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連載小説8回表:コンビニ本部直営の最新大型店で

滝沢 隆一郎

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 「ベイライツ、調子を取り戻しましたね」

 「そうだといいですわ。でもうまくつづくかしら」

 「あまり嬉しそうじゃないみたいですね」

 「いえ、そんなことはありません」

 中島は球団事務所で久しぶりに木村亜矢子室長に声をかけた。調査委員会はすでに散会終了したが、シーズン終了まで見届けろとの植田オーナーの命令で、神戸と東京を行ったり来たりしている。

 結局、調査委員会は、前回の方針どおり、不正の事実は判明しなかったと結論づけたのだ。限られた時間と捜査権限のない調査の中で得られた情報を前提に、飛ぶボールの具体的証拠が見つからなかったこと、一部選手の中に、飛ぶボールが使われていると信じた選手はいたが、好成績はプラセボ(偽薬)効果であると思われること、もともと書き込みを行ったブログ主は身元が判明しなかったこと、インターネットの記事を書いた人物とも連絡が取れなかったことなどが報告書に記載されていた。

 ネット上では納得いかないという書き込みも多かったが、人の噂も七十五日、その後に発覚した人気選手と暴力団関係者のつきあいにメディアの関心が移り、調査報告書が大きな話題となることは不思議なほどなかった。

 「お忙しいようですね」

 「ええ」

 「なんだか疲れているように見えますよ」

 「そんなことありません。中島さんの気のせいです」

 「お昼はどうするんですか」

 「スポライのお弁当にします」

 よそよそしく感じるのは気にしすぎだろうか。このところ、木村室長は忙しく書類の整理をしている。3Dsへの球団売却を前提に、予め資料を準備しておくよう命じられているのだろう。段ボールの搬出入など荷物の整理もしているようだ。

 会社間で球団売買について基本合意が成立すれば、正式な売買金額を決定するため、シーズン終了を待って、デューデリジェンスが行われるはずだ。略称デューデリでは、秘密保持契約を結んだ上で、買主側によって決算書上の資産や負債の実態調査が行われ、関係するすべての契約書のチェックや担当者からのヒアリングが集中的に行われる。

 デューデリには、恐らく3Dsが依頼した弁護士、公認会計士らが多数乗り込んでくるのだろう。中島はスポライが企業を買収する側で関与したことがある。そのときに有名法律事務所の若い弁護士が、毎日、大量の契約書の定型的なチェックばかりで、能力や経験値が上がるわけではないとこぼしていた。彼らが依頼会社に請求する時間単価と報酬総額が仕事の内容に見合わないほど高かったことも覚えている。

 中島は木村室長とともに球団事務所と通じているベイライツホテル内のスポライ店舗に昼食を買いに行った。さすがに本部直営の最新大型店だけあって、店舗内の照明は明るく、内装もきれいで清掃も行き届いている。見たところ、店員の制服は新品同様きれいにクリーニングされている。

 店長、チーフクラスの日本人の他に、アジア系の女性と白人の若い男性が働いているのがわかる。街場のフランチャイズ店の中には、外国人留学生のアルバイトばかりの店が少なくない。しかし、この店は、ホテルに宿泊する外国人観光客を意識して、中国語と英語でも対応できるスタッフを積極的に配置しているのだろう。レジ前の行列の並び方もわかりやすく整然としている。

 不慣れな外国人客が来ると在庫補充中の店員が応対し、他の客に割り込みをさせたと言われないよう配慮しつつ、英語ができるレジへと巧みに誘導していた。工場のベルトコンベアのように正確にダブルプレーをとる内野守備練習を中島は思い出した。

 以前、中島は木村室長に、コンビニはあらゆる効率化・合理性を追求したビジネス形態だと説明したことがある。それはフランチャイズ制度、新商品開発、店舗ロジスティックス(商品搬送)だけではない。本来、店舗でのささいな配慮にまで行き届くべきものだ。店舗サービスの基本の3つのS、「品揃え」「接客」「清潔」、すべての点で合格してはじめてお客様の信頼を得られる。それでこそ、「コンビニは街のスポットライト。輝く主役はあなたです」というスローガンを胸を張って言えるのだ。企業のトップから各店舗の店員まで、お客様本位の姿勢を忘れたときに、店舗や取引業者への不利益の押しつけや来店客へのサービス低下が起きてくる。

 中島はレジ対応に感心しながら、そんなことを思っていた。弁当やおにぎりをカゴに入れて列に並んでいた木村室長がレジ近くまで来た。

 「ぼーっと立って、どうしたんですか。中島さんの分もと思って、新商品の特産弁当と、おにぎり2個を持ってきましたけど、どちらになさいますか」

 「あ、あ、すみません。私はおにぎりの方をいただきます。ありがとう」

 「健康のため、野菜ジュースもどうぞ」

 やはり、この人は気を回せる人なのだと思う。

 「悪いから、お昼代は私が出しますよ」

 「お気遣いには及びません、中島さん。それに、私のスポライカードはキャッシュレスですから」

 そう言うと、木村室長は読み取り機にワンタッチして支払いを済ませてしまった。中島は店員からレシートを受け取り、自分の商品代を現金で彼女に渡した。

 大手コンビニ・チェーンでは自前のポイントカードを発行し、来店客に加入を勧めている。客の側はカードを使えば会員値引きや利用金額に応じたポイントを貯めて使えるメリットがある。コンビニ側にとっては、カードの利用客になるべく自分のチェーン店だけを使ってもらい、他のチェーン店へ流れないようにする囲い込みが主目的だ。

 業界1位のセブンスイベントでは、店舗内の自社銀行ATMと連動したセブンスカードを発行しているし、他の大手チェーンもさまざまな機能と特典を設けている。スポライでは、ポイントがつくだけの白カードとお財布機能やクレジット機能を持つ青カードを発行している。キャッシュレス化によって、利用客は財布の中の現金や小銭を気にしなくてよい。

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 2人はスタジアム外周にある公園のベンチに腰を下ろした。毎日、昼休みにおにぎり片手でパソコン仕事はよくないと中島が言って、半ば強引に木村室長を連れてきたのだった。

 それに今日は雲ひとつない秋晴れだ。疑惑調査のために、最初に神戸に着いた夕方は、あんなに暑かったのに、季節の移ろいとは何と速いのだろう。あの日の夜、球団事務所で、木村亜矢子に出会い、心奪われた自分がいる。

 「木村室長は、ホームゲームのときは、だいたい試合も見ているんですか」

 「ええ、何でも勉強させてもらおうと思っています」

 「夜遅くまで大変ですね。さすが未来の球団社長さんだ。前からお聞きしたいと思っていたんですけど、例の飛ぶボールの話、木村室長も、何かおかしいなと気づいたことはなかったんですか」

 「ええ、まったくわかりませんでした。私が知っていると言っても、観客向けのイベント企画やパソコン上の売上げ数字ばかりです。野球の道具や現場のことは、まったく知らなかったし」

 「そっか。そうですよね」

 残念ながら、彼女の答えは予想どおりだった。中島は、ひと呼吸置いた。

 「木村室長がアメリカで学んだ球団経営学っていうのも、パソコンの計算が中心なのですか」

 「そうとも限りません。いろいろですね」

 「パソコン以外には、どういうことをするのですか」

 「そうですね。一言では難しいですけど、収入を上げる具体的なサービス、例えば、観客増員アイデアとか、ファンクラブ会員を対象にしたイベントなんかも実例を学びました」

 「そうすると、最近、ベイライツが行っている企画は、久松社長というより、木村室長の発案が多いのですか」

 「いえいえ、久松社長はああ見えて、部下の意見をよく採り上げてくださる方ですし、いろいろなアイデアをお出しになります」

 木村室長は、久松社長の言動に疑問を持っている様子はなかった。中島は、話題を変えた。

 「えっと、留学した大学は、メジャーの球団のある都市でしたっけ」

 「イチローのいるシアトルです」

 「そうなんだ。行ったことはないけど、なんだかいい街ってイメージがありますね」

 「夏はさわやかで気候もおだやかなところです。港町ですし、もしかしたら、神戸に似ているかも知れません」

 「休みが取れたら、行ってみたいな」

 「奥様、喜びますよ」

 それには答えず、中島は青い空を見上げた。仕事も家族も何もかも放り出して、木村亜矢子と旅行できたら、楽しいだろうなと思う。もちろん、ありえないことだ。別に彼女を誘っているつもりもないし、彼女にその気がないこともわかっている。それでも、ときに男は願望とも妄想とも違う、はかない夢を見たくなることもあるのだろうか。

 「そう言えば、木村室長は何県の出身なんですか」

 「どうして、そんなことを聞くんですか」

 質問に質問で答えるのは、積極的に答えたくないときの常套手段らしい。

 「いや、いつもきちんとしているから、しっかりしたご両親に育てられたんだろうなって思ってね」

 「実家は福島県です。でも、大学から東京に出て来ましたし、両親はずいぶん前に亡くなりました」

 「それは、済まないことを聞きました」

 「いえ」

 短く言って、木村室長は目を伏せた。それ以上

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