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トルコ・イスタンブールの日本人弁護士

宮 健太郎

アジアとヨーロッパの交差点で催涙ガスに遭遇

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 宮 健太郎

1.はじめに

宮 健太郎(みや・けんたろう)
2001年3月、京都大学法学部卒。2001年4月から2005年3月まで株式会社三井住友銀行勤務。2008年3月、東京大学法科大学院修了(法務博士 (専門職))。2009年12月、司法修習(62期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年1月、当事務所入所。2013年4月から7月までイスタンブールのPaksoy法律事務所に出向。2013年7月、当事務所復帰。
 昨年(2013年)の4月から7月まで、トルコ・イスタンブールで勤務した。当事務所と親しいPaksoy(パクソイ)という法律事務所に出向し、約3ヶ月間、トルコ人の中で働いた。

 トルコに駐在する初の日本の弁護士ということで、パクソイのメンバーのみならず、現地駐在の日本人からも歓迎してもらった。私の派遣は一定の成果を収めることができたようで、現在は当事務所から2人目が赴任している。

 私のトルコとの最初の出会いは、2011年秋にトルコを半周するパックツアーに参加したことであった。その時にはもちろん、1年半後にトルコに赴任することになるとは夢にも思わなかった。その旅行中に抱いたイメージは、赴任後も大きく変わることはなかったが、実際に現地で勤務して初めて分かったこともある。本稿では、旅をするだけでは分からない現地の実情について、分かりやすくお伝えできればと思う。

2.イスタンブールでの一日

 まずは、イスタンブールでの典型的な一日について、朝から順を追って見ていこう。

 イスラム教国での一日の始まりと言えば、エザーンと呼ばれる礼拝への呼びかけだろう。1日に5回モスクからスピーカーを通じて流れるが、その第1回目が日の出前から大音量で街中に鳴り響く。最初は時差ボケもあり目が覚めてしまっていたが、1週間で慣れ、以後は全く気にならなくなった。

毎朝パンを買っていた屋台のおじさん
 朝ごはんは焼き立てのパン。それを家の近くの屋台で買ってそのまま事務所に向かう。このパン、素朴な味でかなり気に入っていたのだが、その柔らかさは数時間しか持たない。夕方ころには硬くなってしまうため、翌朝の分を買い置きすることはできない。毎朝同じパンを買っているうちに屋台のおじさんに顔を覚えられ、何も言わなくてもそれを袋に詰めてくれるようになった。

 通勤には地下鉄を利用した。通勤路線は、開通(延伸)してからまだ5年ほどしか経っていないため、新しくてきれいであった。しかも、まだまだ自動車通勤が主流のため、ビジネス地区行きであるにもかかわらず、空いていて座れることも多かった。本数は東京の地下鉄と同じくらいあるし、終電の時間も日本と同様で、利便性も遜色ない。

パクソイが入居しているビル。入口のゲートは虹彩認証で開く仕組みになっている。
 事務所に着いたら、買っておいたパンを頬張りながらメールチェックを始める。当時は夏時間だったため、日本時間より6時間遅い。したがって、朝から日本からのメールが溜まっていることも多かった。

 ちなみに、PCのキーボードは、日本から持っていったものを使っていた。トルコ語は、アラビア文字ではなくアルファベット表記なのだが、ドイツ語のようにウムラウト付きの文字や、フランス語のようにCの下にニョロ(セディーユ)が付いた文字も使われる。それらの文字に対応したトルコ語キーボードは、英語キーボードと微妙に配置が異なり、ブラインドでタイプできないからである。

 夜は自宅近くの食堂で食べることが多かった。深夜12時以降も開いている食堂が多く、日本にいた時より便利だった。イスタンブールの街中ではほとんど英語が通じないため、最初の頃は特に、カフェテリア形式の食堂に行くことが多かった。食べたい料理を指差せば、とりあえず分かってもらえるからである。

3.トルコの食と酒

 トルコ料理は基本的にうまい。新鮮な野菜もふんだんに使われているので、栄養が偏ることもない。和食と比べると油っこいので、よく胃がもたれたが、トルコめしに飽きたことはなかった。

 トルコ料理といえば、シシ・ケバブやドネル・ケバブなどを思い浮かべる人が多いだろう。その通り、トルコの伝統料理には羊肉が使われることが多い。もっとも、羊肉は匂いが強いため、家庭料理で使われることは減ってきているらしい。羊肉は、ちゃんと下処理をしているレストランであれば問題ないのだが、安い食堂だと癖があることも多いため、私は鶏肉を選ぶことが多かった。シシ・ケバブやドネル・ケバブには鶏肉ヴァージョンもあり、それを野菜とともに小麦粉の生地で包んだデュリュムという食べ物が好物であった。

 トルコ人の99%がイスラム教徒と言われているが、イスタンブールなどの都市部では飲酒は普通に行われている。ただ、全国的に見ると、全く飲まない人の方が多数派らしい。現地でよく飲まれているお酒としては、ビール、ワイン、そしてラク(ぶどうから作られる蒸留酒)がある。いずれもトルコ国内で生産されているが、酒税の税率が高いため、やや割高である。

 変わった飲み物として、アイランというヨーグルト飲料がある。これは日本の「飲むヨーグルト」に近いが、甘味が加えられておらず、代わりに塩味が付けられている点が異なる。最初は受け付けなかったが、徐々に違和感なく飲めるようになった。なお、日本で日常的に使われている外来語でトルコ語由来のものはほとんどないが、「ヨーグルト」は実はその一つである。

4.トルコ人の特徴

 トルコ人はのんびりお茶をするのが大好きである。これは全国共通のようで、どの地方に行っても外でお茶(現地ではチャイという。)を飲みながらおしゃべりをしているおじさん達を見かける。(女性たちは家の中でスイーツを食べながらお茶をしているようである。)パクソイでも、事務所の中で同僚の弁護士の部屋に行くと、まず座らされ、間もなく熱いチャイが出てきたものだった。

 ただ、トルコ人がいつものんびりしているのかと言うとそうではない。移動時の彼らは、人が変わったようにせっかちになる。元々の骨格が良いせいか、彼らの歩くスピードはとてつもなく早い。私は大阪人で、その中でも速い方だと自負しているのだが、トルコではどれだけ頑張っても追いつけない人が多くいた。日本とトルコの差がよく表れていたのが、駅などにある下りエスカレーターだった。日本では、片側が立つ人用、もう片側が歩く人用という運用がなされていることが多い。これに対してトルコでは、片方が歩く人用、もう片側が駆け下りる人用になっていることが多かった。

 イスタンブールは、近年人口が急増しており、現在の人口は1400万人を超えているが、交通インフラの整備が全く追いついていない。渋滞のひどい都市として世界的に有名であり、ワースト1の座をモスクワと争っている状況である。せっかちな彼らが渋滞にイライラしながら運転しているので、当然、運転マナーも悪い。朝夕のラッシュ時にタクシーに乗ろうものなら、急加速・急減速や車線を無視したすり抜けなどは当たり前、隣車線のわずかなすき間も見逃さない芸術的な運転テクニック(日本語では割り込みとも言う。)を目にすることができるだろう。

 ビジネスに関しては、「先のことを深く考えない、その反面、決断が早い」というのがトルコのビジネスマンの特徴だと思う。日系企業の場合、ボトムアップでの決裁となり、意思決定に時間がかかってしまうのが通常だと思われるが、そのような行動様式はトルコでは理解されない。トルコでビジネスを展開したいと考えているのであれば、このスピード感の違いについてまず理解しておく必要があるだろう。特に、民営化やM&Aのビッド(入札)案件では、厳しい入札期限が設けられているため、日本の感覚でやっていては入札すらできないという事態さえ起こり得る。

5.デモと催涙ガス

ゲジ公園で座り込みを続ける人々(2013年6月8日撮影)
 既に過去の出来事になりつつあるが、2013年5月下旬から6月にかけて、イスタンブール新市街の中心にあるタクシム広場とその隣にあるゲジ公園を舞台に、反政府デモと座り込みが行われた。主体となったのは、イスラム教色の強い政策を推し進めるエルドアン首相に反対する世俗派の若者たちであった。警官隊がこれを制圧するために用いたのが催涙ガスである。催涙ガスは、ペッパーガスとも呼ばれ、文字通り涙が止まらなくなるほか、吸い込んだ後に一時的に呼吸困難になったこともあった。

ゲジ公園に設けられた青空図書館(2013年6月8日撮影)
 催涙ガスは、撒かれた後数時間にわたって残留し、風向きによっては1キロメートル以上先まで流れて行く。私は、ゲジ公園から徒歩10分のアパートに住んでいたため、付近まで催涙ガスが流れてくることもあった。そのような時には、予め道端の露店で買っておいたマスクと本来は水泳用に日本から持って来ていたスイミング・ゴーグルが役に立った。なお、警官隊との衝突後には、生レモンを手にしている者や道端に捨てられたレモンをよく見かけた。日本では知られていないが、催涙ガスによる症状の緩和にレモン果汁が効果的と言われているためである。

ゲジ公園に続く道路に築かれたバリケード(2013年6月8日撮影)
 先行してデモに参加していたパクソイの同僚から誘いを受け、私も恐る恐る現地に行くようになった。デモは、警官隊との衝突や催涙ガスさえなければ、平和なお祭りのようであった。日本でデモと言えば、横断幕を掲げて道路を行進している姿や役所等の前で抗議のシュプレヒコールを上げている姿が目に浮かぶが、現地ではただ単に公園内に座って仲間内で飲んだりしゃべったりしているだけという人が多かった。デモ期間中、ゲジ公園周辺では屋台が至る所に出ており、ケバブ・サンド、ピラフ、スイカやビール等を販売していた。昼夜問わず木々の下に人が集まっている様子は、花見の時期の日本の公園の雰囲気に似ていた。

時折行われたデモ行進の様子(2013年6月8日撮影)
 このデモが、3ヶ月の出向期間で最も印象深い出来事であった。私自身も催涙ガスに見舞われたりもしたが、若いエネルギーを体感でき、結果的にトルコ人の同僚たちと仲良くなることができて、個人的にはよい経験だったと思っている。

 トルコが早く政治的安定を取り戻すことを願っているが、この時に感じた若いエネルギーを二度と体感できなくなるのはちょっぴり寂しい気もする。