2015年01月26日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 丸山 潤
木を基調としたインテリアの店内にはクラシック音楽が控えめに流れていた。白いワイシャツに短くて細い黒色のネクタイをしたマスターがカウンター内にいた。私がカウンター席に着くとマスターは「初めての方はブレンドを飲んでみてください。」と穏やかに勧める。そして、背面にある棚から透明な瓶を手に取る。中には黒光りする豆が入っていた。深く焙煎することで、豆自身からにじみ出た油が光っている、とのことであった。
もの珍しそうに豆を見ていると、マスターは「見ますか。」と言い、瓶の中の豆を長いステンレスの匙で何粒か拾い上げた。瓶の中の豆の香りを嗅がせてもらう。今までに嗅いだことがないコーヒー豆の香り。不思議なにおいに感じたのは豆の油の香りである。
マスターはカウンターに置かれたミルで豆を挽き、挽いた豆の入ったステンレスの筒をネルの上で逆さにし、手のひらでポンポンと筒の底を叩く。その後、ぐらぐらと煮立った熱湯がたっぷり入ったケトルを使って、ゆっくり丁寧に円を描きながらドリップをする。ネルの中央にはきめ細やかな泡がドーム状に立つ。細く注がれる熱湯により豆はネルのなかで全方位へ膨らみ、ゆっくりと縮む。そんな伸縮を何度か繰り返す。最後に、真っ白なコーヒーカップにコーヒーが注がれる。
カップの内側とコーヒーの境目がはっきりしていることからも、いかに濃いかが分かる。ブラックで飲まないと何となくかっこ悪い。そんな理由で、少し覚悟を決め一口。殴りつけられるような強烈な苦味、反射的に眉間にしわが寄りほほが硬直する。。。そんなことは一切なかった。口の中を何かがさっと何かが通り抜けていったようだ。ほんのりと温かみを帯びた柔らかな球体が口の中に残っているような感じがした。
少し身構えて飲んだせいか、予想と異なりあっけにとられる。
今度は素直な気持ちでもう一口。たしかに苦味は感じるが不思議なことに甘味も感じる。濃いブラックコーヒーが、である。そして飲み込むとスッと苦味がなくなる。それまでに味わったことがない口当たりの優しい苦味。温かい球体の正体はコーヒー豆の油分と香りを感じたからのようである。出されたコーヒーの表面をよく見ると、うっすらと油が浮いていた。
そんなコーヒーに魅せられ、もう15年になる。
マスターには味覚について様々なことを教わった。
例えば、香り。日本人は、味とは別に香りを楽しむことを好む、と言われている。嗅ぐことで(鼻で)感じる「香り」、口の中に入れた際に感じる「含み香」、飲み込んだ後に感じる「戻り香」、口の中に残り続ける「残り香」、香りといってもこれだけある、と。
また、マスターは、マスターが入れたコーヒーは、冷ましてから飲むことを勧める。「冷めたコーヒー?」 まずいモノの代名詞として使わることもある。マスターの説明は違った。「香りは暖かくないと感じませんよ。でも、冷めると、酸味と甘みが引き立ちます。」と。あえて少し残して冷ましてから飲む。たしかに。ゆっくり冷めていくコーヒーを少しずつ飲み、味と香りの変化を楽しむ。
また、マスターは言う。「コーヒーの酸味は酸っぱさと違いますよ。」と。しかし、コーヒーを飲んで酸っぱく感じることはよくある。「酸っぱいコーヒーは、味がすえているんです。」とマスター。「すえている?」 何のことか分からない。「最近の若い人は『すえた味』という言葉は分からないんですよね。最近ではあまり使いませんからね。酢豆腐。落語でもあるでしょ。あれです。」 それでもピンとこない。「食べ物って腐ると酸っぱくなりますね。コーヒー豆も同じです。豆が悪くなると酸っぱくなるんです。酸っぱいコーヒーは単に悪くなった豆で入れただけです。」と。この話を聞いたとき、私はコーヒーの酸味を全く理解していなかった。マスターは酸味が一番感じられる中程度に焙煎したアラビアンモカNo1を出してくれた。「これが酸味です。」なるほど。これを酸っぱいと表現する人はいないであろう、そう感じた。
別の機会には「ミルクはたっぷり入れて下さい。お砂糖もたっぷり。」と勧められる。「美味しいコーヒーは飲みにくくないんです。ミルクやお砂糖を入れるのは、なにも苦みを和らげて飲みやすくするためではないんです。しっかりしたコーヒーと、ミルク、お砂糖の3つで新しい味を作り出すんです。あたらしい味のおいしい飲み物を作ることが目的なんです。」と。飲んでみると、また自分のなかの常識が覆された。
マスターには味や香りを評価する際の「物差し」を教えてもらった。しかも、読んで知ったのではなく、実体験として教えてもらった。「おいしいコーヒー」と一言でまとめるのは簡単である。しかし、どの点がどうだからおいしいのか、そこまで言い表すのは案外難しい。それでも、「難しく考えなくていいんですよ。美味しいものは美味しいんですから。」とマスターは笑う。その笑顔の向こうで、「美味しいものを美味しいと的確に評価できることは大切なんです。」 そう教えてくれているように思った。
司法試験に合格した後、私は検事に任官した。仕事柄、証拠の信用性や証拠価値を評価することは日常的に行ってきた。起訴された事実を被告人が否認しているような裁判では、どのような物差しを使って証拠を評価したのかを明らかにし、その評価の過程が正しいことも立証しなければならない。そのため、自分が使った物差しの目盛は正しいか、目盛が欠落していないか、と自問自答することがよくあった。
5年間検事として勤務した後、2年間の期限付きで、現在、法律事務所に勤務している。検事が弁護士の職務を経験するという、平成16年に制定された法律により運用されている比較的新しい制度である。私は幸運なことに、その法律分野で最前線を行く多数のパートナーや先輩等と仕事をさせてもらい、とても貴重な経験をさせていただいている。そして、残り約2ヶ月で弁護士として勤務できる期限を終える。
私は、休日、例の喫茶店に行く。今まで経験したことがなかった弁護士としての仕事を通じ、法律家として持つべき物差しが増やせているのか、その精度は高まっているのか。自問自答しながら、真っ黒な濃いコーヒーをいただく。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください