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マレーシアの熱気に包容されて

小杉 綾

マレーシアでの日々 ~ Saya sangat suka Malaysia ~

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
小杉 綾

小杉 綾(こすぎ・あや)
 2003年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2013年5月、米国Columbia University School of Law (LL.M.)修了。2013年10月-2014年10月 マレーシアのクアラルンプール所在の日系金融機関へ出向 2015年1月 当事務所復帰。
 夜明け前、それは始まる。
 オヤジのうなり声のような連続性を持った低音の連なりが、朝まだき空に突如として反響する。まだ空気が熱気を帯びない午前6時前、大都会、クアラルンプールの風景だ。
 音の正体は、モスクがイスラム教徒に向けて行う礼拝の呼びかけ(アザーン)である。最初は安眠妨害としか思えなかったその声が、1年も住んでいると違って聞こえてくるから不思議だ。一日の始まりに人々はアザーンを合図に祈りを捧げ、そしてそれぞれの生活をスタートさせる。午前8時には市内はオフィスに向かう人たちのマイカーで大渋滞となり、街はまたたくまに喧騒に包まれる。そこに何の間隙も特別性もない。イスラム教徒が6割を占めるこの国で、信仰が生活に溶け込んでいることを感じさせる、夜明けの声だ。

 朝の屋台には、現地の働き人がひしめく。観光客が集うスノッブなレストランやバーと「これぞアジア!」と呼びたくなるようなローカル臭漂う場所とが隣り合う、それこそがアジアの大都市の醍醐味ともいえる。銀座の高級デパートのごとくきらびやかなショッピングセンターを抜けて一歩裏道へ入れば、ずらりと屋台が並び、ソース顔のおじさんたちが作るスパイシーな炒め物が朝から五感を刺激してくる。所狭しと並べられた赤い色の簡易椅子に腰を落ち着け、働き人達は出勤前の充実した朝ごはんタイムを過ごすのだ。そばを通る車やバイクが巻き上げる粉塵もなんのその。お喋りに興じながら、盛んに飲み食いする。お勧めの朝ごはんは、断然、ナシレマ(Nasi Lemak)だ。

ナシレマ(Nasi Lemak)
 ココナッツミルクで炊いたご飯にきゅうりの薄切り、ゆで卵、小魚、ナッツ、サンバル(辛子味噌のようなもの)が添えられているという、至極シンプルなものだが、これが地味に旨い。ざっくりと全体を混ぜて口に運ぶと、まずサンバルの辛さが朝のすきっ腹にパンチを浴びせてくるが、すぐにゆで卵が中和に駆けつける。そこにすかさずカリカリの小魚とナッツ、しゃっきりキュウリをほうりこめば、その異なる食感の妙味に思わず頬が緩む。一口食べると次から次へと、もうやたらと食が進むのだ。食べ終わるころには、滋味あふれる味に、なにやら懐かしい気すらしてくる。その懐の深さが、日本のソウルフード、おにぎりに似ている。

