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「アミーゴ文化」とビジネス法制

清水 誠

 一時の勢いは失ったとされるブラジル市場。とはいえ、その市場規模と潜在成長力はなお、日本企業にとって十分魅力的だ。今後も、M&Aなどを使った日系企業のブラジルでの事業展開は活発に行われるとみられる。一方でブラジルには「アミーゴ文化」とも言われる独特の人間関係重視のビジネス風土があるという。清水誠弁護士がブラジルのビジネス法制や実務上の留意すべき点について詳細に解説する。

 ブラジル企業のM&Aの実務

西村あさひ法律事務所
弁護士 清水 誠

1  はじめに

清水 誠(しみず・まこと)
 2004年弁護士登録。2003年東京大学法学部卒業、2012年ワシントン大学ロースクールLLM修了。2012年-2013年ニューヨークのPaul, Weiss, Rifkind, Wharton andGarrison法律事務所、2013年-2014年サンパウロのPinheiro Neto法律事務所を経て現在西村あさひ法律事務所アソシエイト。国内外のM&Aを含む企業法務及びブラジルを中心とする中南米関連法務を主要な業務分野とする。
 ブラジルの経済は、過去3年のGDP成長率が1%ないし2%台に止まり、本年1月には“BRICs”の名付け親であるジム・オニールが、ブラジル及びロシアが今後3年間も同じ状況であれば2019年には両国は”BRICs”から脱落する可能性がある旨を述べる等、必ずしも期待どおりとは言い難い状況にある。しかしながら、そのGDPは、2013年には2兆2460億ドルとASEAN10か国の合計に迫る規模に及んでおり、国民1人のGDPも1万ドルを超えるほか、ジェツリオ・ヴァルガス財団(FGV)の調査では2003年から2011年までの8年間に中間層が全体の42.4%から55.8%に拡大しているなど、購買力はますます高まってきていると言われており、その市場及び経済の巨大さは引き続き国外からの注目を集めている。
 日本企業によるブラジル進出も積極的であり、日本からブラジルに対する直接投資額は、財務省国際収支統計によれば2013年には40億3700万ドルに達しており、2013年10月1日時点における日系企業(日本人が海外に渡って興した会社を除く)の拠点数も、外務省海外在留邦人数調査統計によれば526社に上っている。また、ジェトロが2015年1月に発表した調査結果によれば、ブラジル進出日系企業の61.9%が今後1~2年の事業展開の方向性を「拡大」と回答しているなど、日系企業によるブラジルにおける事業展開はますます活発化することが期待される。
 ブラジルへの事業進出の方法としては、主として新会社の設立及び既存会社の買収(M&A)による方法がある。もっとも、①許認可の取得など新会社の設立及び事業開始には時間を要する場合があること、②適切なレベルの従業員を必要数雇用し会社運営を円滑に開始することには困難が伴う場合があること、③ブラジルにおいては「アミーゴ文化」などと言われるようにビジネスにおいても人間関係が非常に重視される傾向があり、事業分野によっては調達先や販路の新規開拓が容易ではない場合があること等から、とりわけブラジルにおいては既存会社の買収の方法による事業進出や事業拡大が有効である場合がしばしばあるといわれている。実際、少なくない日本企業がブラジルにおいてM&Aを経験している。このような状況を背景に、今後さらに多くの日本企業がブラジルにおいてM&Aに取り組むことになることも予想されることから、本稿では、ブラジルのM&Aに関する法制度の基礎及び実務上の留意点について解説する。

2  主な法人形態

 ブラジルには多様な法人形態が存在するが、事業を行うに当たって主に利用されるのがSociedade Limitada(日本の合同会社や米国のLLCに類似する法人形態であることから、以下「合同会社」という)及びSociedade por Ações(日本の株式会社や米国のCorporationに類似する法人形態であることから、以下「株式会社」という)である。
 小規模な閉鎖会社であっても株式会社の形態を取ることが多い日本と異なり、ブラジルにおいては多くの会社が合同会社である。合同会社に対する出資は、持分の形を取る。合同会社の業務執行は、出資者の一部若しくは全部、又は出資者によって選任された1名以上のマネジャー(ブラジル国籍は不要だが、有効な永住査証を保有するブラジル居住者でなければならない)によって行われる。また、定款に規定することにより、諮問委員会、監査委員会その他の業務執行に関与する機関を任意に設置することができる。但し、これらを設置することは必ずしも一般的ではない。その他、ガバナンスに関連する事項の多くは定款又は出資者間契約で規定されることが一般的である。
 他方、株式会社についてであるが、株式会社に対する出資は株式の形を取り、普通株式のほか一定の種類株式を発行することもできる。また、ブラジルにおいては、上場会社は株式会社でなければならないとされている。株式会社の機関は、取締役会、執行役会及び監査委員会から構成される。取締役会は、上場会社、授権資本を有する会社及び銀行を除き、非設置とすることも可能である。また、ブラジル非居住の外国人も取締役になることができる。執行役会は2名以上の執行役により構成される。執行役は、株主である必要はないが、ブラジル居住者である必要がある。取締役の1/3までが執行役を兼任することができる。執行役は、取締役会により、また、取締役会が存在しない場合は株主総会により、選任される。監査委員会は必置とされておらず、株主から要求された場合のみ設置される。

