ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「特捜検察のエース」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さん(62)と元朝日新聞記者の松本正さん(68)に、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。日本は1980年代後半、バブル景気に沸いた。その最中に起きたのが、リクルート社の関連会社の未公開株が政官財界にばらまかれたリクルート事件だった。今回と次回の2回にわたり、ロッキード事件と並び、吉永さんが捜査を指揮した代表的な事件であるリクルート事件を振り返る。
●最初は懐疑的だった吉永さん
リクルート事件の初報は1988年6月18日の朝日新聞朝刊社会面に掲載された(画像を一部白塗り加工しています)
村山:リクルート事件は、リクルート社が川崎駅前の再開発にからみ、同市助役に対し、グループ企業のリクルートコスモスの未公開株を提供していた疑惑を、朝日新聞横浜支局が1988年6月18日朝刊社会面トップでスクープして始まりました。神奈川県警捜査2課が内偵しながら、立件を見送った事件でした。
1988年7月6日の朝日新聞朝刊一面トップ記事
横浜支局は、県警の捜査が不調に終わったあとも関係者の取材を続け、裏付けを得たのです。その後、リクルート社が多数の国会議員に未公開株を提供している続報が出て一気に報道合戦に火がつきます。検察も次第にお尻がこそばゆくなっていった。そのころ、吉永さんは、
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