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ビザの無効で始まったトラブル続きの海外生活で得たもの

中野 裕仁

入国トラブルで幕を開けた海外生活 - そこで得たものは

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
中野 裕仁

 4年半勤務した事務所を一旦離れ、留学のため、国外脱出に向けて不眠不休で荷詰めに明け暮れた妻と私は、2013年7月2日、晴れて日本を出国する日を迎えた。大粒の涙を流しながら家族と別れを交わした妻と一緒に搭乗したユナイテッド航空の飛行機は、大の飛行機嫌いの私に気を使ってくれたのか、乱気流に巻き込まれることもなく、約12時間のフライトの後、ワシントンDCへと到着した。

 記念すべきアメリカ本土初上陸。順調な滑り出しだ-そう思いながら入国審査手続きを受けていた矢先、ビスケットを食べたその指で妻のパスポートをめくっていた入国審査官の動きがふと止まるのに気づいた。

 妻に発行されたビザに誤りがあったのだ。私たちの留学生活は、その瞬間から乱気流に巻き込まれていった。

 “OH MY GOD!!” そう呟きながら肩をすくめる審査官を見て、内心、(それはこちらの台詞でしょうが)などと思いながら、じわりじわりと不安に心が侵食されていく自分に気づく。このままだと、乗継便に間に合わないばかりか、妻だけが強制帰国になってしまう。日本にとんぼ返りということになった日には、今生の別れかのように成田空港を後にした妻の立場というものがない。携帯もない、周りに助けてくれる人もいなければ、地球の歩き方に、「間違ったビザが発行された場合の空港での対応」なんていう項目があるわけもない。妻は英語が話せない。もはや世界で頼れるはおのれのみ、やるっきゃない。そのためにアメリカに来たんだもの。そう自分を奮い立たせ、私たちの焦りをよそにスーツケースだけが先へ先へと進む中、審査官に連れていかれた別室で事情を説明した。

 結局、私たちに非はないということで入国は許可されたものの、ビザは当然ながら無効、しかも、アメリカ国内での再発行はできず、一度国外に出国してしまうと戻ってこられないとのこと。これでは旅行に行くこともできない。あれ、夢にまで見ていた中南米旅行は?ペルーは?ボリビアは?

 私たちの留学中の旅行計画が遠のいた瞬間、私たちが乗るべき乗継便も、私たちを残して真っ青な空へと旅立ってしまったのだった。

 トラブル・トラブル・トラブル

やっと仰げたボリビアの星空
 そんなトラブルが嘘だったかのように、のどかでゆったりとした留学先の町での生活に慣れ始めていた矢先、妻が人生初の自動車事故を起こした。シボレー対フォード。アメ車同士の対決はシボレーに軍配があがり、私たちの車のフードは見事に壊れ、ナンバープレートも無残に路上に散った。妻を見れば茫然自失、再びやるっきゃない。警察が来るまでの5分程度の時間はまるで時が止まったかのようで、ピカピカと無機質に色が変わる信号だけをボーっと見つめながら到着を待った。

 警察からの事情聴取を受けた後、レッカーを頼み、妻を念のため救急外来にも連れて行った。その後も保険会社との間で複数回やりとりをした。日本でも経験したことのないアクシデントを、異国の地で経験し、さらには全て英語で対応しなければならないというのは、当時はさすがにストレスフルなものだった。妻につい一言あたってしまったときのことを今でもよく覚えており、逆の立場だったらと思うと、思い出す度に胸がチクリと痛む。ごめんなさい。

 私自身、病院には何度もお世話になった。ほくろができたと思って放置していた黒い「できもの」が実はマダニであったことに気づき、あわててインターネットで調べたところ、感染症による致死率が高いなどという情報を目にしたときは、さすがに血の気が引いた。このまま死ぬのかな、人生ってこんなあっけないのかな、何か悪いことでもしたのかな、理不尽だな、残していく妻に申し訳ないな、などと思いをめぐらせながらマダニを足にぶらさげて大学病院に駆け込んだことも、振り返ればいい笑い話だ。なお、医療は基本的に万国共通だし、医師もはっきりと話してくれるので、最低限の医学用語さえ事前に調べておけば意外とコミュニケーションは難しくない、というのは、アメリカや、その後研修のため住んだイギリス、香港でもたびたび病院にお世話になった経験を通じて感じたことの一つである。

