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技術情報流出への対応策としての競業避止義務の活用

大賀 朋貴

 退職した従業員による技術情報の持ち出しをどう防ぐか、が企業にとって喫緊の課題となっている。その法的対応策の柱のひとつとなるとされるのが、退職者がライバル企業に就職をしないことなどを義務付ける競業避止義務規定だ。大賀朋貴弁護士が、その利点と限界について詳細に論じる。

 

技術情報流出への対応策としての競業避止義務の活用

西村あさひ法律事務所 弁護士
大賀 朋貴

大賀 朋貴(おおが・ともき)
 2003年中央大学法学部卒業。2006年弁護士登録。不正調査、当局対応を始めとする危機管理・企業不祥事案件、労使間の紛争を中心とした労務案件などに従事。

はじめに

 企業間における技術提携や共同開発が活発となり、また人材の流動化が進み、高い技術力を持った人材が特定のプロジェクト単位で雇われるなど雇用形態も変容を見せる中で、近年、退職者等による人為的な技術情報の流出が社会的な問題となっている。昨年4月には、新日本製鉄が元従業員により自社の高性能鉄板の製造技術が不正に韓国の鉄鋼メーカーであるポスコへ流出したとして東京地裁へ提訴するなど、技術情報の流出に関して法廷闘争に発展する事案も増えている。企業においては、技術情報の持ち出し経路を物理的に制限し、或いは、製造・開発プロセスの全体像を把握する技術者を極力限定し、特定のプロセスに従事している技術者がライバル企業に引き抜かれても技術の全容を把握出来ないようにするなど退職者等から技術情報が流出しないように様々な対応策をとっている。しかしながら、幾ら厳格な管理をしても、悪意のある内部者により情報が持ち出されることを物理的に完全に防止することはできない。そのため、企業としては、技術情報流出への対応策として、物理的な対応策と併せて、法的な対応策を講じることも検討すべきである。本稿では、かかる法的な対応策のうち、競業避止義務の活用とその限界について論じる。

技術情報流出への対応策としての競業避止義務の利点

 技術情報流出への対応策としては、まず流出することを避けたい情報を不正競争防止法上の「営業秘密」とすることが考えられる。「営業秘密」に当たれば、退職者等や流出先の企業等に対し、流出した情報の廃棄や、その使用の差止めを求めたり、「営業秘密」の侵害によって生じた損害の賠償を請求することができる。また、特に違法性の高い侵害行為については、刑事罰が設けられており、流出に対する抑止効果も高い。しかし、「営業秘密」として法的な保護を受けるためには、(1)当該情報が公になっていないこと(非公知性)だけではなく、(2)事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であること(有用性)及び(3)秘密として管理されていること(秘密管理性)が必要である。そのため、企業が秘密としておきたいと考える情報やノウハウであっても、「営業秘密」としての法的保護を受けることができないものも生じてしまう。また、廃棄や使用の差止め或いは損害賠償を請求するためには、「営業秘密」の「取得」や「使用」、「開示」などの行為を立証する必要があるが、その立証は必ずしも容易ではないという問題もある(デジタルフォレンジック技術を活用することで、流出した情報の軌跡を追跡できるようにしておくことや、いわゆる電子透かしなどを用いることで、流出先に存在する情報と自社の技術情報の同一性の確認を容易にすることなども可能ではあるが、技術上の限界がある。)。また、そもそも、流出した技術情報がライバル企業等の内部でのみ使用される場合には、仮に、企業が技術情報の流出に気付くことができた場合であっても、ライバル企業における「取得」や「使用」、「開示」の解明にまでは至らないことも少なくない。これに対して、退職者に対し就業規則の定めや個別の合意により秘密保持義務を負わせる場合には、「営業秘密」としての法的保護を受けることができない情報やノウハウをも義務の対象とすることができるが、法的措置を取るに当たって、義務に違反して、使用や開示がなされたことの立証が必要となることには変わりはない。

