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北京で暮らすということ ―― 食を知り人を知る

横井 傑

北京で暮らすということ ―― 食を知り人を知る

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 横井 傑

横井 傑(よこい・すぐる)
 2005年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2009年3月、早稲田大学大学院法務研究科 (法務博士 (専門職))。2010年12月、司法修習(63期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。2011年1月、当事務所入所。2013年9月から2014年2月まで北京大学にて語学研修。2014年3~6月、君合律師事務所(中国・北京市)勤務。2014年6月、当事務所復帰。2014年7月から北京オフィス代表。
 実は筆者と北京のつながりは浅くはない。父の仕事が中国と縁深く、我が家では中国というものが身近なものとして在ったし、自身も1歳から2歳、14歳から15歳までの間は北京の地で過ごした。その力は失われて久しいが、2歳までは中国語ネイティブだったらしい。そういうこともあって、成人して弁護士となり、中国語と中国文化を学ぶため、ほぼ15年ぶりに留学生として舞い戻ってきたとき、期待や希望こそあれ、不安や抵抗感は全くといっていいほどなかった。「何とかなる」といささかナメていたのだろう。

 ところが、数週間たって北京での生活に慣れてきたころ、違和感が生まれた。どうにも想像していた留学生活とは違ってしまっており、来ればどっぷり浸れると思っていた中国と中国文化にまったく入り込めた気がしないのだ。北京大学の留学生クラスで授業を受け、夕方は夕方とて語学学校へ通い詰めていたので当たり前ではあるのだが、ふと気づけば完全に留学生村の住人になっていた。
 そもそも筆者が中国へ留学に来たのは、長らく興味のあったこの国で、中国という国そのものを存分に学びたかったからである。のに、だ。中国の中で外国に閉じこもってどうする、と思った。

 中国と中国人について知らなさ過ぎる。そう思い立ってからは、時間の許す限り、中国の政治、歴史、風俗、流行と手当たり次第にアンテナを張り巡らした。今から思えば何をそんなにとも思うのだが、流行りもののテレビについていくため睡眠時間を削って幾晩も半徹もした。そんな中ひときわ興味を惹いたのが老北京小吃(ラオベイジン・シャオチー)である。

 「老北京(ラオベイジン)」とはオールド・ペキン、「小吃(シャオチー)」とはちょっとした食べ物の意で、つまりは昔ながらの北京下町メシのことだ。北京は、漢民族だけではなく、元王朝の蒙古族、清王朝の満州族により支配されたモザイクな歴史を持ち、ムスリムである回族も多く住む多民族・多文化な地域だ。老北京小吃(ラオベイジン・シャオチー)には、1つ1つにそんな北京の生き生きとしたストーリーが織り込まれていて、どうにもロマンを掻き立てられたのだ。

 少し横道に逸それることになるが、折角なので筆者の食べ歩いた老北京小吃(ラオベイジン・シャオチー)を2つ、3つ紹介してみよう。

老舗「老磁器口豆汁店」の豆汁(ドウジャー)。ぶくぶくとした泡は乳酸発酵由来のもの。
 豆汁(ドウジャー)―― 豆汁(ドウジャー)とは、北京っ子の北京っ子による北京っ子のための飲み物である。北京以外ではまず見かけず、独特のすえた臭いと酸味があって、飲みつけないヨソ者にはまったく美味しくない。が、チャキチャキの老北京人は市井の民から乾隆帝までがこれを愛飲した。かの京劇の大スター梅蘭芳(メイランファン)も有名な豆汁(ドウジャー)狂いで、興業に出るときには弟子に壺を担がせ持参したらしい。なお、「愛飲した」と書いたのは、最近では北京人ですら段々と飲まなくなってきているからで、どうにも寂しい時代の流れも感じてしまう。
 豆汁(ドウジャー)自体は特に味がついておらず、焦圏儿という天かすリングをひとかじりし、咸菜というしょっぱい漬物をつまみながら飲むのが定番。不思議な中毒性があって、湯気のたつ碗を両手で持ってぐびっといくと、つーんとくる酸味に、隠れたほのかな甘味が広がって、一滴一滴北京人になっていくような気すらする。

 

