によっては、食事の後まで「あの料理は大丈夫だったかな?」と心配させられることがあり、とても落ち着いてはいられない。こうなってくると、もはや仕事をしている方が気分転換である(もっとも、しばらくして、レストランやカフェで食事をすればこのような事態は避けられることを知った。)。

 過酷なのは外ばかりではない。疲れて帰宅すると、誰もが嫌がる黒いやつがササっと目の前を横切り、私に精神的なダメージを与える。建付けの悪い窓から進入してくる虫たちが、私の安眠を妨害しようとする。時には呼んでもいないのに蚊まで応戦してくる始末である。朝まで図々しく長居しようとする彼らに対して、こちらも殺虫剤等で対抗しようと試みるのだが、その努力も空しく、何度熟睡できない夜を過ごしただろうか。

 そのほかにも、シャワーを浴びようとしても水しか出ない(時には水すら出てこない。)、クリーニングに出した衣類が「洗剤にまでスパイスを入れているのでは?」という色に変化して戻ってくる等々、これ以上書くとネガティブ・キャンペーンになってしまいそうなので控えるが、過酷なエピソードは枚挙に暇が無い。

 このような状況に最初は面食らったのだが、雰囲気に騙されたのか、あるいは暑さで麻痺したのか、過酷な印象は次第に薄れていった。同時に、色々なことを感じ取る余裕も出てきた。

 実際のインドを知る

 インドに対して過酷なイメージを持つことは、間違いではない。ただ、実際のインドに触れるにつれて、過酷だからこそ得られるものがあることや、過酷なインドが次第に過去のものとなりつつあることを知った。

 例えば、インドには、(少なくとも今日の)日本では見ることのできない風景がある。バラックや木の下で生活する家族、道端で寄り添いながら野菜を売る老夫婦、集めた小枝で鍋の火を焚く女性、裸のまま無邪気に走り回る子供たち、牛、鶏、野良犬も共生している。毎年、ちょうどこの記事が掲載される頃になると、私は「火垂るの墓」を観るようにしているのだが(祖父母の世代が生き抜いた時代を後世に伝えるものとして、大変優れていると思う。)、物語の終盤、「節子」の終の棲家となる防空壕での貧しい生活と、私が通勤の度に目の当たりにするこれらの風景は、重なって見える。「日本にもこういう風景が広がる時代があったのだろうか。」などと考えながら、こうした風景の中を歩いていると、まるで貧しかった頃の日本にタイムスリップしたような気分になる。こういう体験は初めてだった。

 また、インドは、現代の日本を基準に考えれば不便な部分が多く、何でも簡単に手に入る環境にはない。もちろん日本のコンビニエンスストアのようなお店はないため、夜、ちょっと喉が渇いたとしても、朝まで我慢するしかない。ただ、その分欲しいものが手に入った時の喜びは大きい。それに多少なりとも我慢や苦労を強いられているためか、些細なことでも幸せを感じられるようになった気がする。インドのおかげで、恵まれていることがいかに幸せなことなのか気づかされた。

 一方で、インドがいつまでも過酷な国ではないことは、実際に来て頂ければすぐに分かる。辺りを見回せば、必ずどこかでビルやマンションの建設工事が行われている。冒頭、インフラ整備について若干触れたが、都市によっては、高速道路や地下鉄があり、モノレールの建設工事も行われている。ムンバイとアーメダバードを結ぶ高速鉄道計画はご存知の方もいらっしゃるかもしれない。数字の上では緩やかになった経済成長も、現実を見る限り、全く勢いを失っていないように感じられる。戦後、高度経済成長期におけるインフラ整備が、現代の日本の発展につながったことを考えると、今後のインフラ整備を経て、インドがどのように発展していくのか楽しみである。

日本と変わらないショッピングモール
 そのほかにも、近代的な高層ビル、高層マンション、外資系の高級ホテルが立ち並ぶ風景や、恰幅の良い、見るからに裕福そうな人々が、高級車(ロールス・ロイス、ベントレー、フェラーリ、ランボルギーニ等々)から降り立って、豪華なエントランスの中へと消えていく姿を見ることもできる。特に驚かされたのは、洗練されたショッピングモールの存在で、高級ブランドが立ち並び、ピアノの生演奏が行われ、最新のハリウッド映画が上映されるシネコンまで併設されていた。

 また、食事は毎回カレーを覚悟していたのだが、実は、ファストフード(マクドナルド、KFC、サブウェイ等々)、カフェ(スターバックス、ハーゲンダッツ等々)、レストラン(イタリアン、フレンチ、中華、和食等々)が数多く存在することを知って歓喜した。

 このように、現代のインドでは、日本と変わらない生活ができる環境が整いつつあるようだ。

 既に発展した日本で生活していると、現代の豊かな日本は、我々の世代が築き上げたものではなく、我々よりも前の世代の努力と苦労によって築き上げられたものであるということを忘れてしまいそうになるが、発展の最中にあるインドで生活してみて、こういう過去から現代への連続性といったものをあらためて認識することができた。毎日を一生懸命に生きているインドの人々を見ていると、日本がそうであったように、おそらくインドも、このまま発展を続け、いずれは現代の日本のような先進国になっていくのだろう。それが何年先の話になるのかは分からないが、その頃には、私の目の前に広がる過酷な風景は無くなっていると思う。発展の最中にあるインドに呼ばれ、過酷な風景を体験することができた私は、幸運だったのかもしれない。

 おわりに

 週末に近所を散歩していると、クリケットやサッカーをしている少年たちをよく見かける。辺りが薄暗くなっても、埃まみれになっても、気にせず夢中で遊んでいる。そんな彼らを見ていると、自分の少年時代が懐かしく思い出されると同時に、日々の苦労が報われるような気持ちになれる。私のクライアントは日系企業だが、私の仕事が、日本だけではなく、インドの発展にも(間接的かつ微力ながら)貢献できているとすれば、それは目の前で無邪気に駆け回っている少年たちの将来の幸せにも貢献できていることになるのではないか。驕った考え方かもしれないが、もしそうであるとすれば、望外の喜びであるし、渉外弁護士の冥利に尽きるというものだ。

 ここまで読んで頂けたのなら、多少はインドに興味を持って頂けたのではないだろうか。過酷なインドを体験できるのは、今のうちだけである。これから休暇を取ろうという方、ビザと胃薬を持って、是非ともインド旅行を計画してみてはいかがだろうか。欧米や他の新興国とは違った何かを得られる旅行になるだろう。

 ドアの向こうからやってきたもの

 アパートを管理するインド人だった。(現地の言葉なのでよく分からないが)朝食を持ってきたから食べろと言っている気がした。

 初めて目にするその料理は、かなり辛かったが、美味しかった。

 山田 貴彦(やまだ・たかひこ)
 2004年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2009年7月から2012年2月まで金融庁総務企画局市場課に出向。2012年3月、当事務所復帰。2013年3月からインド・ムンバイ及びニューデリーのKhaitan & Co法律事務所にて研修中。
 著書に「逐条解説 2011年 金融商品取引法改正」(商事法務、2011年11月)、「逐条解説 投資法人法」(金融財政事情研究会、2012年8月)がある。これまでにAJに掲載された論考に「法律事務所から金融庁に出向して得られたもの」「被災者や被害者のために 一人の人としてできること」がある。