3  M&Aのスキーム

 ブラジルのM&Aでは、以下を含む多様なスキームを選択することが可能である。

  1.   株式譲渡又は持分譲渡: 買主が、対象会社の株式又は持分を既存の株主又は出資者から譲り受ける方法である(以下、便宜上、株式会社/合同会社、株式/持分や株主/出資者を区別せず、すべて株式会社、株式、株主ということとする)。既存株主による経営関与などを目的として、100%買収とはせず、既存株主を一定程度残存させる場合には、買主が当該残存株主との間で株主間契約を締結することが多い。また、ブラジルでは上場会社であっても支配株主が存在することが一般的であり、そのような支配株主との相対取引によって上場会社の株式を譲り受ける場合もあり得るが、(i)株式取得の結果、対象会社が上場廃止となる場合、(ii)買主が対象会社の「支配権」を取得する場合(なお、「支配権」について法令上数値に基づいた明確な定義は存在しない)、(iii)支配株主が、対象会社の株式を追加取得した結果、対象会社の株式の流動性に影響が生じる場合には、それぞれ公開買付けを行わなければならないことに注意が必要である。
  2.   資産譲渡: 買主が、対象会社からその資産の一部又は全部を譲り受ける方法である。特に、譲り受ける対象となる資産が一定の「事業」を構成する場合、資産譲渡契約上負債を承継しない旨を明示的に規定したとしても、一定の債務(特に環境債務、労働債務や租税債務)を買主が承継したと解釈される可能性がある点に注意が必要である。
  3.   吸収合併(incorporação): 日本法上の吸収合併に類似するスキームであり、1社以上の会社が他の会社に吸収され、消滅会社の権利義務は全て存続会社に承継される。
  4.   新設合併(fusão): 日本法上の新設合併に類似するスキームであり、2社以上の会社が新会社を設立して消滅し、新会社は新設合併の当事会社の権利義務を全て承継する。
  5.   スピン・オフ(cisão): 日本法上の会社分割に類似するスキームであり、分割会社の資産及び負債の一部又は全部が1社以上の既存の会社又は新設される会社に承継される。
  6.   ドロップ・ダウン: 日本法上の現物出資に類似するスキームであり、対象会社の資産及び権利を承継会社が取得する代わりに、対象会社が承継会社の株式又は持分に対する出資を取得する方法である。ドロップ・ダウンについては、ブラジル民法及び会社法上特別な規定は存在せず、これに対応するポルトガル語の一般的な用語は存在しないが、民法及び会社法上の現物出資に関する規定によって規律される。
  7.   株式交換(incorporação de ações):日本法上の株式交換に類似するスキームであり、一方の当事会社は他方の当事会社の完全子会社となる。

 筆者が知る限り、日本企業が買主となるM&Aの多くが、対象会社の株式又は持分の譲り受けの形で行われている。もっとも、対象会社の資産等の一部をドロップ・ダウンした後、当該ドロップ・ダウン先の会社の株式を譲り受けるなど、その他の方法が用いられることもしばしばあり、個別の案件の性格に応じて、適切なスキームを選択することが重要である。

4  デューディリジェンスに関する実務上の留意事項

 ブラジルにおいても、買収契約の締結に先立って、買主及びそのアドバイザーである弁護士や会計士などが、対象会社ないし譲受対象資産のデューディリジェンスを行うことが極めて一般的である。対象会社がブラジル企業である場合における典型的な留意点ないし検出事項として、例えば以下の点が挙げられる。

