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バークレーとワシントンD.C.で暮らして感じた違い

久保田 淳哉

米国西海岸・東海岸、そして東京に暮らして

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
久保田 淳哉

久保田 淳哉(くぼた・じゅんや)
 2005年3月、東京大学法学部卒業。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2012年5月、米国University of California, Berkeley, School of Law(LL.M.)。同年9月から2013年7月にかけてWilson Sonsini Goodrich & Rosati法律事務所勤務。2013年6月、ニューヨーク州弁護士登録。同年9月、当事務所復帰。
 私は2011年から2012年にかけて、米国カリフォルニア州に所在する大学に留学し、その後2012年から2013年にかけて、米国ワシントンD.C.に所在する法律事務所で勤務し、昨年秋に東京に戻った。学生と弁護士という立場の違いはあるが、米国西海岸、東海岸で1年間ずつを過ごした経験からくる雑感を、(法律とはあまり関係がない)思い出を振り返りながら書いていこうと思う。なお、事実に関する部分も評価に関する部分も、私の狭く、また短い経験に基づく独断と偏見によるものであることをご承知いただきたい。

1.気候

 これは確実に西海岸に軍配が上がる。私が西海岸時代に滞在したのはバークレーというサンフランシスコから電車で(たしか)20分くらいの街だったが、短い雨季を除いて雨に降られたという記憶がほとんどない。たまに降っても、人々はパーカーのフードをかぶるとか、傘以外の方法で雨をしのいでいた。私もバークレー時代は傘を持っていなかったように思う。ワシントンD.C.ではそれなりに雨に降られたし、私も傘を常備していた。

 カリフォルニアの気候はとにかく陽気だった。湿度が低いためか、カンカン照りであっても、日陰に入ると必ず涼しい。東京のように、日陰に入っても暑さから逃れられないのとはまったく違う。他方で、ワシントンD.C.の気候は東京と似たようなものという印象がある。個人的には、この気候の違いは個人の性格の形成に大きな影響を及ぼすように思う。もちろん、ワシントンD.C.にも陽気な人はたくさんいたが、彼ら・彼女らはきっと西海岸出身だったのだろう(すみません)。

2.建物

 カリフォルニアの、特にシリコンバレーと呼ばれる地帯の建物は、階層が低い。土地が広いため階層を積む必要がないということかもしれない。私の研修先の法律事務所は、パロアルトという都市にあり、かの有名なスタンフォード大学(私の留学先ではない)の近くに本社を構えていた。そこに一度遊びに行く(いや、仕事をしに行く)機会があったが、非常に多くの弁護士を擁する割に、オフィスは2階建てであった。もちろん棟は複数あり、敷地はまるで大学のように広々としていた。これでいて上記のような気候なのであるから、アフターファイブがもしもあるのであれば、充実したものになることは疑いがない。ただ、悲しいかな、シリコンバレーの弁護士たちは(も)ハードワーカー揃いである。

 ワシントンD.C.は、私の勤務先が都市部であったためか、東京と似た雰囲気の、ビルが立ち並ぶ印象を持っている。こちらで印象的だったのは、多くのビルの屋上部分に、星条旗がひるがえっていたことである。祝日とか特別な日とかそういう類のものではなく、毎日、星条旗が飾られていた。これは首都であるという性質上そうであったのだろうな、と思っている。星条旗と言えば、私は研修内容が独占禁止法関係であったため、ワシントンD.C.所在の米国司法省(デパートメント・オブ・ジャスティス、改めて書くとすごい名前である)のオフィスに行く機会が何回かあった。お国柄、入館時にはパスポートの提示と共に入念なボディ・チェックを受けるのであるが、受付には、オバマ大統領と司法省長官の大きな写真(又は肖像画)が、これまた星条旗と共に、立派に掲げられていた。日本でも裁判所や省庁に行く機会はよくあるが、日の丸はさておき、トップの写真が大きく受付に飾られているところはついぞ見たことがない。お国柄である。

 せめてお仕事らしいことが書ける部分がここであるので少し膨らませると、米国では、弁護士資格の間口が広いためか、米国の独占禁止法弁護士は、司法省やその他独占禁止法関連の役所で経験を積んだ後に弁護士事務所に就職する人が多いように思う。日本では司法試験と公務員試験を両立させるのが難しいためか、はたまた需給の関係か、任期付公務員制度は別として、公正取引委員会でキャリアをスタートさせてその後に弁護士業界に入るというルートは一般的ではないように思われるが、米国では数年後の弁護士業界入りを見据えた公務員就職も一般的なルートとして市民権を得ているように見受けられる。

3.政治

 ワシントンD.C.の人々は、政治を語るのが好きであった。同僚にハンバーガー店に連れていってもらったところ、当時は大統領選のただなかであったのであるが、大統領と副大統領候補の名前がついた4つの名前のハンバーガーが売られていた。私は名前に関係なく一番おいしそうなものを注文したのだが(名前は伏せる)、同僚たちはそれをきっかけに大いに大統領選、ひいては今後の米国の政治について語り合っていた。

 カリフォルニア、とりわけ私の滞在したバークレーは、とてもリベラルな政治的気風を持ったところであった。例えばバークレー市議会は、過去に対イラク戦争反対決議を全会一致で採択している(ことの当否を論評する意図は毛頭ない)。ワシントンD.C.がいわば中心部での政治談議であるとすれば、カリフォルニアでは、それを遠くに見ながらこれまた自由闊達な議論がされているのだな、という印象を持った。

 西海岸、東海岸を問わず、日本における政治の生活での位置付けを考えさせられた2年間であった。

4.人々

 カリフォルニアでもワシントンD.C.でも、とても親切な人々に多く会うことができた。この点は西海岸・東海岸で変わりはない。アメリカ人の、親切心を行動に移す素早さ・自然さは驚くべきものがあり、カリフォルニアで、観光客が地下鉄の改札で詰まった瞬間に周りの(無関係な)2、3人の若者が手を差し伸べていたことに遭遇したことがある。

 アメリカ人は、表現しづらいが、一口で言うとおおらかである。留学先で必修であった米国憲法の授業で、教授が言っていたことが思い出される。「アメリカ人は困難に出会った時、まず笑い、そしてそれを跳ね返す。それはきっとうまくいくのに時間がかかるが、アメリカ人をへこたれさせるのは難しい。我々はそういうように出来ている。」

 ただ、公共サービスの質は「・・・」である。何度電話口で、窓口でケンカしたことか。アメリカ人もこの意見には変わりないというから、これもまたお国柄であろう。

5.東京

 2年間の海外生活中、一度も日本に戻ることはなかったため、東京に帰った時はほぼ2年ぶりの帰国となった。帰りの日系航空会社のサービスや、税関での忘れ物への対応など、ああ、日本に帰ってきたのだな、と思った次第である。帰国から1年強が経ち、既に米国生活の記憶は忘却の彼方に行ってしまっていると思っていたが、この原稿を書くにあたり思い出してみると、思った以上に色々と覚えていることが多く、自分でも驚いている。

 米国滞在を経た後に感じる日本の良さは、治安の良さ、に尽きる。深夜にわたって一人歩きができる大都市は、日本のほかにないであろう。

 もう一度米国に滞在するチャンスがあるとして、西海岸か東海岸か選べるとしたら、、、私は「どっちでもいいです、サイコロでも振って決めます」と公式にはいいながら、そっとサイコロの六面をすべて「西海岸」に書きかえることだろう。これは決してワシントンD.C.が嫌いなのではなく、あの陽気な気候には逆らい難いのである。