2015年07月13日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
外国法事務弁護士 バシリ・ムシス
欧州委員会に勤務する両親のもと、ブリュッセルで生まれ育ったギリシャ人の私は、人生の出発点から多文化環境にどっぷりと浸かっていた。家で使う言葉は主にギリシャ語であったが、教育は、はじめの頃はフランス語で、後にギリシャ語と英語で受けた。また私にとっては、ロシア帝国生まれのギリシャ人で1917年のロシア革命のさなかにギリシャに逃れた母の両親が母とロシア語で会話するのを聞くのは普通のことであった。
大陸法の学位を取得した私は、競争法を学び、英語力を向上させ、真の国際都市の一つで暮らすためにロンドンに移った。私と日本との関係が始まったのはロンドンにおいてである。3ヵ月の間に、人生初となる日本人3人との出会いがあった。それは、後に私の博士号の指導教官となる東京出身の法律学の教授、今も親しい友人である東北出身のビジネスマン、そして最後に、今では20年以上私のパートナーであり妻である京都出身の若い女性である。
私は2003年に英国の大手事務所からアンダーソン・毛利法律事務所(当時の名称)に出向し、初めて来日した。18ヶ月間の出向が終わる時、私は正直なところ、日本企業にEU法およびEU競争法に関する助言を行って東京で長期的キャリアを築くことは不可能であろうと考えた。当時は日本の顧客から依頼される競争法関連の渉外業務が多くなかったこともその理由の一つであった。出向が終わると、私はブリュッセルに戻り、EU日本間の競争法関連法律業務の発展の拠点とするために、米国大手事務所の独禁法チームに入った。しかし、私が本当に望んでいるのは東京で生活し、働くことだということに気づいた。そこで、現在の職場であるアンダーソン・毛利・友常法律事務所に戻ることを2008年末に決断し、温かく迎えていただいた。
法律や事業をとりまく環境が大きく変化しつつあったため、私が日本に戻ったタイミングは私にとって良い方向に作用した。2006年に課徴金減免制度が日本に導入された後、競争法関連の渉外業務が日本でも増えていた。これまで長年の間、日本の企業活動は頻繁に国際カルテルの調査の対象となってきた。多くの場合、EUまたは米国を拠点とする弁護士に頼らざるを得ないところ、そのほとんどが英語で助言を行う。カルテル案件は、最善策について実際的な助言ができるよう事実の徹底的な分析を伴う迅速な対応を要するため、このような弁護士に頼るのは必ずしも現実的ではない。東京に拠点を置いて独禁法チームの日本人の同僚と一緒に働くことで、私たちが力を合わせれば日本語で、日本、EUそして米国などカルテル調査に関与する主な法域の多くに広がる「リアルタイムの」サービスを、顧客に提供できる。最も重要なのは、私たちが各国ごとの観点からだけでなく、このようなケースでは最初からグローバルにものを考える必要があるということを分かった上で顧客にとって何が最善の利益となるかを理解しようと努めていることであろう。なぜなら世界中の独占禁止当局が互いに連携を図っているからである。したがって、例えばEUと日本で異なる行動をとることは勧められない。
さらに、私自身、ブリュッセルとロンドンの有力な英国や米国の法律事務所で10年近い勤務経験を有することは、欧米の法律事務所がどのように機能するかについて独自の見識を持っていることを意味する。このことは、他の主要な反トラスト関連法域の弁護士と可能な限り効率的に仕事ができるようにするだけでなく、顧客や案件の特定のニーズに応じて協力を求めるべき欧米の弁護士を選択するにあたっても役に立つ。
アンダーソン・毛利・友常法律事務所での私の日々の業務は、法律的なものに加えてしばしば文化的な性質を有する数多くの困難な課題を伴うものの、多くの場合刺激的でかつやりがいがある。異なる文化を受け入れてこれに適応することは、現代において必要なスキルであり、私たちや子供たちが生活するこの急速に変化する世界に備えるための最善の方法にもなると私は強く信じている。
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