 (1) 税務

 ブラジルにおいては、実務的には、税務上の問題は、行政上及び司法上の両側面について税務当局との間で協議、交渉によって処理されるのが通常であり、税務訴訟は、税務当局との関係で納税者に関する原則及び権利を司法の面から実現する手段の一つと見なされている。その結果として、ブラジル企業は、日本を含む他の法域における企業と比較して多くの税務訴訟を抱えていることが通常である。もっとも、税務当局は、しばしば租税債務に関する恩典措置を講じることがあることから、現実に支払うべき租税債務の金額は、制度上支払が義務付けられることとなる金額より結果的に少なくなる場合もあり得る。

 (2) 労働

 ブラジルの労働法制は極めて複雑であり、かつ非常に労働者保護的な性格を有している。加えて、労働者が使用者に対して訴訟を提起しやすい環境にあり、その結果、極めて多数の労働訴訟が労働裁判所に提起されている(2013年に第一審の労働裁判所に新たに係属した事件数は1,763,246件に上る)。そのため、ブラジルの企業は数百件から数千件の労働訴訟を抱えていることも珍しくない。

 (3) 環境

 環境問題に関するデューディリジェンスは、通常、(i)環境関連の許認可の取得状況、(ii)環境関連の裁判手続及び行政手続、並びに合意の状況、(iii)環境関連の発生済み/潜在的な債務及び環境法の遵守状況などを対象として行われる。ブラジルの環境法令は厳格であるため、これらの法令の違反はしばしば深刻な結果をもたらす。それ故、環境問題の取扱いがディール・キラー(M&A取引の交渉を決裂させる主要因)となることもしばしばある。

 (4) コンプライアンス

 法人の厳格責任を定めた新腐敗防止法が2014年1月に施行されたほか、ブラジルにおける腐敗行為は、米国Foreign Corrupt Practices Act (FCPA)、英国Bribery Actや日本の不正競争防止法といった海外法令の適用対象にもなり得るなど、ブラジル国内における贈収賄行為がコンプライアンス上の深刻な問題をもたらすことが増えている。そのため、デューディリジェンスにおいて、対象会社の腐敗行為の有無や腐敗防止に向けた内部統制システムの運用状況などを確認することが特に重要である。同様に、カルテル防止やその他のコンプライアンスの状況についても慎重に確認する必要がある。

5  買収契約に関する実務上の留意事項

 日本企業によるブラジル企業の買収のような、ブラジル企業を当事者とするクロスボーダー取引においては、表明保証、誓約、クロージングの前提条件及び補償などの状況を含む英米型の買収契約が用いられることが一般的である。ブラジル企業の買収のための買収契約の特徴として、例えば以下の点が挙げられる。

 (1) 補償及び支払原資の確保

 日本の実務と異なり、買収契約上の補償(Indeminity)条項に基づき、買主が売主に対して補償請求を行うことは、ブラジルでは珍しくない。そのため、補償条項を適切に規定することのみならず、補償の原資を確保するための適切な手段を講じておくことも重要である。支払原資の確保の方法の一つとして、買主が売主に対し、譲渡価格の一部又は全部を一定期間エスクロー口座に預託することを要求することも、極く一般的に行われている。

 (2) 紛争解決

 ブラジルの裁判手続には、①複雑で長期間を要する(商事訴訟に20年以上を要した例も存在する)、②証拠法が英米法と比較して不明確といった問題が存することから、M&Aにおける紛争解決手段としては、仲裁が選択されることが増えてきている。仲裁は、専門的な知識を要する商事、会社紛争の解決に有益であるという観点からも注目に値する。

 (3) 準拠法

 ブラジル企業を対象会社とする買収契約では、準拠法としてブラジル法が選択されることが多い。

6  M&Aに関するその他の主な規制

 (1) 外資規制

 原子力事業、医療サービス、郵便及び電信事業、国内線航空事業及び宇宙事業に対する外資の参加は禁止されている。また、土地、不動産の所有又は賃貸借並びにマスメディア、金融機関及び鉱業に対する出資に一定の制限が存在する。これらの一定の例外を除き、ブラジル企業に対する外資による出資はオープンである。

 (2) 業規制

 外資規制に加え、規制業種の買収については、一定の規制が存在する。たとえば、金融機関の支配権を取得するためにはブラジル中央銀行の承認が必要となる(買主がブラジル企業であるか否かを問わない)。

