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高血圧薬ディオバン問題、難航する真相解明 検察、公取委の出方は?

郷原信郎弁護士に聞く

郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

 製薬大手「ノバルティスファーマ」(以下、「ノ社」と略称)の高血圧治療薬・ディオバンに「血圧を下げる効果を超えた作用がある」とした大学の臨床研究論文にデータ操作などの不正が見つかった事件。日本の臨床研究に対する国際的な信用を失墜させ、科学振興を経済回復の起爆剤とうたうアベノミクスの成長戦略にも影響しそうな重大問題だ。ノ社の元社員の関与が疑われる中、厚労省やノ社、大学の調査では、だれが何の目的で操作したのか、という核心事実は明らかにならず、やっと腰を上げた厚労省の調査も、早期の全容解明は期待薄のようだ。行政による調査が十分に機能せず、企業などの自浄能力も期待できないとすれば、検察の出番である。元検事で企業や官庁のコンプライアンスに詳しい関西大学特任教授の郷原信郎弁護士に、データ操作事件の構造や、どう真相を解明すべきかの道筋を聞いた。

▽聞き手・筆者:村山治

■事件の概要と背景

 まず、事件の概要と問題点を整理しておこう。

 ディオバンは、血圧を下げる効果があるとして2000年に日本国内で発売が認可され、国内売り上げは年間1千億円を超える人気薬だ。欧米など多数の国でも製造販売承認を受けているとされる。

 問題の臨床研究は、ディオバンが認可され患者に使われるようになったあとの2001年から、京都府立医大、東京慈恵会医大、千葉大、名古屋大、滋賀医大の各病院で高血圧患者計8400人余を対象に行われてきた。

 京都府立医大では「血圧を下げるだけでなく脳卒中などのリスクを半減させる」、慈恵医大では「脳卒中などの予防に効果あり」などとする論文が立て続けに発表され、医師向けの宣伝に使われた。

 その後、「データが不自然」との疑問が研究者間で噴出。今年2月、京都府立医大の研究論文を掲載したヨーロッパの学会誌が「報告されたデータの中に重大な問題が存在した」として論文を撤回。これを受けて同大の研究の中心だった教授は辞職し、関連する論文すべてを撤回した。府立医大の調査では、カルテに記載のない症状が論文のデータにあるなど脳卒中などの発症率のデータがディオバンに有利になるよう操作されていたという。

 慈恵医大でもデータ操作が判明し、研究責任者は論文撤回を表明した。慈恵医大の調査では血圧値に不正な操作があり、脳卒中などが減ったのは、血圧が下がったからではなく、ディオパンの効果と見せるための操作をした疑いがあるという。名古屋大、千葉大、滋賀医大もデータ操作の有無を調査中だ。

 5大学の臨床研究には、ノ社の元社員(今年5月退職)が深くかかわり、事実上、研究の事務局役を担っていた。元社員は、京都府立医大など4大学の研究に「大阪市立大非常勤講師」の肩書で参加。府立医大と慈恵医大では、データ解析や発症判断にかかわり、論文にもノ社の社員の身分を隠して登場していた。

 慈恵医大の調査に対し、この元社員は「データ解析をしたのは医師だ」と述べたとされるが、同医大は「元社員による研究データの操作が強く疑われる」と指摘した。元社員は、京都府立医大の調査には応じていないという。

 一方、ノ社は3月から、元社員の関与について社内調査を開始。4月からは、スイス本社が法律事務所に調査を委託、元社員ら多数の関係者から聴取を行い、メールなども調べたが、「元社員によるデータの意図的な操作や改ざんがあったかどうかを示すいかなる証拠はも発見されなかった」との調査結果を7月に公表した。

 ノ社によると、元社員は5月に退職した後は、聴取に応じず、個人用のパソコンに保存している業務活動記録の調査を拒否したという。また、重要な社員の多くは退職して聞き取り調査に応じなかった、としている。この間、ノ社は6月に、元社員が身分を隠して論文に名を連ね、会社としてそれを認識できずに研究論文を引用してプロモーションを行ったことが利益相反の観点から不適切だった、として謝罪した。

 データ操作は、だれの指示で、だれが実行したのか。また、何のために操作をしたのか、など核心の事実は謎のままとなっている。

 一方、府立医大の教授には、ノ社から1億円以上の奨学寄付金が渡っていたとされる。ノ社から5大学の関係研究室に対する奨学寄付金は、総額約11億3千万円。

 事態を重く見た厚労省は、大臣直轄の有識者検討委員会(12人)を設置し8月9日に初会合を開いたが、薬事法の規制対象外の臨床研究にかかわる問題に対しては、いきなり強制力のある調査はできず、ノ社や大学の調査報告を付き合わせて問題点を整理し、元社員ら関係者から任意での事情聴取を検討している段階だ。

 ノ社のホームページによると、同社は、スイスに本拠を置くヘルスケアの世界企業・ノバルティスの医薬品部門の日本法人。ノバルティスグループ全体の2012年の売上は567億米ドル、研究開発費は93億米ドル。

■調査が進まない理由と構造的問題

 ――ノバルティスファーマ社の高血圧薬ディオバンの臨床研究論文のデータ操作事件は、国際的な大問題ですが、なかなか核心の事実が明らかになりません。なぜ、事実が明らかにならないのかを含めてわかりにくい事件です。

郷原 信郎(ごうはら のぶお)
 1977年東京大学理学部卒業。1983年検事任官。公取委事務局審査部付検事、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年検事退官。2008年 郷原総合法律事務所開設。名城大学教授、 総務省顧問・コンプライアンス室長などを歴任。2012年から関西大学特任教授。専門は、組織のコンプライアンス、経済刑法、独禁法制裁制度論。
 郷原弁護士: 問題の背景には、日本の医薬品市場の構造的な問題があると思います。日本では、健康保険制度の下で、薬の価格は国が決めることになっており、厚労省が薬価の決定権を持っています。医薬品メーカーには、供給する薬の価格を決定することができない。そのため、メーカーとしては、価格競争でなく販売量の競争で勝負するしかない。そこで、重要となるのが、厚労省の承認を受けている薬としての基本的な効能のプラスアルファの効能・効果をアピールすることです。そのために使われるのが、大学等での臨床研究の結果を利用して販売を拡大していくことなのです。

 今回の問題は、ノ社の依頼で臨床研究をした大学の研究者が、降圧剤としての効能自体ではなく、高血圧以外の疾病、例えば、心疾患などに対しても効能があるとする論文を発表し、それが、医学専門誌等での広告宣伝に使われたことで、他社の同種薬より優れている、との認識を医療関係者に持たせた。ところが、その根拠となった臨床試験のデータが不正に作られていたことが判明し、論文が撤回された、というものです。不正が明らかとなったデータの解析などデータ処理にはノ社の元社員がかかわっていたのに、そのことは論文上では全く明らかにされていなかった、という点も問題として指摘されました。

 薬の売り上げを伸ばす目的も意図もなしに、たまたま、ノ社の元社員が外部の研究者のお手伝いをしたら、たまたま、薬の効能をアピールする上で優位な方向への誤ったデータ処理が行われ、それによってその薬の売上が大きく伸びた、という偶然は、普通は考えられません。

 しかも、臨床試験をした複数の大学で、ディオバンにとって有利な方向にデータが操作されていたわけですが、それが、何の意図もなく行われていたということは通常はあり得ない。ですから、それが、ノ社のどのレベルの人間の意図にもとづくものか、は別にして、不正なデータ操作が、ディオバンの売上げを拡大する目的で行われたという疑いを持つのは当然だということになります。

 ところが、この不正を行ったとみられるノ社の元社員は、ノ社や一部の大学の調査には応じているようですが、不正なデータ操作への関与は認めていないようです。この元社員が、何の目的でそのようなデータ操作をやったのかを供述しないことには、今回の問題が、どういう事件なのかが見えてこないのです。

 ――元社員は不正へのかかわりを否定し、マスメディアの取材などにも応じないようです。元社員を業務で使っていたノ社としては、企業の責任として、自ら事実を解明し、公表するのが筋です。ところが、ノ社は、調査報告で、元社員の非協力や重要な社員の多くがすでに退社し、聞き取り調査に応じなかった、ことなどを理由に、「データの意図的な操作や改竄のあったことを示す事実はなかった」としています。