 マレーシアの魅力、それは食べ物にとどまらない。一年を通じて30度を超えるこの国には、町にも人にもある種の熱気がたちこめている。動かずにいられない何か、汗をかけば辛いものが食べたくなり、辛いものを食べながらまた汗をかいて、動きたくなる何か。じりじりとした暑さの中で、じっとしているのはもったいない、体が勝手に動き出したいといった感じなのだ。この気候は間違いなく国民性に影響していて、マレーシア人には陽気で人懐っこく、お喋り好きな人が多い。
 異国の地に一人住むとき、孤独を感じることは多い。外貌の異なる人々に囲まれることは、日本人ばかりの中で育った人間にはそれだけでアウェー感があるし、母国語でない言語は、それを理解できない自分に劣等感を感じさせる。慣れない習慣に苛立ってしまう自分は所詮ヨソモノと惨めな思いをすることもある。クアラルンプールの直前、ニューヨークのロースクールにいた筆者は、特にこの種の孤独を強く感じていた。自分以外は全員イングリッシュネイティブのクラスで、半分くらいしか内容が分からないことに戦々恐々とし、非ネイティブでも自分より英語ができる同級生に劣等感を覚えていた。日本語なまりの英語しかしゃべれない自分がぶざまに思えたこともある。生活面でも、郵便の再配達の手配をしても来た試しがなく、コールバックを頼んでもかかって来なかったり、スープに指を突っ込んだまま運んでくるレストランのサーブに強いフラストレーションをためていた。
 マレーシアにいて、こういった孤独感やフラストレーションが皆無というわけではない。しかし常夏という気候の効果は想像以上に絶大なのだ。外に一歩出れば、常に温かい外気温と椰子の木が、「この場所に受け入れられている」という気持ちにさせてくれる。疎外感という感覚はおよそ常夏に似合わないのだ。お風呂に漬かりながら深刻になれない、というのに似ている。英語なんて通じればいいし、マレー語は習えばいい。何なら分からなくてもどうということはない。つま先に穴が空いた靴(毎日の雨のせいですぐ空いてしまう)でも通勤はできるし、歩道を後ろから爆走してくるバイクもよければいいのだ。なんだか知らないが、気候のおかげで細かいことが段々と気にならなくなってくるのである。この包容力は、マレーシアの大きな魅力の一つといってよい。

 そもそもマレーシアに住むこととなったきっかけは、日系の金融機関で働く機会を得たことだった。携わっていた業務は、主としてイスラム金融で、日本では馴染みがないかもしれないが、イスラム金融とは、シャリアというイスラム法上の教義にのっとった金融のことで、マレーシアではとても身近な商品である。筆者もマレーシアの現地の銀行に口座を開いたが、それがイスラム預金口座だったとは当初全く気づいていなかった。ワディア預金と呼ばれるもので、基本的には日本の預金と仕組みは一緒だが、利息ではなく「謝礼」(hibah)が預金者に支払われる。利息(riba)は、金が金を産むことになり不労所得にあたるので、イスラム教の教義上禁止されているためだ。この利息禁止の原則から、ほかにもイスラム金融商品が作られている。一番有名なのは、コモデティ・ムラバハと呼ばれる商品で、銀行が顧客に融資する際、利息を取ることができないので、裏づけとなるコモデティを銀行が購入し、当該コモデティを顧客に売却し、後日、売却代金として融資元本相当額と実質利息額を顧客に支払ってもらうというスキームだ。こんな風に、イスラム教はビジネスの世界にも浸透している。

 マレーシアに住むと決まったとき、どうしても知りたかったことがある。それは生れ落ちたときから「神がいる世界」に住む人々の暮らしだった。イスラム教は戒律が多い宗教だ。たとえば、豚肉は不浄とされるため、食べられない(カルボナーラのベーコンにはチキンが使われる)し、職場の冷蔵庫や電子レンジもハラル用(ハラルとはイスラム教の教義に則ったものという意味)とノンハラル用で厳密に分かれている。お祈りは一日に5回で、オフィスにもお祈りの場所が設けられている。女性は髪と手足首を出してはいけないので、ヒジャブとよばれるスカーフできっちり髪を覆い隠し、パンツや長いスカートを着用する。断食月には日中は水を口にすることもできない。彼らは何を思い、生活の隅々に渡るこれらの戒律を守って暮らしているのか、それがどうしても知りたかった。窮屈ではないのか、神のいる世界は息苦しくはないのか。
 しかし、実際これらは呼吸をするのと同じくらい自然に行われていた。無理をしているようには全く見えないのだ。結婚を機にイスラム教に改宗した日本人女性に改宗して何が一番変わったか、尋ねたことがある。
 「特に何も変わらない。」
 神がいる世界は、思っていたよりも、特別な世界ではないのかもしれない。