メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「メディアは特捜応援団。その支えを失ったら検察は終わり」と言った検事

(8)ロッキード事件公判

村山 治

 ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「特捜検察のエース」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さん(62)と元朝日新聞記者の松本正さん(68)に、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。第8回の本稿では、田中角栄元首相との全面対決となったロッキード公判に必勝の覚悟で臨んだ検察とそれを伝えたメディアの報道姿勢を中心に論じる。

●ロッキード公判の緊張感とメディア

朝日新聞、毎日新聞、NHKでかつて「検察のレジェンド」を取材した記者たちが集まり、特捜検察とその報道、それらの裏の裏を今だから語り尽くす。左から村山治(毎日新聞から朝日新聞)、小俣一平(NHKから東京都市大学)、松本正(朝日新聞から中央大学)の各氏。東京都八王子市の中央大学多摩キャンパスで。
 村山:新潟の片田舎の高等小学校卒で苦労して首相にまで昇り詰めた田中角栄元首相は、検察に逮捕されても、へこたれませんでした。刑事被告人となり、政権与党である自民党を離党した後も、相変わらず自民党最大派閥の領袖であり、政界きっての実力者でした。
 ロッキード事件摘発後に行われた総選挙で大量票を獲得して当選すると、政治力と金力をフルに使って派閥を拡大し、1985年2月に脳梗塞で倒れるまで日本の政治に君臨しました。大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の歴代の政権作りにかかわり、「キングメーカー」、「闇将軍」と呼ばれました。
 公判では起訴事実を徹底的に争い、一審の裁判は1977年以来、足掛け7年の長丁場になりました。そして、文字通り、法廷が事件の真相を解明する舞台となり、同時に、検察の捜査に対するチェックの場ともなりました。
 国民の関心は高かった。それに応えるべく、
・・・ログインして読む
(残り:約12666文字/本文:約13299文字)