 自社の技術情報が流出することを防止する方法としては、このように情報の使用を直接禁止するもののほかに、退職者に対し、ライバル企業に就職をしないことなどを内容とするいわゆる競業避止義務を負わせるという方法もある。競業避止義務の違反行為に対しては、刑事罰こそないものの、損害賠償の請求だけでなく差止めもなし得る。このような競業避止義務を負わせる利点は、ライバル企業への就職など義務違反を外形的に判断できる点にある。「取得」や「使用」、「開示」など相手先内部での動きを立証する必要がある「営業秘密」や秘密保持義務と比べて、義務違反の把握、立証が容易なのである。

 このように技術情報流出への対応策として競業避止義務を負わせる契約を活用することの可能性に注目して、経済産業省においても、競業避止義務の活用実態や有効性などについての調査分析が行われ、本年3月には「人材を通じた技術流出に関する調査研究報告書」が公表されている。

競業避止義務の利用状況

 以上のとおり、競業避止義務には利点があるが、多くの企業において積極的に利用されているとは言い難い。上記の「人材を通じた技術流出に関する調査研究報告書」によれば、退職後に係る秘密保持契約については、役員に対し34.8%、従業員に対し48.2%の企業が導入していると回答しているのに対し、競業避止義務については、役員に対し12.7%、従業員に対し14.3%の企業が導入しているにとどまる。同調査によれば、競業避止義務を導入しない理由の第一は、「特に理由はない」(47.3%)であるが、これに続くものとして、「退職した役員・従業員の行動の把握が困難なため」(24.6%)、「契約の効果が不明瞭なため」(23.9%)が続く。

 役員、従業員の再就職先等の行動把握については、競業避止義務とともに再就職先の報告義務を負わせることが考えられるが、そもそも義務違反が把握できた場合にのみ法的措置を取ることであっても、技術情報流出に対する抑止効果がある。そのため、役員、従業員の再就職先等の行動把握が困難なことは競業避止義務を導入しない大きな理由になり難いと考えられる。むしろ、競業避止義務が積極的に利用されていないことの大きな理由は、その有効性を含め効果が不明瞭であり、導入することに魅力を感じないという点にあるのではないかと思われる。筆者は、競業避止義務違反を主張する企業、主張される退職者のどちらの立場の代理人を務めることもあるが、たしかに、競業避止義務の有効性や効果の及ぶ範囲に疑義があり、退職者側の代理人である方が戦い易いことが多いように思われる。

 もっとも、それは、競業避止義務を締結することにより、どのような情報、ノウハウを守りたいのかを具体的に詰めることなく、また法的に実効性のある効果を発揮することができるように厳密な検討を行うことなく、「ライバル企業に転職すると、不味いことになりそうだ。」という役員、従業員への心理的抑制効果に期待して、競業避止義務を形式的に負わせている事案が多いためであると考えられる。義務を負わせる目的が具体的であり、法的に実効性のある効果を発揮するようにしっかりと検討された競業避止義務であれば、技術情報流出への対応策として十分活用することができる。そこで、次項では、競業避止義務を活用するためのポイントについて説明する。

競業避止義務を活用するためのポイント

 1 義務を有効とするためのポイント

 役員、従業員は、企業に在職している間は、競業避止義務を負うが、退職後については、当然には競業避止義務を負わないと解されている。在職中に身につけた一般的な技術やノウハウ、人脈などは、本来的には、退職者が自由に利用できるものであり、再就職先で、「営業秘密」とならない程度の情報を利用したり、退職前の取引先との人間関係を利用したりすることなどは妨げられるべきものではないためである(注1)

 競業避止義務は、このように本来退職者に許される行為を禁止するために、競業という範囲ではあるものの、憲法上の権利(職業選択の自由)を制限するものであることから、これが有効であるためには、企業にとって当該退職者による競業を制限する必要性があり、かつ、制限が必要最小限度にとどまることが必要であるとされる。裁判例においては、競業避止義務の有効性を判断するために、大凡、(1)退職者の地位、職務内容、(2)企業の情報、ノウハウ等を守るために、競業避止義務を課す必要性の有無、程度、(3)競業行為が禁止される範囲、内容、期間、(4)競業を禁止することに対する代償措置の有無、内容などの事情が総合考慮されている。以下、この(1)~(4)に関して、これまでの裁判例を踏まえた考察を試みることにしたい。