爆肚(バオドゥ)。中央が牛百叶(牛のセンマイ)、右奥が羊肚仁(羊のミノ)。
 爆肚(バオドゥ)―― 爆肚(バオドゥ)とは、「爆」(さっと茹でた)した牛か羊の「肚」(モツ)料理のことである。ごまダレに、黒酢や腐乳(沖縄の豆腐ようの仲間)やパクチーを混ぜたタレで食べる。豚モツではなく、牛か羊のモツを使うのはムスリムである回族の影響で、実際に爆肚(バオドゥ)の老舗は回族がやっていることが多い。専門店にいけばマニアックな部位が食べられるがセンマイやミノが一般的。ふつふつと湯だった鍋に、モツをほんの数十秒さっとくぐらすだけのシンプルな料理だが、モツの新鮮さで味はえらく違ってくる。中でも羊肚仁(羊のミノ)はむにむに、シャクシャクで、臭みもあまりなく、これまたもうたまらなく美味。

 

宫廷奶酪(宮廷ナイラオ)。ぺちぺち叩けるほど弾力があるが口に入れると溶けていく。
 宫廷奶酪(宮廷ナイラオ)―― 1つくらいデザートをと挙げるならば、筆者は宫廷奶酪(宮廷ナイラオ)を勧めたい。その名のとおり、元は宮廷で食べられていたデザートで、宮廷の厨師だった魏鴻臣という人物が民間に伝え、庶民に広まった。奶酪(ナイラオ)とは辞書をひけば、ヨーグルトともチーズとも出てくるなんとも曖昧な位置づけの食べ物だが、宫廷奶酪(宮廷ナイラオ)は、筆者に言わせればやや乱暴ながら牛乳プリンの感覚に最も近い。作る過程で米酒を使うそうで、食べたときの自然な甘さと風味にはたしかにお米のそれを感じる。口にいれると優しい甘味がひろがり、その後すうっと溶けて消えていく。

 老北京小吃(ラオベイジン・シャオチー)に興味をもち始めて以来、授業の合間に老字号と呼ばれる老舗を回るようになった。老舗といっても、今でもちゃんと地元の人の匂いがするこぢんまりとした感じの良い店ばかりだ。飾りっけがないのもこれまたいい。ふらりと一人店に入り、地元のおっさんの群れに埋もれて外国人が座る。外国人がおもむろにオーダーすると、相席したおっさんが物珍しそうにちらちらと見てきて、時には話しかけてくることがある。これが楽しいのだ。

 「どこからきたの? え、日本? どおりでちょっと感じが違うと思ったよ。」
 「豆汁飲めるの?飲んだことある? え、好きなのかっ、ははっそりゃすごい。」
 「北京に住んで何年? 北京はどうだい?」
 「そうそう。鼓楼のあたりは新しくしちゃったんだよ。あのあたりは前の方が良かったんだ。前はさ…」

 話し始めて知ったのだが、北京人は一度話し始めると止まらない。日本人は基本的に誰にでも礼儀正しく親切かもしれないが、特に都会ではもうこんな距離のとり方をしないだろう。気が付けば、店のオヤジに、後ろの席のおばちゃんまでもが首をつっこみ北京の昔話に花が咲いていた。

 北京で暮らすということはよそ者として暮らすということだ。筆者の個人的意見ということをお断りするが、北京人は、よそ者誰にでも優しいというわけではない。分け隔てなく親切というわけでもない気がする。ところが、一歩踏み込んで懐に入れてもらうと、どこまでも人懐っこいのが北京人。途端に、北京の今、食事、息子のこと娘のこと、話題のシャワーで世界の広がりが止まらなくなる。この一歩の踏み込みが大切なあたり、我々の仕事ともちょっと似ているのかもしれない。
 ところで、筆者には、京劇好きの北京人おじいちゃんの知り合いがいる。笑顔に愛嬌のあるもう80歳近いおじいちゃんだ。先日WeChat(中国版LINE)で話しているときに豆汁が好きだという話をしたら、今度ホンモノの作り方を教えてやるから家にこいよと言ってくれた。さてさて、更にもう一歩踏み込むときが来たようで、次は何が見えてくるのか今からとても楽しみにしている。