 郷原弁護士: 企業の内部調査では、一般的には、退職した社員を調査の対象とすることには限界があります。社員であれば、職務命令で調査に応じさせることができますが、退職してしまった人間に対しては、会社として強制的に調査に応じさせることはできない。社内の文書やメールを調査したが、その調査の結果からは、ディオバンの売上を伸ばすために意図的にデータの操作やったという証拠はない、というのが、ノ社が発表している内部調査の結果です。

 ――一方、ノ社から、臨床試験を依頼された大学側の独自調査では、元社員がデータ操作にかかわった疑いが濃厚としながら、大学側の不正へのかかわりを否定しています。元社員にデータ解析などを丸投げした実態もあるようで、大学側にも大きな問題があったと思われます。

 郷原弁護士: 研究者側の言い分は、一言でいうと、データ解析はノ社の元社員に全部任せていた、そういう不正を意図的にする人間だとは思わなかった、というものです。その監督責任と結果的に操作されたデータに基づく論文を発表したことの責任は否定できないが、研究者の側が意図的にやったものではないというのが大学側の調査結果です。元社員は、調査に応じない。企業も、大学も、肝心な不正なデータ操作がなぜ行われたのかが全く解明できない。不正に操作されたデータによる論文を薬の売上拡大に使おうとしたのではないか、との疑いだけが残るということになっているのです。

■厚労省は事実解明をできるか

 ――企業や大学が事実解明をできないとなると、薬の効能や安全性、製薬メーカーや医療従事者に監督権限を持つ厚労省が事実解明をして国民の疑問にこたえなければならないはずですが、厚労省は、データ操作が発覚した当初から、事実究明には及び腰という印象があります。

 郷原弁護士: 厚労省の製造承認自体に関わる問題ではないので、当事者意識が希薄なのだと思います。

 薬の研究には、国から薬の製造販売承認を得るために行う「治験(臨床試験)」と、薬の販売後に行われる「臨床研究」があります。治験では、計画通り行われているかカルテなどを調べるモニタリングや監査も行われるのですが、治験以外の臨床研究は、薬事法の規制の対象外で、厚労省の直接のチェックは働きません。

 今回の件は、治験ではなく、販売後に行われた臨床研究です。厚労省が承認した薬の効能と安全性の認定根拠になる治験結果が改竄されていた、不正試験が行われていた疑いが浮上すれば、厚労省としては、薬事法上、とうてい許容できない、として、ただちに立ち入り検査で事実を解明し、メーカーに対して、営業停止、許可の取り消しなどの行政処分を行うということになりますが、今回の不正疑惑は、厚労省の承認にかかわる話ではなく、あまり積極的には関わりたくないというのが本音だと思います。

 ―今回のディオバンの問題は薬事法には違反しないのですか。

 郷原弁護士: 薬事法上、適用があるとすれば、誇大広告の禁止の規定だけです。

 薬事法66条は「何人も、医薬品、医薬部外品、化粧品又は医療機器の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関して、明示的であると暗示的であるとを問わず、虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない」としており、85条(罰則)で「2年以下の懲役若しくは2百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と定めています。「何人も」と定めているこの規定は、世の中一般に対する禁止規定で、医薬品事業者に対する厚労省の監督に関する規定ではありません。厚労省は、医薬品事業者が誇大広告禁止の規定の違反に対しても、薬事法69条4項の規定にもとづき「必要があると認めるときは」立入検査等の行政調査を行うことが可能です。ただ、厚労省の医薬品事業者に対する監督の対象事項ではない誇大広告に対する立入検査など過去に例はないと思いますし、余程明白な事実が出てこない限りできないと思います。とは言っても、今回の疑惑は、単なるデータ操作にとどまらず、臨床研究をめぐる製薬会社と大学の関係にまで発展しているので、何もしないわけにはいかない。そこで、有識者検討委員会という外部者による機関を作って、調査・検討をすることにしたのだと思います。もちろん、仮に、委員会の任意調査でノ社側に薬事法の誇大広告に抵触する事実が明らかになれば、厚労省はノ社に立入検査をし、行政処分を検討することになるでしょうが、その可能性は低いと思います。

