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中南米法務とロマンス系言語の世界

角田 太郎

中南米法務とロマンス系言語の世界

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
 弁護士 角田 太郎

角田 太郎(つのだ・たろう)
 1992年3月、早稲田大学法学部卒。1996年4月、司法修習(48期)を経て弁護士登録。2001年5月、米国University of Michigan (LL.M.)。2002年6月、米国University of Chicago (LL.M.)。2003年7月、ニューヨーク州弁護士登録。2006年4月、当事務所入所。2008年1月、当事務所パートナー就任。
 私が現在取り組んでいる主な業務分野の一つに中南米法務があり、ブラジルやメキシコを中心とする中南米地域への進出、同地域におけるジョイントベンチャーや企業買収等の案件で、日本企業のお手伝いをさせていただく機会が増えている。

 これらの中南米法務においては、現地の法律事務所と協働して案件を処理するのであるが、現地弁護士とのやり取りや相手方との交渉等は英語で行なわれ、契約書も基本的に英語で作成する。そのため、英語が通じれば用が足りると思われる方も多いかも知れない。しかしながら、実際には、中南米法務を取り扱うにあたってはポルトガル語(ブラジルの公用語)・スペイン語(ブラジル以外の中南米諸国の公用語)の運用能力が必須になる(最低限、読解能力は必要)。なぜなら、中南米のどの国でも法律や規則は現地語で書かれており、英語による情報が多少はあるものの、日本語により入手できる情報はほぼ皆無であるため、現地語がわからないと入手できる情報量が極端に少なくなってしまうのである。前述したとおり、契約書等についても基本的には英語版が正本となるが、政府当局に提出する各種届出書類や会社の定款等は、現地語で作成するものが正本になる。これら現地語で作成される書類の内容の正確性については、協働している現地弁護士事務所の最終チェックに委ねる事になるが、英語でコメントのやり取りをして確定させた内容が現地語で正確に表現されているかを自分自身がチェックできないと、仕事にならないのである。

 そのような事情でポルトガル語とスペイン語を学習しているのであるが、正直に告白すると、日々の弁護士業務のほかに社会人としての様々な活動(家族サービス等)をこなしつつ、20代の頃と比べると記憶力が大きく低下した40代になってから新たな外国語を学習する(しかも2つ同時)というのは、我ながら無謀というか、非常に骨が折れ、何度も挫折を繰り返している。もっとも、少しずつではあっても知識が定着し、基本的な文章の読解や作成ができるようになってくると、やる気も増し、その結果、学習が進むという好循環のサイクルに入っていく。また、英語と全く違った響きの音の塊が徐々に意味を持った文章として聞き取れるようになっていく過程は、なかなかに気分が良い。そして何よりも、新しい外国語を勉強することにより、それまで話をすることができなかった相手と話が通じるようになり、新しい世界が目の前に広がっていくのは、非常に刺激的である。

 ポルトガル語やスペイン語は、イタリア語やフランス語と同じくロマンス語(ローマ帝国の使用言語であったラテン語が、ローマ帝国が征服した各地域で独自に発展していった言語グループ)に属する言語であり、根っこが一緒であるためか、構造が非常に似ている(日本語と比べるとほとんど方言程度の違いしかないように思う)。そのためか、ヨーロッパ人の中には、これらのロマンス諸語の複数(あるいは人によっては全て)を流暢に操る人が少なくない。ロマンス語の特徴としては、名詞や形容詞に男性形・女性形の区別があるほか、動詞の語尾が非常に複雑に変化することがあげられる。具体的には、主語の人称や動詞の時制、また客観的な事実を述べる(直説法)のか主観的な心理状態を述べる(接続法)のかに応じて動詞の語尾が変化するのであるが、ロマンス語を初めて勉強する人間にとっては、これがとにかく大変なのである。例えば、ポルトガル語で「話す」を意味するfalarという単語では、直説法1人称単数現在形(英語であればI speak)の活用はfaloとなり、直説法3人称単数現在形(英語であればHe/She speaks)の活用はfalaとなり、直説法1人称複数現在形(英語であればWe speak)の活用はfalamosとなり、直説法3人称複数現在形(英語であればThey speak)の活用はfalamとなる。過去形や接続法もそれぞれ独自の語尾変化をするため、一つの動詞について何パターンもの語尾変化を覚えなければいけないのである(この点はスペイン語も同様)。そのため、「文章の魂は動詞に宿る」とまで言われるほどであり、私がポルトガル語の個人レッスンをお願いしている在日ブラジル人の先生からも、とにかく動詞の活用を間違えてはいけないと、口をすっぱくして注意をされている。

 私自身も学習開始当初はこの複雑な語尾変化に面食らい、それが挫折を繰り返した大きな原因でもあったのだが、ある程度慣れてくるに従い、少しずつではあるが、学習を楽しむ余裕も出てきた。それと同時に、複数の言語を学習することが弁護士業務にもたらす(と私自身は信じているのであるが)メリットにも気づくようになった。

 弁護士業務に必要な能力は多々あるが、言語運用能力はその中の重要な一つであると思う。物事の概念、アイディア、抽象的な理論といった、目には見えないものを言語化して、口頭または書面で説明するというのが、国は異なっても法律家に必要とされる基本的なスキルであることに変わりはないと思う。この能力は、当事者が異なる言語を使用するクロスボーダー案件において、より重要となる。比喩的に言うならば、クロスボーダー案件では当事者は同じ絵を見ているにもかかわらず、それぞれ異なる母語を通じてその絵の意味を解釈するため、言語の違いに起因するミスコミュニケーションが生じやすい。相手の意図を正確に理解し、こちらの意図を正確に伝えるためには、100%の正確さをもって言語を運用することが求められ、クロスボーダー案件の場合には、共通語である英語についてこの能力が求められる。

 英語をはじめとする西洋系の言語の場合、このような意味における運用の正確さを決めるポイントには共通する部分が多いように思う。それは名詞の数の処理(単数形を使うべきか、複数形を使うべきか)や動詞の時制の処理(現在形を使うべきか過去形を使うべきか、進行形を使うべきか完了形を使うべきか等)のような、「機能語」といわれる文法要素の処理の巧拙に、最終的には行き着くように思うのである。ところが、これらの文法要素については、日本語は英語ほど厳密な処理を要求されないため、日本語を母語とする者にとって、これらの文法要素を正確に使いこなせるようになるためにはかなりの訓練を必要とするように思う。

 また、母語にはない概念操作を行なうことは非常に脳の体力を消耗させる。これは、特に瞬間的な情報処理と反応を必要とするスピーキングにおいて顕著であると感じる。外国語で文章を作成するということは、自分の頭の中にあるコンセプト、アイディア、概念といったものを、一定の法則に従った配列の外国語の文章に置き換えていく作業である。そして外国語による発話は、そのようにして作り上げた文章を音声化する作業(より正確には、文章を作りながら、できたところから順次音声化していくというプロセス)であるが、これは唇、舌、歯、喉等の筋肉や呼吸をコントロールしながら、頭の中の文章を音声化していく作業であり、単に頭を使うというだけではなく、実際は身体活動としての側面が大きい。そのため、スポーツや楽器の演奏と同様、継続的なトレーニングを行なうことで、パフォーマンスの精度が向上していくように思うのだが、このトレーニングという観点から見た場合、複数の言語を学習することにより多角的な刺激が与えられ、より効果が上がるように思うのである。