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「明るみに出れば政権が崩壊しかねない疑惑」に消極的だった理由

(9)P3C、E2C、ダグラス、グラマン、エントリーフィー

村山 治

 ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「特捜検察のエース」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さん(62)と元朝日新聞記者の松本正さん(68)に、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。第9回の本稿では、ロッキード事件の最大の焦点といわれた対潜哨戒機P3C導入をめぐる疑惑や、3年後に発覚したダグラス・グラマン事件について、特捜検察が解明しきれなかった事情を語る。

●ロッキード事件の本命とされたP3C疑惑

村山 治(むらやま・おさむ)
 朝日新聞記者。
 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。
 村山:ロッキード事件は、謎の多い事件でもありました。検察の捜査は、ロッキードがかかわる疑惑の全容を解明したわけではありません。その中で最大の積み残しといわれているのが、前回も話に出たロッキード社製の対潜哨戒機P3Cの海上自衛隊への導入をめぐる疑惑です。

 小俣:そうです。吉永さんの捜査資料を見ると、特捜部も、捜査を始めたころは、P3Cルートを本筋と見ていたようです。

 村山:防衛庁(現防衛省)の久保卓也防衛事務次官が海上自衛隊によるロッキード社製対潜哨戒機P3Cの導入問題で爆弾会見を行ったのは、ロッキード疑惑が発覚して4日後の1976年2月9日でした。
 首相の諮問を受け国防の基本方針、防衛計画の大綱などを審議する国防会議(現国家安全保障会議)はその4年前の1972年10月9日、対潜哨戒機と早期警戒機の国産化方針を、突然、

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