 技術情報流出への対応策としての競業避止義務については、上記の(2)に当たる「守ろうとする情報、ノウハウは何であるか。当該情報等は、なぜ企業にとって重要であるのか。」を具体的に詰めることが最も重要である。(2)自社独自の情報等で、かつ有用性の高いものがあり、それがライバル企業に流出することで、企業に重大な損害が生じるのであれば、(1)当該情報等を知悉した従業員に対し、(3)当該情報を利用した業務へ従事することを、1~2年程度禁止することも、(4)当該従業員を相応の賃金で処遇している限り、特別の代償措置を講じることをせずとも、有効とされる可能性が高いと思われる。実際に、裁判例において、(2)めっき加工及び金属表面処理加工についての法的保護に値する独自の技術を有する企業において、(1)当該技術を用いて製品を製造する部署に所属する主任クラスの従業員に対する(3)退職後1年間、「硬質クロムめっき・・・などの各種めっき加工及び金属表面処理を施した製品の製造販売業務に従事してはならない」との内容の競業避止義務が、(4)(明示的な代償措置はないものの)700万円弱の年収が低賃金とは言い難い待遇であるとして、有効であるとされている(注2)

 ただし、(2)守ろうとする情報等の独自性については高度のものが必要であり、他の企業において勤務していた場合にも修得できる一般的な情報等では足りない。裁判例においては、例えば、治験のモニタリング業務という専門性が高い業務に従事していた元従業員に対して、1年間の競業避止義務を負わせた事案において、治験のモニタリング手続は法令により定まっており、独自のノウハウといえる程のものは認められないとして無効としたものがある(注3)

 また、(1)退職者の地位や職務内容については、情報等の流出を防止するために競業を禁止することが必要か否かが問題となるため、形式的な役職や職務分掌の内容ではなく、実際に、守るべき情報等に接していたか、その内容を把握しているかなどが問題となる。

 (3)禁止の態様については、上記のように、「硬質クロムめっき・・・などの各種めっき加工及び金属表面処理を施した製品の製造販売業務に従事してはならない」などと禁止する業務の内容を特定することが望ましいが、企業が自らの利益を保護するために事前に過不足ない競業避止義務を設定することは困難であることから、「退職後1年間は会社の許可なく会社と競業する業務を行ってはならない」といったある程度包括的な義務内容であっても有効とする裁判例も見受けられる(注4)。禁止期間については、(2)守るべき自社独自かつ有用性の高い情報等があり、(1)その流出を防止するために、当該従業員に競業避止義務を負わせる必要性があるのであれば、1~2年程度の競業禁止期間は認められる可能性が高いと思われる(週1日勤務のアルバイト講師であった退職者に対して3年間の競業避止義務を負わせた事案において、指導方法及び指導内容等のノウハウが、当該企業において長期間にわたって確立された独自かつ有用性の高いものであるなどとして、その有効性を認めた裁判例もある(注5)。)。なお、技術情報流出への対応策としての競業避止義務においては、基本的に、地域的な制限は意味をなさないため、地域的な制限は不要であると考えられる(注6)

 (4)どの程度の代償措置があれば十分であるかについては、「競業避止期間中、退職者が生活に困らないか否か」を一つの目安とする裁判例が散見される。上記の約700万円の年収を代償措置と認めた例のように、代償であることを明示しなくとも、在職中の給与や退職金の額に鑑み、競業禁止期間中の生活を維持することができるだけの処遇がなされていれば、代償措置が取られていると判断される可能性がある。ただし、「優秀な従業員が高い給与を得ることは当然である」旨述べて代償性を否定した裁判例も存するので(注7)、給与や退職金に代償を含ませようと考える場合には、「機密保持手当」と題する手当を支給するなど、代償である旨及び代償部分の金額を明確に定めておく方が望ましい。

 2 違反行為に対し実効性のある措置を取るためのポイント

 違反行為に対する実効性の観点からは、まず上記(3)の競業行為が禁止される内容を限定し過ぎない方が良いと考えられる。競業避止義務の利点は、義務違反を外形的に判断できる点にあるにもかかわらず、例えば特定の情報等を使用する態様での競業を禁止するなど禁止の内容を限定し過ぎると、秘密保持契約違反に対する場合と立証の負担が変わらない事態に陥るおそれがある。そこで、ライバル企業の役員や従業員となることを禁止するなど義務違反を外形的に判断しやすい内容としつつ、禁止対象となる企業の事業分野等を限定する(特に脅威となる企業が具体的に想定されるのであれば、例示列挙する)ことで対応することが望ましいと思われる。

