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「中曽根元首相、なんとかやれんかね」と検察首脳が検事正に

(15)リクルート事件

村山 治

 ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「特捜検察のエース」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さん(62)と元朝日新聞記者の松本正さん(68)に、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。リクルート事件では、元首相ら大物政治家への捜査の波及が取り沙汰されたが、結局、元官房長官らの起訴で終わった。15回目の本稿では、リクルート事件の政界捜査の舞台裏やその問題点を探る。

●中曽根元首相摘発にこだわった検察首脳

1989年4月26日の朝日新聞夕刊
 村山:「金庫番」の青木伊平秘書名義でのリクルートコスモス未公開株の取引に加え、新たにリクルート社から5千万円の融資を受けていたことが発覚した竹下登首相が1989年4月25日に首相辞職を表明し、その責任を痛感した青木秘書が翌26日、自殺しました。青木さんは特捜部の聴取を受けていました。
 竹下首相の辞任を受けてばたばたと宇野宗佑さんが首相になりますが、女性スキャンダルが発覚してあっという間に辞職するなど政治は大混乱となるのですが、結局、
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