メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

日本版司法取引の導入で企業と従業員の「競争」?

平尾 覚

 他人の犯罪を当局に明らかにした容疑者らの起訴を見送ったり、求刑を軽くしたりする「見返り」を与える司法取引を盛り込んだ刑事訴訟法改正案が今国会に提出された。対象罪種は贈収賄から談合、カルテルなどの企業事件に及び、特に、注目すべきは、個人だけでなく法人(企業)も取引の主体となる点だ。平尾覚弁護士が、法案が成立した場合、企業犯罪を認知した企業が直面するであろう問題について、海外公務員に対する贈賄事件を例に詳細に解説する。

日本版司法取引の導入
企業犯罪の捜査・訴追における論点

西村あさひ法律事務所
弁護士  平尾  覚

▼ はじめに

平尾 覚(ひらお・かく)
 1996年、東京大学法学部卒業。司法修習(50期)を経て、1998年から2011年まで検事。この間、2000年から2002年まで人事院長期在外研究員として米国に留学、2005年から2008年まで法務省刑事局付(総務・刑事課担当)、2008年から2010年に福岡地方検察庁久留米支部長、2010年から2011年に東京地方検察庁特別捜査部。2011年から弁護士(第一東京弁護士会)。

 平成27年1月26日から開かれている第189回通常国会においては、日本の刑事手続、特に捜査・訴追手続きを大きく変えることとなる刑事訴訟法等の改正法案が審議される予定である。
 今般の刑事訴訟法等の改正法案の内容は多岐にわたるが、中でも「日本版司法取引」とも呼ばれる「捜査・公判協力型協議・合意制度」は、企業犯罪の捜査・訴追のあり方を大きく変える可能性を含んでいる。
 日本版司法取引の導入については、既に、2014年6月のリーガル・アウトルック(注1)において概略を紹介したが、その段階では、法務省の諮問機関である法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の事務当局試案が明らかになったのみであり、法案の正確な姿は判明していなかった。
 そこで、本稿では、今般明らかとなった刑事訴訟法等の改正法案の概要を紹介した上で、企業による日本版司法取引の運用上の論点について取り上げることとしたい(注2)

▼ 日本版司法取引の概要

 日本版司法取引は(注3)、検察官と被疑者・被告人及びその弁護人が協議を行い、被疑者・被告人が検察官による「他人の犯罪」の捜査・訴追に協力するのと引換えに、検察官が被疑事件・被告事件について不起訴処分や求刑の軽減等を約束するという制度である。
 米国の司法取引とは異なり、単に自らの犯罪事実を認めるだけ(いわゆる「自己負罪型」の司法取引)では司法取引を行うことはできない。
 もっとも、ここでいう「他人の犯罪」とは、被疑者・被告人が全く関係していない「他人の犯罪」だけでなく、共犯者の犯罪も含まれる。したがって、被疑者・被告人が関与した犯罪であったとしても、その共犯者に対する捜査・訴追協力をするのであれば、司法取引は成立し得る。企業犯罪においては、複数の関係者が犯罪に関与することが多い。したがって、多くの企業犯罪においては、司法取引を行うことが可能となると考えられる。

 被疑者・被告人による訴追協力の具体的な内容は、①検察官,検察事務官又は司法警察職員の取調べに際して当該他人の犯罪事実を明らかにするため真実の供述をすること、②当該他人の刑事事件の証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること、③当該他人の犯罪事実を明らかにするため証拠物を提出することなどである。
 他方、被疑者・被告人の訴追協力の見返りとして検察官が提供するのは、当該被疑者・被告人の被疑事件・被告事件について、①公訴を提起しないこと、②特定の訴因・罰条により公訴を提起・維持すること(具体的には軽い犯罪で起訴すること)、③既に提起された公訴を取り消すこと、④特定の訴因・罰条の追加・撤回・変更を裁判所に請求すること(具体的には軽い罪に訴因を変更すること)、⑤即決裁判手続申立てや略式命令の請求といった簡易な手続での訴追をすること、⑥被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること(具体的には通常よりも軽い求刑をすること)などである。

