2015年05月18日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
瀧澤 信也
十年一昔
私が働き始めた2004年当時は、まだスマートフォンもSNSもクラウドも普及していなかった。今や、事務所の弁護士にはスマートフォンが支給され、週末でも休暇中でも、いつでも仕事のメールがチェック可能となり、実に便利になったものである(そのおかげで、休みの間も気が抜けなくなるのは悩ましいが)。また、企業買収(M&A)案件等におけるデュー・ディリジェンスや複雑な金融取引の大量の書類の授受も、かつては資料は当然紙媒体で、弁護士・スタッフがチームを組んで買収対象会社等に出向いて、データ・ルームで缶詰めになって資料のチェックやコピーをしていたが、最近ではオンライン・サーバー上のヴァーチャル・データ・ルームが使われることが増えており、PCさえあれば随時どこからでもデュー・ディリジェンスを行うことも可能となっている。
私の事務所入所当時、所属弁護士数は100人を少し超える程度だったが、司法制度改革による弁護士の増員の影響や二度の合併・統合を経て、今や360人を超えている。弁護士以外のスタッフを含めるとその倍以上の所員を抱えている。人の顔と名前を覚えることにはそれなりの自信を持っており、最初の数年はほぼ全員の顔・名前・イニシャル(各所員には、イニシャルが呼称として割り当てられており、これも顔・名前とセットで覚えることが求められる。)は把握していたつもりだが、さすがにこのところは、記憶領域の容量オーバー気味となっている。
この十年間、私自身は、専門としているファイナンスの分野をはじめとして、国内外の数多くの案件に携わる機会を得た上、金融庁への出向、米国のロースクールへの留学、マレーシアの金融機関への出向という形で、事務所の外の世界で見聞を広める貴重な経験もさせて頂いた。自分なりにやり甲斐のある密度の濃い充実した日々を過ごすことができたという一定の満足感はあるが、それでも、まだまだ出来ることがあったのではないか、もっと挑戦すればよかったのではないかと反省・後悔する部分もないではない。次の十年こそもっと。
十年の節目に、そのような思いを強く抱く機会があった。実は、法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)の世界には、司法修習(司法試験合格後、法曹の実務に就く前の研修期間)の終了から十年ごとに、同期生全体の同窓会行事が開かれる慣行がある。十年目は熱海、二十年目は京都で開催するのが通例で、その後は五年刻みで、二十五年、三十年・・と、参加者の身体がついていく限り続いていくそうだ。私が卒業した修習第57期の十周年記念行事も、通例どおり、2014年の秋に熱海で行われた。約1200人いる同期生のうち、半数の600人以上が参加していた。土日開催とはいえ、週末勤務も珍しくない多忙な業界で、全国各地からこれだけの数が集まることはなかなかの出席率であった。同窓会の雰囲気はどんな団体も大差ないかもしれないが、やはり、恩師や旧友と久々に再会して研修当時に戻った気分になる一方、面々の十年前からの変化(家族構成、体型、頭髪など)に歳月の流れを感じたものだ。法曹業界の同窓会ならではの特徴としては、弁護士の場合は独立して自分の事務所を開設している人が多いこと、市民参加の裁判員裁判などで鍛えられている人が多いためか、皆やたらと自己紹介等のしゃべりが上手くなっていること、子沢山の人が多いこと(私の周りだけかもしれないが、子供3人、4人は珍しくない。)などが挙げられるであろうか。やはり同期生の活躍は非常に刺激になる一方、多くの経験を積んで逞しくなった同期生を前に、いささかの歯がゆい感情が生まれたりもする。
その帰り、次の十年はもっと挑戦することを目標にしようかなどを考えていたときに耳に飛び込んできて、改めて心に響いたのが、その頃大流行していた表題のフレーズ、「let it go」である。
レリゴー=ありのまま?
