2013年10月21日
タージマハルだけじゃないインドの建築の話
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 大河内 亮
さて、タイトルにインドを銘打っておきながら富士山の世界遺産登録の話題から始めたのには理由がある。私は、縁あって2008年夏から2009年の春までインドのデリーに所在する現地の法律事務所において研修をさせて頂く機会を得た。インドに赴いたのは、当時BRICsとして話題となっていたこの巨大な人口を抱える国における法制度というものに興味があったからである、というのが建前である。本当のところは、古くから世界中のバックパッカーを惹きつけ、また、ビートルズを含む数々の著名人を虜にして頭まで浸からせてしまったうえに最後は幻滅させてしまうという不思議な国の空気を生で感じてみたいというところが大きかった。
当時の私を含め、周囲には、インドは汚い、臭い、お腹を壊すという偏った(間違ってはいないが)イメージしかなかった。また、インドに多少なりとも知見がある向きからは、インドに着いたら、是非インド人に遅刻され、驚かされ、途方に暮れてくるがよいという餞別の言葉を頂いた。そのような私への多大な期待は、招待された時間の3時間後に始まる結婚披露宴、ハウスキーパーによるベランダでの放尿、銃を携えた守衛による拘束という経験をもって満たされたと思う。
しかし、このようなインド滞在における顛末を語る書籍やインターネット上のブログなどは巷にあふれかえっており、あえて私がこれに重ねてインド体験記の中では新鮮味もない話を付け加える必要もないだろう。
そのため、今回は、なるべくインドらしくない経験を語ってみようと思う。そこで、富士山の世界遺産登録である。インドにもタージマハルを始めとした世界遺産は数多く存在しており、その登録数は日本におけるよりも多く、世界でも上位10位以内に入っているとのことである。今年もインドのラジャスタンの丘陵砦群が新たに世界遺産に登録されている。
このようにインドは日本を凌駕する世界遺産大国であるが、インドと日本は一時期、あるものの世界遺産の登録をともに目指していたことがあることをご存知だろうか。
それが今回、私が皆さんに紹介したいと思っている、チャンディーガルという都市である。
チャンディーガルは、デリーの北部に位置する都市であり、パンジャブ州、ハリヤナ州の2州の州都を兼ねている。また、高等裁判所もこの地に所在している。比較的裕福な家庭が住んでおり、デリーで功をなし財をなした者はこの都市で隠居生活を送るなどとも言われている。インターネット上で地図を検索してみると、この都市が非常に計画的に整備され、きれいな碁盤目状に区画されているのが分かる。実際に街路樹が整備された市中を歩いてみても、ゴミも少なくインドの都市の中では他に類を見ないほど美しい。
インドではディワリという爆竹をもって祝う非常に賑やかな祭りがあり、ディワリの時期は首都デリーでは都市の中心部でも爆竹で騒がしい。建前上は市内で爆竹を使用することは禁じられており、警察官も見廻ってはいるが厳しくは取り締まっていない。警察官も自宅では爆竹を鳴らしているという。ところが、チャンディーガルでは都市の中心部では爆竹を使用することが厳に取り締まられており、ディワリ当日は郊外から爆竹の音が聞こえるのみである。ルールが厳正に執行されているという意味でも、チャンディーガルは、インドではかなり異例な街である。
この都市を設計したのは、サヴォア邸、ロンシャンの礼拝堂などで知られるフランスの建築家ル・コルビュジエである。
建築家にはあまり関心のない方も、ル・コルビュジエの名前くらいはお聞きになったことがあるのではないだろうか。日本では東京上野の国立西洋美術館を設計した建築家と言えば、イメージが沸く方もおられるだろう。それよりも彼がデザインした椅子を目にしたことがあるという方のほうが多いかもしれない。
この時計職人の息子は、近代建築の歴史からは絶対に外すことのできない巨匠である。その作品は、フランスはもちろん、世界中に存在している。そのような彼の代表作を「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として世界遺産登録を実現しようという活動がある。先に触れた国立西洋美術館もこの一連の建築群の中に含まれている。チャンディーガルも当初この建築群のリストに含まれており、インドは、フランス、日本その他の国とともに世界遺産登録のための活動に加わっていた。残念ながら、チャンディーガルについては、ユネスコへの推薦書の提出の直前でインドが推薦への参加を見合わせることとなったため、現時点ではチャンディーガルが世界遺産として登録される見込みはない。
しかしながら、チャンディーガルは世界遺産には登録されなくても、ル・コルビュジエの建築を多数まとめて見ることができる稀有な場所であり、その価値は極めて高い。特に見ごたえのあるのは、議事堂と高等裁判所だろう。
議事堂の大きくせり出すファサードは迫力がある。ル・コルビュジエは「近代建築の五原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平横長の窓、ファサード)」を近代建築の重要な要素として唱えており、ファサードには非常に意を用いていたと言われるが、議事堂のファサードはこのル・コルビュジエの意思を明確に体現しているように思う。建物上部にはまるで要塞のような構造物があるがその真下が議場になっているようである。おそらく屋上の構造物は明かり取りであろう。私が訪れたときは休日であり、建物の中に入ることはできなかったが、この巨大な構造物の真下がどうなっているのか非常に興味がある。機会があれば是非再訪したい。
このほかにも、チャンディーガルでは、美術館、建築学校、庁舎など多くのコルビュジエ建築を見ることができる。
精緻な計算に支えられた大胆な意匠を備えるコルビュジエ建築は、整然と積み重ねられた論理に基づく説得的な訴状や準備書面にも通じるものがあり、同じ専門家として目指すべき姿とも思う。というのは、本稿が法律家の視点からの随筆という性質を備えていなければいけないために、取ってつけた感想である。誰が見てもコルビュジエ建築には心を揺さぶられるだろう。
インド北部観光をされる方は、日程に余裕があればチャンディーガルに立ち寄ることも検討されることをお勧めしたい。
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