 司法取引の対象となる犯罪は、「特定犯罪」と呼ばれる一定の犯罪に限定されている。「特定犯罪」のうち、企業の役職員が関係することの多い犯罪としては、例えば、詐欺罪(刑法246条)、業務上横領罪(刑法253条)、贈賄罪(刑法198条)、租税法・独占禁止法・金融商品取引法の違反がある。また、答申では、財政経済関係犯罪として政令で定めるものも特定犯罪とされるとしており、例えば不正競争防止法の外国公務員贈賄罪(同法18条)も特定犯罪に含まれる可能性が高い。
 このほか、特定犯罪に関して犯人隠避や証拠隠滅が行われた場合には、犯人蔵匿罪(刑法103条)や証拠隠滅罪(刑法104条)、証人等威迫罪(刑法105条の2)も特定犯罪とされる。

 被疑者・被告人のみで検察官と対等な協議を行うことは困難であることから、日本版司法取引を行うためには、被疑者・被告人だけではなく弁護人の関与が必要とされ、最終的に取引が成立した場合には、検察官、被疑者・被告人及び弁護人が連署した合意書面(以下単に「合意書面」という)を作成する。この場合、検察官は当該被告人に対する被告事件の公判において、合意書面の取調べを請求しなければならない。また、日本版司法取引に基づいて「他人の犯罪」に関する被疑者・被告人の供述録取書が作成され、当該「他人」に対する刑事裁判において検察官が当該供述録取書を証拠として取調べ請求したときも、検察官は合意に係る書面の取調べを請求しなければならないとされている。このように、被疑者・被告人が検察官と司法取引をした事実は、早晩公となる可能性が高い。
 協議の結果、仮に合意が成立しなかった場合、被疑者又は被告人が検察官との協議において行った他人の犯罪事実を明らかにするための供述は,これを証拠とすることができないとされている。しかし、被疑者・被告人が協議においてした供述を証拠とすることができないとしても、捜査機関が当該供述・情報を手掛かりにして捜査を進めて別途証拠を収集し(「派生証拠」と呼ばれる)、当該他人の犯罪や被疑者・被告人自身の犯罪を訴追・立証することは許される。法制審議会においても派生証拠の利用を許すべきではないとの議論がなされたようであるが、結局、派生証拠の利用を禁止すると捜査機関の活動を極端に制限することとなるとして、提出された法案においては、派生証拠の使用は禁止されなかった。したがって被疑者・被告人が日本版司法取引を申し出る際には、検察官との合意が成立しなかった場合、協議の過程で検察官に提供した供述・情報から派生して、自己に不利な証拠が獲得されるリスクが存在することを覚悟しておく必要がある。