 (3) 外国投資の登録

 外国資本は、ブラジルへの資本持込み、利益の国外送金、本国への投資回収及び利益の再投資のそれぞれの時点において、オンライン登録システムを通じ、ブラジル中央銀行に登録しなければならず、当該登録をしない場合、国外からブラジルへの資金の送金及びブラジルから国外への送金ができない。

 (4) 競争法上の手続

 ブラジル市場に影響を及ぼし、ブラジル競争法上の「集中行為」に該当し、かつ一定の収益基準に該当するあらゆる取引に対し、ブラジルの競争当局である経済擁護行政委員会(CADE)に対する届出義務が課される。「集中行為」とは、幅広い概念であり、対象会社に対するマイノリティー出資も該当し得る。
 収益基準は、(i)取引の当事者の一方が属する経済グループの、取引の直前事業年度におけるブラジルでの収益の合計が7億5000万レアル超であり、(ii)取引の他の当事者が属する経済グループの、取引の直前事業年度におけるブラジルでの収益の合計が7,500万レアル超であること、とされている。
 当事者は、CADEによる承認がなされるまで、取引を実行したり、その他いわゆる「ガン・ジャンピング」に該当する行為をしてはならない。CADEによる審査期間は、原則240日間であるが、CADEは90日間の範囲で当該期間を延長することができる。競争を制限する効果が潜在的に低い一定の取引については、迅速手続によることができる。

7  M&A取引に関する税務の基礎

 (1) 売主

 ブラジル企業を対象とするM&A取引が行われた場合、対象会社の売主はキャピタルゲイン課税に服することになる。
 売主がブラジル居住者である個人である場合、キャピタルゲインに対する税率は15%とされている。他方、売主がブラジル企業である場合、キャピタルゲインには、通常34%の税率で課税がなされる。
 他方、売主が非居住者である場合、ブラジル租税法上、キャピタルゲインについて、原則として、15%の税率で源泉徴収課税がなされ(いわゆる源泉地国課税)、売主の住所/本店所在地が、当局が定めたリストに列挙されたタックスヘイブン(租税回避地)に所在する場合には、この税率は25%となる。ただし、日伯租税条約の規定により、日本の売主がブラジルに所在する資産を売却した場合には、ブラジルにおいて源泉徴収税を課さないこととされている(日本において、わが国の租税法に基づく課税がなされ得ることは別論である)。このような取扱いは、ブラジルが当事者である租税条約のうち日伯租税条約においてのみ認められているものである。

 (2) 買主

 ブラジル企業の株式の取得に当たり、買主側で適切なアレンジを行うことで、一定の税務上のメリットを享受できる場合がある。
 ブラジル国外で調達した資金で買収を行う場合、為替取引税(IOF)が買収コストに上乗せされることになることに注意が必要である。なお、ブラジル国内では調達金利が高いため、外国の買主がブラジル国内で買収資金を調達することは一般的ではない。

 (3) 債務の承継

 資産などの買主は、売主のもとで発生した租税債務について二次的責任を負う場合があることに注意が必要である。

 (4) その他

 ブラジル企業により支払われる配当はブラジルでは非課税(つまり、支払い側のブラジルにおいて源泉徴収課税はなされない)である。また、ブラジル企業による日本企業に対する利子の支払いや技術移転などに関するロイヤルティの支払いに対して課される源泉徴収税の税率は、日伯租税条約上、12.5%とされている(日本と他国との租税条約では、この源泉徴収税率は15%とされていることが多い。もっとも、ブラジル企業による日本企業に対する商標権のロイヤルティの支払いについては20%の税率による源泉徴収課税がなされる)。

8  その他の留意事項

 一般論として、ブラジルの経済文化は、日本と比較してより非形式的であるとされ、企業間の関係以上に個人間の関係が重要であるといわれており、案件を獲得し、合意に至るまで長期間を要することも少なくない。そのため、合意に至るまで何度も相手方を訪問し、面談を重ねるといった忍耐を要求される場合もある。
 また、ブラジルは日本と同様、いわゆる英米法系のコモン・ロー国ではなく、欧州大陸法系の制定法(シビル・ロー)国であるため、契約の文言に加え、ブラジル法が法的効果に与える影響についても十分な理解が必要である。従って、ブラジル企業の買収を行う場合には、ブラジル法に精通した弁護士から適切な助言を受けることが重要である。

9  おわりに

 ブラジルに限らないことではあるが、クロスボーダーのM&Aを成功させるためには、法律に限らず現地の制度、運用や文化に通暁し

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