 トラブルは続くよどこまでも-消えた数千ポンド

 もう一つ二つほど大きなトラブルをアメリカで経験した後、2014年の9月からは、イギリスの法律事務所での研修のため、アメリカを後にし、ロンドンへと移り住んだ。

 「独立投票の結果、スコットランドはイギリスにとどまることになりました。」

ロンドンでの我が家
 ヒースロー空港に着陸後の機内アナウンスで独立投票の結果がアナウンスされ、“Less United Kingdom”にならなくて良かったなどとくだらない軽口をたたきながら、入国審査手続きにたどり着いたとき、ふとアメリカでの一件が頭をよぎり、緊張感が体を走った。が、そんな緊張感も杞憂に終わり、無事、入国。ブラックキャブ、二階建てバス、ビッグベン、ブリティッシュアクセント、ありとあらゆる日常の風景が、ザ・イギリスであり、アメリカとはまた違う趣のある生活に刺激を受けながら、研修生活を楽しんでいた。

 そんなある日のことだった。事務所から帰宅すると、妻から、デビットカードで買い物の決済ができなかった、と告げられた。何をおっしゃる兎さん、と言いながら確認すると、果たして残金が数十ポンドしかないではないか。心当たりなんて、、、、、、ある。むしろ心当たりしかない。

 さかのぼること数週間・・・。銀行のインターネットアカウントにログインしたところ、トップページに、メッセージが表示された。その内容はといえば、私の口座に数千ポンドが振り込まれたが、誰某という人から誤送金との主張がなされている、マネーロンダリング等の犯罪に巻き込まれないよう当面アカウントは停止する、身に覚えがなければ返金手続きを行ってください、というものだった。見た目はどこからどうみても真正なサイト、確かに残高も増えている。何も疑うことなく、指示に従い窓口で事情を説明して返金手続きを行い、万事解決。

 のはずだった。しかし、これこそが消えた数千ポンドの原因だったのだ。後日、銀行の担当者と話して分かったことだが、どうやら、パソコンがウィルスに感染していたらしく、偽装サイトに誘導され、実際には振り込まれていない金額を振り込んでいたのだった。まんまとはめられた。偽装サイトだったなんて今思い返しても信じられない。もっとその悪知恵をいい方向に使ったらいいのに。本当にそう思う。

 金額の大きさもだが、何より自分が騙されるとは夢にも思っていなかったため、ショックは大きかった。ただ、当然泣き寝入りはできない。銀行に行き、長々と事情を説明し、保証できないと言われながらも数日後に全額補償されたときには、胸をなでおろしたものである。

 なお、その数週間後には、ロンドン証券取引所での会議に参加している真っ最中に、私のカードで何者かがピザのデリバリーを注文していた。今度はスキミング被害かなにかに遭っていたようだ。やれやれ、物騒な時代に生きているものだ。

 日本に帰国して

 このほかにも、2年あまりの間に本当に様々なトラブルに遭遇した。しかし、今となっては全てのトラブルが良い経験であり、ちょっとやそっとのことでは異国の地でも動じなくなっていったような気がする。私は元来小心者で、親戚の中でも一番年齢が下でかわいがられてばかりの立場だったが、頼れるのが自分だけという環境では、人間誰しも強くなり、度胸もつくようになるのだと、自分自身に感心もする。

 そして遂に先月、事務所に復帰した。復帰と同時に、シニア・アソシエイトとして扱われるようになり、案件の任され方も留学前と大きく変わったことに、当初は正直戸惑いを覚えた。人に頼れない状況下で、自分の分析・回答が果たして正しいのか、逡巡する機会は前より増え、メールの送信ボタンを押した後も寝るまで頭から離れないことがある。ただ、同時に、任せてくれている、自分の案件である、と実感できることもあり、そこには留学前にはないやりがいを感じる。

 この先の弁護士人生、視界は必ずしも良好ではない。日々の業務では常に難しい判断を迫られるだろうし、中長期的にも大きな乱気流の一つや二つ、遭遇することになるだろう。しかし、そういった中で一人もがきくるしみ、決断をするという経験は、必ずや自分を成長させてくれることだろう。この2年間の海外経験は、私をそう信じさせてくれるに足りるほど、中身の濃いものであり、素晴らしいものであった。