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「信長のシェフ」と「清須会議」

名古屋で三英傑の活躍した時代に思いを馳せる

青柳 良則

「信長のシェフ」と「清須会議」

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 青柳 良則

青柳 良則(あおやぎ・よしのり)
 1998年3月、東京大学法学部卒。2000年3月、東京大学大学院法学政治学研究科修了(法学修士)。2001年10月、司法研修(54期)を経て弁護士登録、当事務所入所。2008年5月、米国New York University School of Law (LL.M.)。2009年まで英国ロンドンのBerwin Leighton Paisner法律事務所勤務。2012年1月、当事務所パートナー就任。2013年9月、当事務所名古屋オフィス代表就任。
 昨年9月24日にオープンした当事務所の名古屋オフィスの代表に着任し、名古屋に来て4ヶ月ほどが過ぎた。当事務所には以前から北京オフィスがあり、昨年、上海オフィスとシンガポールオフィスもオープンしたが、国内では名古屋オフィスが唯一の支店である。

 ところで、ここ最近名古屋あるいは東海地方のものが注目される機会が増えているように思われる。私自身が名古屋に来てから東海地方の情報に以前より多く触れるようになっているのは当然のことではあるが、それとは関係のないところでも名古屋に関するものや情報を見ることが増えたような気がしている。例えば、私が好きな作家の1人である村上春樹の最新の長編小説は名古屋を舞台としていた。また、名古屋のご当地グルメが取り上げられることも増えており、私の大好物であるラーメンに限っても、名古屋のご当地ラーメンである台湾ラーメンや卵とじラーメンを常設あるいは期間限定のメニューで出すラーメン屋が東京にも現れている。

 ほかにも、名古屋ないし東海地方を舞台にした歴史ものとして、映画では昨年終盤に「清須会議」が公開されたり、ドラマでは、昨年の連続ドラマで「信長のシェフ」、今年の正月の歴史ドラマでも「影武者徳川家康」が放映されたりしている。もっとも、天下統一を成し遂げた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が多く取り上げられるのは今に始まったことではなく、戦国時代を舞台とした小説やドラマ等に関していえば、彼らやその下で活躍した武将などを主人公とし、その出身地である尾張・三河を中心とした東海地方を舞台にしたものは、今までそれこそ数え切れないほどつくられている。実は、私は子供の頃は戦国時代の武将について書かれた歴史小説を読むのが好きだったのだが、大人になるにつれていつの間にかあまり読まなくなっていた。ただ、今回、名古屋に来た前後のタイミングで、ちょうどこれらの映画やドラマが放映等されていたことにも触発され、最近、上記のドラマ等の原作を含め、これらの東海地方を舞台にするような歴史小説や漫画などをまた読むようになった。

タイムスリップ

 「信長のシェフ」は平日夜の放送でテレビ画面で見ることができなかったため、ドラマ放映後にコミックの単行本を購入して読んだ。この漫画のあらすじは、現代で料理人だった主人公が戦国時代にタイムスリップしてしまい、記憶喪失に陥るものの、料理に関する知識等は覚えており、信長の料理人として活躍するというストーリーである。この漫画を読んでふと考えたのは、食という人間の根源的な欲求を満たすことができる料理人は戦国時代でも生きていけるかもしれないが、弁護士が戦国時代にタイムスリップしても(個人として生物的な生存能力が高い人は別として)生きていけないだろうなということであった。

 タイムスリップは非現実的としても、歴史小説を読むときなどに、自分がその時代に生まれていたらどうだっただろうかということを考えることがある。戦国時代の場合には、どのような身分に生まれたかによってその後の人生は大きく違うだろう。もちろん戦国時代のような動乱の時代は、安定した時代よりも才覚次第で出世できる機会はあったとされており、典型的には一介の百姓から成り上がったといわれている秀吉のような例もある。ただ、その一方で人の命が非常に軽い時代であって、自分がその時代に農民として生まれていたら、何かの戦に巻き込まれるなどして、あっさり殺されて終わりということになりそうである。普通の武士の家に生まれていたとしても、私は運動神経には基本的に自信がないので、武勲を立てて立身出世を遂げるというようなことは難しく、むしろ戦場で早々と命を落としていた可能性のほうが高そうである。運よく大名などの家柄に生まれれば、家臣に助けられつつも生き延びるというようなことも可能であったかもしれないが、そのような家に生まれること自体が非常に可能性の低い幸運である一方で、家督争いに巻き込まれて暗殺されるなどして命を落としていた可能性もまた否定できない。何か知識を得てそれを生かして活躍するということでいえば、折しも今年の大河ドラマの主人公である黒田官兵衛のように、軍師として活躍するというような道もあるのかもしれないが、それについても(学識だけではなく)まず自分自身にある程度武術の技量があることが前提だろう。

 そのように考えてくると、月並みすぎる結論ではあるけれども、平和で自らの能力を生かして仕事をする機会に恵まれる現代の日本に生まれて本当によかったと思う。

天下統一という大義

 「清須会議」は映画を観に行き、その後、文庫本も読んだ。三谷幸喜らしい映画で、ストーリーや登場人物のキャラクターなどは多分にデフォルメされているところはあるものの、楽しんで鑑賞した。

 そんな「清洲会議」の映画で、私の中で印象に残っている場面の1つとして、秀吉が前田利家に対して天下を取ることへの野望を口にし、(主君である織田家を蔑ろにして天下をうかがう秀吉に利家が反発すると)自らが天下を取らなければ戦国の世があと100年続くということを主張する場面がある。実際に清洲会議の後で秀吉が利家に対してこのようなことを言ったかどうかはさておき、信長・秀吉・家康について書かれた小説などにおいては、天下統一を成し遂げて戦乱の世を終わらせるということが1つの大義として語られているような場面を他にも見かけるように思う。もちろん、信長・秀吉・家康の当人たちが実際にそのようなことをどの程度考えていたかは定かではなく、ある程度は後世の者による後付けの部分もあるだろうとは思う。

 しかしながら、私のように武術で身を立てることが難しい者でも、信長・秀吉・家康による天下統一の後の江戸時代に生まれていれば、(現代ほどではなくとも戦国時代よりは)生き延びることができる可能性が高まったように思われる。そのような意味で、天下統一というのは、戦乱においては基本的に被害者でしかありえない一般民衆の視点からは歓迎すべきものであったのだろうと思う。そして、日本全体としてみても、平和な江戸時代の間に国力を蓄え、明治時代以降の発展につながったという側面がある。そのような観点からみれば、信長・秀吉・家康による天下統一は、現代の日本の繁栄の礎の一部にもなっているといえるのではないだろうか。

平和な現代の日本に生まれて

 現代でも世界には戦火に曝されている国や地域もあるが、少なくとも現代の日本は平和で経済的にも豊かであり、かつ、私のように運動神経がなく手先が不器用な人間でもやっていけるような仕事もいろいろとあって、そのような仕事で生活していくこともできる。その遠い出発点が戦国時代にこの地方を駆け巡った武将たちにあったと考えると感慨深いものがある。

 もっとも、そこまで遠く遡らなくとも、この地方の製造業は戦後の日本経済の発展の一翼を担ってきたのであり、現在の日本経済においても重要な地位を占めている。信長・秀吉・家康はいずれも海外との交易に強い関心を示したが、東海地方の企業は自動車関係をはじめとして世界に出ていっている企業も多く、そのような点ももしかすると信長・秀吉・家康以来のこの地方のDNAがなせる技である部分もあるのかもしれない。そして、戦国時代では軍師は務まらないであろう私でも、現代の世の中において、そのような世界で戦う企業の役に少しでも立てるような存在となることができればと考えている。