▼ 企業自体は日本版司法取引の主体となり得るか

 2014年6月のリーガル・アウトルックにおいては、法人が日本版司法取引の主体となり得るか否かについては、不明確な部分が残ると記載した。
 今般、刑事訴訟法等の改正法案が明らかになったが、法案を見る限り、日本版司法取引の主体には法人も当然に含まれると解される。
 すなわち、法案においては、日本版司法取引の主体となるのは「被疑者」「被告人」であるとだけ規定されているところ、刑事訴訟法において、単に「被疑者」、「被告人」といった場合、そこには法人も含まれる。
 たとえば、刑事訴訟法27条は、刑事訴訟手続きにおいて法人を代表する者が誰であるかを規定した条文であるが、「被告人又は被疑者が法人であるときは、その代表者が、訴訟行為についてこれを代表する。」旨定めており、「被疑者」、「被告人」に法人が含まれることが前提とされている。
 したがって、素直な条文解釈からは、当然に法人も日本版司法取引の主体となると考えられる。
 法人が日本版司法取引の主体となり得るとすると、企業にとってその活用の幅は大きく広がる。
 従前から、企業関係者による犯罪が発覚した場合、捜査機関による捜査と並行して企業自らが社内調査を行い、事案の解明を行う場合が多かった。これは企業のステークホルダーに対する説明責任を全うするためにも不可欠なことであったし、捜査機関による捜査に適切な対応をする上でも不可欠であった。
 日本版司法取引導入後は、このような社内調査によって発見された証拠を検察官に提供することによって、企業自身の訴追の回避を図ることも可能となると考えられる。
 企業自身が刑事責任を負うのは、両罰規定と呼ばれる罰則規定に基づくものであるが、時として、企業自身が訴追を免れることは、企業の存続にとって重要な意味を持つことがある。
 その最たる例は、外国公務員贈賄罪である。
 1999年2月に発効したOECD「国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約(OECD外国公務員贈賄防止条約)」により、外国公務員に対する贈賄行為が禁止され、日本でも不正競争防止法を改正して外国公務員贈賄罪が創設されたが、公的輸出信用分野でも贈賄防止に対する取組みが進められ、2000年12月にOECD輸出信用・信用保証部会において「公的輸出信用と贈賄に関する行動声明」が合意された。
 そして2006年12月には、内容を一部強化した上で、OECD理事会にて「公的輸出信用と贈賄に関する勧告(OECD贈賄勧告)」が採択された。
 この勧告に対応し、国際金融機関においては、外国公務員贈賄罪等で企業が有罪判決を受けた場合に当該企業の取引資格を停止する等の運用をしているほか、世界銀行グループ、アフリカ開発銀行、アジア開発銀行、欧州復興開発銀行、米州開発銀行といった国際開発金融機関は、贈賄で有罪判決を受けるなどした企業を排除リストに掲載し、これらの国際開発金融機関の担当するプロジェクトから排除することとしており、違反抑止に効果的なものとして定着している。
 そのため、企業が外国公務員贈賄罪で有罪判決を受けた場合、国際金融機関との取引が停止されるなど企業に甚大な悪影響が及ぶおそれがあり、企業が外国公務員贈賄罪 による訴追を免れるか否かは企業の命運を左右することとなりかねない。
 また、金融機関との融資契約をはじめとして、近年、契約において汚職犯罪に関与していないことの表明保証が求められたり、契約の対象となるプロジェクトに関連して贈賄を行い、企業が有罪判決を受けた場合に、デフォルト事由(注4)に該当する旨定められている例も多い。このような場合において、企業が贈賄関連犯罪で有罪判決を受けた場合、当該契約がデフォルトするばかりか、クロスデフォルト条項(注5)に基づき、その他の契約についてもデフォルトするなど、甚大な悪影響が及ぶおそれもある。
 このように、企業が外国公務員贈賄罪で有罪判決を受けた場合、その影響は甚大であり、企業自身が訴追を回避することは極めて重要である。
 日本版司法取引の導入により、企業が積極的に捜査協力をすることで、企業自体の訴追を回避する道が開けたこととなり、企業犯罪捜査に対する対応の在り方は、大きく変わることとなると考えられる。

▼ 日本版司法取引の運用上の論点

 ここで、日本版司法取引の運用上の論点を検討するために、1つの設例を取り上げたい。
 たとえば、ある企業において、内部監査の結果、ある事業部門において使途不明金が存在することが発覚し、社内調査の結果、当該事業部門の従業員Aが、上司である従業員Bの指示に従い、外国公務員に対して不正な支払い(贈賄)を行った事実が発覚したとする。
 このような事案が発覚した場合に、企業として、当該海外公務員贈賄の事実を捜査当局に自主申告すべきかどうか、その場合、どのような点に配慮すべきかが問題となるが、この説例では、以下のような複雑な問題がある。

