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「法の支配」発祥の地・英国で金融法を学ぶ

谷本 大輔

英国で金融法を学ぶ

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 谷本 大輔

谷本 大輔(たにもと・だいすけ)
 2005年3月、東京大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2012年3月から2013年6月まで金融庁総務企画局市場課に出向。2013年9月から英国London School of Economics and Political Science留学中。
 ・誰もが忙しい英国の大学

 日曜日の午後9時――まだ満席に近い状態の図書館の自習スペース。ここは英国、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のキャンパス内である。

 筆者が留学しているLSEのLL.M.(法学修士)コースでは、講義は、あらかじめ示された必読資料を読んできたことを前提として進められる。授業によっては予習として1週間に数百ページの資料を読むことに加えて、エッセーの提出を求められることもある。また、各学部によって学外から招待された著名人や研究者等による講演会や出張講義も相当の頻度で開催されている。その学習ペースにどこまでついていけるか、学習成果を統合して体系的な知見を得ることができるか、あるいは知識を十分に消化することができずに終わるかは学生の自己責任である。

 講義の内容は、学習効果が出るように綿密に計画されており、担当教官が、その準備にかけている時間が半端なものでないことは容易に推察することができる。著名な研究者や実務家教員等が、本来は自らの研究等に費やすこともできるはずの時間を削って、学生の教育に注力しようとする姿勢の真剣さを感じとったとき、勉学に対する意欲が高まったのは筆者だけではないはずだ。

 ・世界の金融センターとしてのロンドン

 ロンドンは、世界の金融センターとして知られる。国際決済銀行(BIS)公表の2013年4月時点のデータによると、英国の外国為替市場の1日平均取引高約2兆7,260億ドル(世界シェア40.9%)は世界1位(2位の米国は約1兆2,630億ドル(同18.9%))、店頭金利関連デリバティブの1日平均取引高約1兆3,480億ドル(同48.9%)も世界1位(2位の米国は約6,280億ドル(同22.8%))である。

 英国の2012年の名目GDPは約2兆4,350億ドルで、日本(2012年の名目GDP:約5兆9,598億ドル)の半分にも満たず、その経済規模は米国に遠く及ばないことを考慮すると、ロンドンの国際金融市場としての強さは一層際立つとも言える。このような国際競争力の源について、例えば、ヨーロッパという巨大経済圏における金融の中心であるからだとか、アメリカ大陸とアジアの中間に位置するという地の利があるからだとか、様々な説明が考えられるが、企業法務を専門とし、とりわけ金融関連分野の案件に多く従事してきた弁護士として、筆者はかねてより、金融に関する法制度(金融法)という観点から、ロンドンの強みに関心があった。

 ・金融法に関する研究の充実度

 筆者が、LSEで、欧米の金融法について学び始めてまず気づいたのは、この分野における英語による論文・文献の量と、その検索システムの充実度である。ある研究課題について、学内の検索システムを使ってリサーチすると、米国等の他の英語圏で執筆された資料を含め、吸収するのに数週間を要してしまいそうな分量の情報がヒットする。

 また、それらの中身を検討すると、筆者がこれまでに関わってきた金融法の実務に直結する研究もかなり充実しているように思われる。例えば、英国では、金融実務におけるリスクの特定と、その分配・限定・管理のための法的手法についての研究等が活発に行われており、その背景の一つとしては、英国内の研究機関と、金融実務家・業界団体等の間の交流が活発であることを指摘することができるだろう。

 このように質・量ともに充実した金融法研究の存在が、市場参加者にとって、法適用の結果についての予見可能性を高め、金融取引における法的リスクを限定することを可能にするという点で、ロンドンの国際金融市場としての基盤の一つを形成していることはほぼ間違いないのではないかと思われる。また、英国で金融関連の学問分野を専攻する学生が、そのような研究に基礎づけられた教育を受け、将来的にシティの金融機関に就職した場合、金融取引における法的リスクの限定や法的安定性の確保に貢献することを通じて、金融実務の発展に寄与するであろうことは容易に想像することができる。

 ・法的不確実性を限定するための英国の取組み

 筆者が英国で学ぶ金融法に関する研究には、米国・EU・英国等の複数の法域を併せて対象とするものが多く含まれているが、これは、近年G20等において、グローバルに活動する金融機関の規制等に関する国際的議論が活発化していることと無関係でないように思われる。

 金融機関は、このような国際的議論の進展やこれを受けた法改正に適時に対応しなければならず、自国の裁判所の判決による法解釈の明確化を待たずに、適切なリスク管理やコンプライアンスの確保を求められることもある。他方で、全体像を把握するには相当の専門的知識を必要とする金融取引も多いことから、実務への影響が大きく先例のない金融法に関する論点について、訴訟当事者から提出される限られた資料に基づき判決を下すことを求められる裁判官の負担は相当なものと思われる。

 英国では、このような金融法に関する問題意識を踏まえ、Financial Markets Law Committee (FMLC)という独立の委員会が設置されている。FMLCは、英国の裁判官や金融実務家、弁護士等をその構成員として、イングランド銀行や、シティ・オブ・ロンドン、業界団体、大手法律事務所等の後援を受けて、金融市場における法的不確実性を特定し、その対応を検討する活動を行っている。

 かつてFMLCの議長を務めたLord Woolf (元Lord Chief Justice of England and Wales、日本でいうと最高裁判所長官レベルに相当)は、その2007年1月のインタビューの中で、FMLCが効果的に機能することを可能にしているのは、シティの市場参加者の協力である旨をコメントしているが、FMLCは、英国の裁判所が金融実務の発展についていくため、「a bridge to the judiciary」としての機能も果たすものとされている。

 ・シティと英国の法曹

 英国の商業・金融の中心地であるシティの西部には、英国法曹養成の中心地の一つであるテンプル地区が位置している。ここは、法の支配の起源とされるマグナ・カルタ(大憲章)に関して、英国王ジョンとの交渉が1215年に行われたとされている地でもある。

 英国の法務長官を務めるDominic Grieve QCは、英国経済にとっての法の支配の重要性について2013年10月14日にスピーチをし、もし法の支配が重視されてこなければ、ロンドンが世界の商業・金融の中心になることはできなかったであろう旨を述べているが、シティは、法の支配の発展によりもたらされた明確なルールに支えられた商業取引の安定性と、契約の自由を基礎として、その商業システムを継続的に発展させてきた。とりわけ、金融法の安定性・明確性は、法の枠組みの下で生成する債権や有価証券等を主たる取引対象とする金融産業の発展にとって、必須の前提条件を提供してきたとも言えよう。一方、国際取引において第三国法として英国法が準拠法とされることや、英国の裁判所による管轄が合意されることは現在も頻繁に見られ、これが英国のリーガル・マーケットの拡大にもつながってきた。シティと英国の法曹界は、いわば車の両輪として補完し合い、英国の長期的な繁栄を支えてきたのかもしれない。

 マグナ・カルタの制定から800年が過ぎようとしているが、英国では、法の支配の在り方に関する議論が今なお活発に行われている。長い年月の中で、商業・金融の在り方の変容に対応しながら、法の支配を継続的に発展させ、新しい時代を切り開いてきた英国の法曹の姿勢には学ぶべきものがあるように感じる。

 ・最後に

 日本のものづくりの技術は世界最先端であり、日本製品の国際競争力は高い。また、金融業を含むサービス業の質に対する国際的評価も高いと思われる。我が国の産業を、今後も長期的に維持・発展させていくために求められている法曹の役割は何か――まだまだここで学ぶべきことは多そうだ。