「let it go(レリゴー)」は、ご承知の通り、昨年大ヒットして社会現象にもなった、ディズニー映画「アナと雪の女王」の挿入歌の詞である。詳細は省くが、雪の女王エルサが、自分が周囲を気にして抑えていた、触れたものを凍らせる力をこれ以上抑えるのは止めて、力を解き放とうと決意する場面で歌われている。
もちろん、私には周りを凍らせる力などないし、雪の女王と似た境遇にいるわけでも全然ないのだが、平たく言えば、自分を殻に閉じ込めずにやりたいことをやろうというメッセージに、単に共感を覚えたものである。
この「let it go」は日本語吹替え版の歌詞では「ありのまま」と訳され、こちらも有名になったが、この訳は厳密には原文のニュアンスと異なるのではないかと思うところがある。「let it go」は、イメージとしては、何かが動こうとする力を止めずにその動きに任せる(直訳的には「it」が「go」するのを「let」する)ことを意味するのに対し、「ありのまま」はどちらかというと、今の状態を変えずにそのままにする、という意味になろう。対応する英語を探すなら、「let it be」のほうがより近いであろうか。動的な「let it go」に対して、静的な「ありのまま」という印象であり、日本語版を前提にすると、前述の私の目標の方向性も、「現状維持」に変わってしまいそうである。
それにもかかわらず、この「ありのまま」という日本語は、映画や歌の内容に合った練られた訳だと思うし、非常にしっくり来るのも事実である。なぜだろう。
伝えるということの本質
言語の翻訳は、翻訳元言語で表現された原文を翻訳先言語で表現して伝えることであるが、時として、それぞれの言語を適切に使いこなせるだけでなく、それぞれの言語の背景にある習慣や文化の違いも踏まえていないと、的確に原文の意味を伝えることができないことがある。
私たちの業務においても、英語の関係する案件では、日本の法制度の内容を外国人に説明するため英語で表現する、あるいは反対に外国の法制度を日本人に説明するため日本語で表現するという翻訳の機会も多いが、どのように表現すれば意味内容が的確に伝わるかという観点で、訳語の選択には一番神経を使うところである。例えば、英語の「company」も「corporation」も日本語では「会社」と訳して基本的に間違いはないし、「contract」も「agreement」も「契約」を意味するのであるが、厳密には差異があり、場面に応じて使い分けが必要になる。また、例えばクライアントに「政府当局の承認が必要である」旨を説明する場合も、「政府当局の承認」の取得の難易度についてどのような感覚を持つかは様々であり、クライアントの所在国の政府の運用・実務慣行なども踏まえた適切な補足を加えることが不可欠である。
そのような、自分と違う国で育った人の習慣・文化的背景を最も効率よく知る方法は、やはりその国で生活して肌で実感することであり、前述の米国・マレーシアという海外で生活した経験は、公私の場面においてそれらの国の人に意図を「伝える」上で大きな財産になっている。
さて、先に挙げた「let it go」の歌詞の吹替えは、翻訳の中でも応用編である。英語と日本語の意味内容とその文化的背景を踏まえることに加え、日本語として自然で、動画上のキャラクターの口の動き・曲調・語数とバランスよく合わせなければならず、しかもあわよくば興行の観点で聞く日本人を惹きつけるキャッチーな内容にしようなどとまで考え始めると、法律概念の説明より遥かに難しそうである。そんな中で、(私の偏見かもしれないが)日本人が受け入れやすく、ややもすると自分に甘いコンセプトである「無理せず自然体」を表現する「ありのまま」という訳語の選択は、原文の直訳とは離れるものの、他の要点を軒並みクリアしており、実に秀逸と思った次第である。
(ちなみに、認知していなかったが、本稿で取り上げた「レリゴー」の訳語の適否については、一時、インターネット等で話題になったことがあるようで、またそのネタかと思われる方がいらっしゃったら、ご容赦願いたい。)。
次の十年
とりとめもなく話が脱線してしまったが、私の次の十年は、早くも半年が経過した。九年半後に京都でまた同じことを思わないよう、日々「let it go」の精神で、これからも挑戦していきたい。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください