2014年11月12日
西村あさひ法律事務所
弁護士 森本 大介
富裕層が海外に移住する場合、海外において在留資格を取得する必要があるのが通常である。在留資格の種類や取得要件は国毎に異なるところではあるが、例えばシンガポールの場合、就業を伴う在住の場合のオプションとしては、①労働許可証(Work Permit)、②雇用許可証(Employment Pass)、③Sパス(S Pass)、④個人雇用許可証(PEP: Personalised Employment Pass)、⑤研修雇用許可証(Training Employment Pass)、⑥雑務労働許可証(Miscellaneous Work Permit)、⑦エントレパス(EntrePass)、⑧ワークホリディ許可書(Work Holiday Pass)が存在する。これらのオプションについては、それぞれ取得に必要な条件や行うことのできる業務内容が異なることから、移住後に想定している労働の形態に即して最良のオプションを検討することになる。
また、海外に移住した富裕層の中には、永住権を取得し、あるいは日本国籍を離脱し、海外での国籍の取得を希望する者もいると思われる。永住権と比べ、国籍の取得は一般的には容易ではなく、また、その要件も国毎に異なるところであるが、注意をしなければならないのは、日本の場合、国籍法で二重国籍は認められていないため(国籍法11条)、外国国籍を取得した場合、日本国籍から離脱することが必要となる点である。なお、日本国籍を離脱した場合、日本国民に適用される権利義務が適用されなくなる反面、新たに国籍を取得した国における権利義務に服することになる。例えば、シンガポールの場合、徴兵制が存在する上、永住権取得者の2世についても徴兵制の適用対象となる等、日本とは異なる国民の義務も存在するため、国籍の選択に際しては、メリット・デメリットを踏まえた慎重な検討が必要となろう。
海外で法人等を設立し、ビジネスを行う場合、日本における場合と異なる規制等があるため、注意が必要である。例えば、アジア諸国においては、事業の形態如何では100%外国資本の法人で営むことが許されないケースがしばしばあり、その場合、現地企業や現地人に少数株主として資本参加してもらうことが必要となる。
また、例えば、香港などの場合、不動産について「所有」の概念がなく、長期間の賃借権の設定のみが認められている(なお、中国やミャンマーなど、不動産の所有を禁止している国は比較的多く、香港のみが例外的というわけではない)。富裕層の中で、海外での不動産事業を考えている者にとっては、これらの規制に注意することが重要である。
さらに、現地において契約を締結する場合、準拠法や契約書の言語など、細かな点にも逐一配慮が必要である。万が一紛争になった場合、当事者が意図していた効力が発生しないケースや、紛争解決の際に不利な立場に追い込まれるケースなども想定される。
富裕層が海外に移住する場合、移住先の国においてどのように財産を管理するかという点が重要なのは当然であるが、富裕層の中には、日本にも財産を残したまま、海外に移住することを選択する者もいるであろう。その場合、日本に残した財産の管理が問題になる。例えば、日本の証券会社に口座を開設して上場有価証券を保有しているような場合において、海外に移住する場合には、口座の閉鎖あるいは常任代理人の選任を求められるのが通常であり、この点の対応が求められることになる。その他、不動産等の管理のため、不在者財産管理人を選任するのか、あるいは、信頼できる第三者に(事実上)財産の管理を委託するのか等々検討が必要である。
海外に移住した富裕層にとって、最も身近な問題としては、親族法や相続法を巡る問題が考えられる。
親族法の問題としては、国際結婚や国際離婚の問題があり、例えば日本国籍を有する富裕層が日本以外の国籍を有する者と結婚した場合、国際結婚ということになる。国際結婚自体はそれほど珍しいものではなく、法定の手続を踏めばよいだけであるが、より問題になるのは、離婚の場面である。国際結婚をした富裕層が離婚をする場合、そもそもどこの国の法律が適用されるのかが問題になる(いわゆる準拠法の問題)。法の適用に関する通則法(以下「通則法」という)25条は、婚姻について、「婚姻の効力は、夫婦の本国法が同一であるときはその法により、その法がない場合において夫婦の常居所地法が同一であるときはその法により、そのいずれの法もないときは夫婦に最も密接な関係がある地の法による」と規定し、同27条は、「第25条の規定は、離婚について準用する。ただし、夫婦の一方が日本に常居所を有する日本人であるときは、離婚は、日本法による」として離婚の場合に通則法25条を準用している。注意すべきなのは、通則法27条但書の規定が海外への移住者には適用されず、仮に海外において常居所を構えている場合においては、当該国の法律が適用されることになる点である。国によっては離婚を厳しく制限している国もあるため、海外に在住している国際結婚をした富裕層においては、離婚が容易に認められない可能性があるという点にも留意が必要である。他にも、例えば離婚した夫婦に子供がいるような場合においては、親権を巡り争いになることが多く、日本人の親が日本に子供を連れて帰国した場合において、刑事犯罪で訴追される可能性もあるため、留意が必要である。なお、子の連れ戻しに関しては、日本でも、2014年4月1日付けで「国際的な子の奪取についての民事面に関する条約」(ハーグ条約)が発効しており、親権を巡る争いについては当該条約に基づき判断されることになる。
また、海外に移住した富裕層の場合、相続に関しても留意が必要である。通則法36条は、「相続は、被相続人の本国法による」と規定しており、海外に在住する日本人が被相続人となった場合においては、日本の民法の適用がありそうにも思われるが、他方で、シンガポールのInheritance (Family Provision) Actは居住地主義を採用しているため、仮に日本人がシンガポールに永住しているような場合には、シンガポール法が適用される可能性もある。相続に関してどこの法律が適用されるかによって、寄与分や遺留分の考え方も異なってくるため、相続財産の管理のみならず、事前に遺言を残しておく等の対応が重要になってくる。
生活の本拠を日本国外に置く場合、現地で刑事事件に巻き込まれるリスクもあり、その場合の対応は非常に重要である。日本の場合、刑事事件に関しては厳格な手続が定められており、例えば、逮捕・拘留や証拠の捜索差押えなどについては、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の規定に則って行われることが保証されている。一方で、日本以外の国においては、日本における刑事手続の常識とは異なり、捜査機関の裁量が大きかったり、あるいは逮捕・拘留が比較的簡単になされたりすることもあるので、留意が必要である。
例えば、富裕層にとって魅力的な移住先の一つであるシンガポールなどは、日本に比べて捜査機関の権限が大きく、また、日本の感覚では軽微と思われるような事項でも厳罰に処せられることがある。具体的には、ガムを持ち込んだり、公共の場でシンガポール以外の国旗を掲げたり、あるいは地下鉄内で飲食をしたりといった行為ですら犯罪になるという点には十分な注意が必要である。極端な話、サッカーの試合を観戦し、興奮して日本の国旗を掲げながら路上を駆け回ったりした場合、逮捕されるリスクがあるのである。
このような刑事手続については、嫌疑を受けて逮捕・拘留された際にはとにかく急いで優秀な弁護士を確保することが重要であるため、トラブルに巻き込まれる前の段階で、いざという時に頼りになる弁護士と密な関係を築いておくことは、重要である。
以上概観してきたように、日本人の富裕層が海外に移住する場合、いわゆる租税回避のような税務上の問題のみならず
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