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原発を続ける資格:東電の原子力技術者トップ、姉川常務にインタビュー

奥山 俊宏

 我々に原子力発電を続ける資格があるのだろうか――。東京電力常務で原子力技術者のトップ、姉川尚史さんはこの3年間、そう自問し続けてきたという。昨年8月に東京工業大学で開かれたシンポジウムで、福島第一原発のかつての津波想定の甘さについて「恥ずかしい」と述べ、「謙虚さが足りなかった」とも語った。その真意を聞いた。

▽聞き手・構成: 奥山俊宏

▽この記事は2014年3月29日の朝日新聞オピニオン面に掲載された原稿に加筆して再構成したものです。

 

姉川 尚史(あねがわ・たかふみ)
 1957年生まれ。83年、東京大学工学部原子力工学科で修士課程を修了し、東電入社。原子力建設部などで技術者としてキャリアを積み、2002年から9年間は電気自動車を担当。震災後に原子力部門に戻り、原子力設備管理部長などを経て2013年6月から常務執行役。原子力改革特別タスクフォース事務局長と原子力・立地本部副本部長を兼務。
 2013年8月3日、東京工業大学で開かれたシンポジウム「原子力は信頼を回復できるか?」で、姉川さんは講演し、福島第一原発の津波想定の甘さを指摘した。

 「原子力のエンジニアにとって、放射能が環境に大量に放出されてしまうような炉心溶融事故は、100万年に1回以下の発生頻度となるように対策を取るべきであることは常識となっております。津波を考える上でも、当然『100万年に1回の津波ってどんなものだろう』と考えるべきであったわけです。ところが……」

 東電は1966年に福島第一原発1号機の設置許可を佐藤栄作首相に申請した。その際、1960年のチリ地震の際に福島県いわき市の小名浜港で観測された潮位3.12メートルを「最高潮位」として設計条件とした。「100万年に1回」ではなく、わずか6年前の津波だった。国の審査でもそれが認められた。

 「提出した方も提出した方だと思いますが、よくこの申請が通ったなと今でも恥ずかしくなってしまいます。当時としては、それが技術の知見の最善だったのかもしれません。そうはいっても、そういう想定の甘さがあって全電源喪失になったのが問題だと思っています」

 昨年10月から今年2月にかけて複数回、姉川さんにインタビューし

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