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「昭和16年夏の敗戦」で日本は国策を誤ったのか、安倍首相の答えは

2015年2月4日、衆院予算委員会のやりとり

 この2月4日に開かれた衆院予算委員会(大島理森委員長)で、民主党政調会長の細野豪志委員と内閣総理大臣の安倍晋三氏、国務大臣(地方創生担当)の石破茂氏の間で、太平洋戦争の開戦をめぐって「国策を誤った」といえるか議論があった。

「新時局の態勢の中心となるべき人物を育成する」という総力戦研究所が開設され、その入所式が1941年(昭和16年)4月1日に行われた
 細野氏は、猪瀬直樹氏(前東京都知事)の1983年の著書『昭和16年夏の敗戦』を引いて、「1941年夏にシミュレーションをして(開戦すれば)敗戦がもう間違いないと言われていた。そして、それを政府は当時採用しなかった。やはりどう考えても、私は、国策を誤った瞬間がこのときにあったと思います」と指摘し、安倍首相らの見解を求めた。
 これに対して、安倍首相は「歴史をさかのぼっていけばそれぞれの判断があるわけでございます」と答弁した。国策を誤ったと考えるかどうかについては明言しなかった。
 総力戦研究所は1940年(昭和15年)8月16日の閣議決定で内閣総理大臣の監督下に設けられた。猪瀬氏の著書『昭和16年夏の敗戦 総力戦研究所"模擬内閣"の日米戦必敗の予測』(世界文化社)によると、総力戦研究所の研究生でつくる“模擬内閣”は1941年(昭和16年)8月27、28日に対米英戦を想定した「机上演習」の結果を本物の近衛内閣に報告した。その内容は次のようなものだった(同書76~77ページ)。

 緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物流において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。

 これに対し、東條英機・陸軍大臣は次のように述べた、とされる(同書185ページ)。

 これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは(中略)その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。

 この2カ月弱後の10月18日、近衛内閣に代わって、東條内閣が発足。12月8日、日本は米国と英国を相手に宣戦を布告し

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