 第1に、企業は、「他人」である従業員A及び従業員Bの外国公務員贈賄に関する証拠を検察官に積極的に提供することによって、企業自身が訴追されることを回避することが可能であろうか。ここで問題となるのは、上記のような設例において、果たして企業が日本版司法取引の主体となり得るか否かである。
 法文上、日本版司法取引の主体となるのは、「被疑者」又は「被告人」であるが、上記設例において、企業が「被疑者」又は「被告人」といえるか否かの問題である。
 刑事訴訟法において、「被疑者」及び「被告人」の定義は定められていないが、一般的に「被疑者」とは、犯罪の嫌疑を受けているが公訴を提起されていない者をいい、「被告人」とは、公訴を提起され確定判決を受けるまでの者をいうとされている。
 上記設例においては、企業が検察官に対して司法取引を持ちかけようとした段階においては、捜査機関は外国公務員贈賄の事実を全く知らず、当然のことながら、企業は外国公務員贈賄事件の捜査対象とはなっていないので、この段階では、企業は外国公務員贈賄事件の「被疑者」であるとはいえず、企業は日本版司法取引の主体とはなり得ないようにも思われる。
 しかし、企業の自主申告により、検察官において、当該外国公務員贈賄事件について認知するのであるから、司法取引のための協議の過程の早い段階で、企業自身が「被疑者」としての立場に置かれるものと考えられ、上記設例においても、企業が日本版司法取引の主体となることに問題はないというべきである。
 具体的な手続きとしては、企業による自主申告を受けた検察官において、当該外国公務員贈賄事件を認知・立件し、その後に企業との司法取引合意を行うことになると思われる。
 もちろん、このような取扱いが可能となるのは、検察官が企業と司法取引を行うことに合意した場合に限られる。司法取引は、検察官との合意があって初めて成立するものである以上当然である。しかし、発覚しにくい外国公務員贈賄事件について、企業自らが証拠を収集し捜査機関に提供することは、検察官にとって大きなメリットを与えるものであり、検察官が企業と日本版司法取引を行うインセンティブは一般的に大きいものと考えられる。

 第2に、上記設例において、企業、従業員A又は従業員Bが、外国公務員を「他人である被疑者」として、その収賄に関する証拠を提供することは、日本版司法取引の対象とはなるであろうか。結論として、否定されるものと考えられる。
 日本版司法取引は、被疑者・被告人が他人の特定犯罪の捜査・訴追に協力することによって成立するが、外国公務員による収賄は日本法上犯罪とはされていないからである(外国公務員贈賄罪は、贈賄側のみを処罰する犯罪である。)。

 第3に、従業員A又は従業員Bは、企業を「他人である被疑者」として司法取引をすることができるであろうか。
 結論からいえば、実務上、企業を「他人である被疑者」として司法取引を行うことは困難であると思われる。たしかに、従業員A及び従業員Bから見れば、企業は「他人」であり、両罰規定に基づくとはいえ、企業自身も刑事責任を問われ得ることからすれば、企業に対する「刑事事件」は観念できる。したがって、企業に対する刑事事件に関して、捜査・訴追に協力することは理論的には有り得る。
 しかし、企業はあくまでその従業員等が企業の業務に関し罪を犯した場合に、両罰規定を介して刑事責任を負うに過ぎない。企業の刑事責任を基礎づける証拠は、自然人たる従業員等の刑事責任を基礎づける証拠とほぼ同じであるといってよく、企業の刑事責任を基礎づけるために別途の証拠収集が必要となる事態はまず考えられない(注6)
 したがって、そもそも検察官において、企業に対する捜査・訴追について協力を求めるインセンティブが独自に存在するとは考えられず、実務的には、企業を「他人である被疑者」として司法取引を行うことは困難であると思われる。

 第4に、従業員Aが従業員Bを「他人である被疑者」として、あるいは従業員Bが従業員Aを「他人である被疑者」として、司法取引することは可能であろう。しかしながら、この場合の従業員Aと従業員Bの利害は真っ向から対立する。特に、企業が社内調査の過程で、この犯罪行為を認識した場合、企業としては、従業員Aと従業員Bが互いに相手の犯罪行為を捜査機関に申告して司法取引を行う動機付けが存在することを意識しなければならなくなるが、一方で、第1に記載したように、企業も従業員A及び従業員Bの犯罪行為について司法取引をすることができるとなると、企業、従業員A、従業員Bは、互いの利益が相反することになり、まさに司法取引の競争をすることになってしまう。第2で記載したように、「他人」を外国公務員とすることができれば、企業、従業員A、従業員Bは協働することが可能となるが、外国公務員贈賄罪の場合、このような協働ができないために、日本に司法取引制度が導入されたとたんに、企業は、どのような対処をするべきかという難しい問題に直面することになってしまうのではなかろうか。

▼ 最後に

 本稿の執筆時点で日本版司法

・・・ログインして読む
(残り:約680文字/本文:約7457文字)