 ――日本では、薬の認可を目的とした治験に比べ、副次効果などを調べる臨床研究に対する規制は甘いとされています。海外では常識である研究資金の出所開示ルールも徹底されていないと聞きます。朝日新聞の報道では、欧州では、2001年の臨床研究に関する欧州連合(EU)指令で、治験に限らず、薬を使った臨床研究に治験並みの規制を求めているようです。製薬会社の関与、奨学寄付金のあり方、大学や病院の責任、大学を監督する文部科学省や医療を所管する厚生労働省の役割はどうあるべきか。臨床研究から不正を締め出す教訓を導くためにも、今回の問題の徹底調査が欠かせないと思います。

 郷原弁護士: その通りです。医薬品メーカーにとって、薬の基本的な効能だけではなく、プラスアルファの効能を、需要者にアピールしていくことも、重要な事業活動です。それに関して不正があれば、薬事法上も許容できない問題だと思います。本来は、厚労省の医薬品事業者に対する監督権限によって調査し処分すべきですが、先ほども述べたように、誇大広告の問題は、医薬品事業者に対する厚労省の監督の対象ではない。薬事法の盲点とも言えます。

 ―大臣直属の有識者検討委員会で真相は明らかになるでしょうか。

 郷原弁護士: 委員会として調査を行うとしても、任意調査に限られます。悪質・重大な医薬品不祥事の真相が解明できるような調査が行えるとは思えません。

 ――毎日新聞によると、委員になった日経BP社の特命編集委員について、ノ社と業務上親密な関係があり、「委員会の信頼が疑われかねない」との指摘も出たようですね。厚労省は「編集委員個人とノ社の間に利益相反関係はない」として問題にしないようですが。

 郷原弁護士: 日経BP社は、ディオバン発売前からノ社のプロモーション戦略に参画し、ディオバンの広告も同社と他の業界誌の2つに集中しているとされています。委員会が、ノ社の疑惑を含む問題について調査して事実解明を行うことを主目的としているのであれば、ノ社のプロモーション活動によって利益を得ていた日経BP社の関係者などは、委員から排除するのが当然だろうと思います。厚労省が、このような委員の人選に何の問題意識も持たないのは、そもそも、委員会の設置が、ノ社の問題も含めた疑惑の真相解明ではなく、再発防止のための制度の枠組みなどの検討を主たる目的にしているからではないでしょうか。

■厚労省調査がだめなら、公取委が独禁法違反で調査する手も

 ――法律のエアポケットのようなところで起きた疑惑ゆえに、厚労省の事実解明が進まないとすると、それは困ったものです。そういう状況を突き抜けて、事実解明することはできないものでしょうか。

 郷原弁護士: 今回の事件は、不公正な取引方法を禁じた独占禁止法19条の「欺まん的顧客誘引」に該当する可能性があります。薬事法の枠組みでなく、医薬品メーカー相互間の競争の在り方という独禁法上の問題としてとらえて、公取委の独禁法上の調査権限を活用すれば、事実関係を解明することも可能だと思います。

 ――郷原さんは、1990年代初めに検察から公取委に出向されていました。今回のような厚労省の所管の問題について、公取委が独禁法で斬り込むということがあり得るのでしょうか。

 郷原弁護士: 公取委には、過去にも厚労省の領域に踏み込んだ実績があります。1996年に独禁法3条前段の「私的独占」を適用して排除措置命令を行った「財団法人日本医療食協会及び日清医療食品株式会社に対する件」です。厚生大臣から医療用食品の検査機関として指定を受け、医療用食品販売業者から検定料を徴収し医療用食品の栄養成分検査を行っていた日本医療食協会が特定の業者を医療用食品の一次販売業者に決定、独占供給体制を構築していました。この件が公取委に摘発されたことで、厚労省は天下りポストをいくつも失いました。

 今回は、医薬品業界という、厚労省が薬価決定を通して支配する、まさに厚労省の「本丸」の問題です。厚労省にとって、公取委による独禁法適用というのは、何としても避けたいはずです。

 ――独禁法19条の「欺まん的顧客誘引」規定とは

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