 また、損害賠償請求との関係では、競業避止義務違反があったとして、それにより企業にどのような影響があり、幾らの損失が生じているかを立証することは非常に困難であるという問題がある。この問題点に対しては、競業避止義務を負わせる際に、義務違反がある場合には、退職金の全部又は一部を返還する旨の条項や違約金を定める条項を設け、損害額の立証を要さずに金銭の支払いを求めることができるようにすることが考えられる。ただし、これらの条項を設ける場合には、退職金の返還については、たとえ全額の返還を定めていても、実際に返還請求することができるのは、退職者のそれまでの勤続の功労を抹消又は減殺してしまう程度の著しく信義に反する行為がある場合に限るとされていること、違約金条項については、競業行為により生じることが予想される企業の損害額や退職者に対し与えられた代償措置の額などに照らして不合理なほど高額な違約金を設定した場合には、当該条項或いは競業避止義務に係る部分を含めた合意全体が公序良俗に違反するとして無効となるおそれがある点については留意が必要である。

 退職金との関係では、支払時期を退職後半年や1年が経過した後とすることや、競業避止義務違反を疑う理由がある場合には、退職金の支給を停止することなどを定めておくことも考えられる。

 3 義務を負わせる合意をするタイミングについてのポイント

 以上のとおり、競業避止義務を有効とし、違反行為に対し実効性のある措置を取ることができるようにするためには、競業避止義務を負わせることにより守ろうとする情報等を具体的に想定し、当該情報等に応じた個別的な配慮をすることが必要である。

 この点、実務上は、就業規則によって全従業員に対し一律の競業避止義務を負わせたり、入社ないし退社時に定型的な誓約書を差入れさせることなどにより個別の同意を得ることが多い。しかし、どのような情報等に接し、或いはアクセスすることができるかは、役員、従業員の地位や職務内容により千差万別であり、また異動等により変動する。そのため、競業避止義務を実効性あらしめるためには、特に重要な情報等に接する役員、従業員については、できれば異動や職務内容の変更のたびに、当該役員、従業員の置かれた状況に応じた義務内容に見直しをすることが望ましい(なお、退職時にその時点の地位や職務内容に応じた競業避止義務について合意するのが最も望ましく、そのようにすべきであるが、退職直前の時点では、役員、従業員が競業避止義務を負うことに合意しないことも多いため、在職中においても、随時、競業避止義務についての合意を取り付けておくのが望ましい。)。

 なお、裁判例や学説においては、競業避止義務を負わせるための手段として、個別の合意か就業規則による包括的な合意があれば良いとされる。そして、いずれによるかによって義務の有効性に差が生じるとの明示的な議論はない。しかし、就業規則のみを根拠に、競業行為の差止めや損害賠償を認めた裁判例は極めて少ない。これは、就業規則によって一律の競業避止義務を負わせる場合には、各従業員の地位や職務内容に応じた義務内容とすることができないためであると考えられる。

最後に

 競業避止義務には、技術情報流出への対応策として「営業秘密」等の他の対応策にはない利点がある。そのため、物理的な対応策や他の法的対応策とともに積極的に活用する意義があるといえる。そうであるにもかかわらず、実務上は余り活用されていない。その背景としては、競業避止義務を用いる場合において、充分な検討を経ることなく安易又は機械的な内容としてしまい、有事に法的措置を取ることができない、或いは仮処分の申立てや損害賠償請求訴訟の提起を行ったものの、その有効性が否定される事態が生じ、競業避止義務につき、企業として、効果が不明瞭な実効性に欠けるものであると考えてしまい、また、退職者において、違反しても現実的な脅威のないものであるとの考えが生じてしまっていることがあるのではないかと思われる。しかしながら、本稿で論じたように、競業避止義務は、個別の役員、従業員に義務を負わせることで守る必要のある自社の独自かつ有用性の高い情報等を具体的に詰めておき、そのことを対外的に説

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