立法爆発と法律のオープン化
第2回 ITの可能性とその限界
株式会社 富士通総研 経済研究所
主席研究員 榎並 利博
榎並 利博(えなみ・としひろ)
株式会社富士通総研(FRI) 経済研究所 主席研究員。
1981年4月、富士通株式会社入社。1995年12月、富士通総研 公共コンサルティング事業部へ出向。2010年4月、富士通総研 経済研究所へ異動。
情報処理技術者特種。2013年度電気通信普及財団賞テレコム社会科学賞受賞。最近の著書に「実践!企業のためのマイナンバー取扱実務」(日本法令、2015年3月)がある。
我が国で「立法爆発」の現象が起きており、これが社会問題の要因にもなっていることを本連載の
前回原稿で指摘した。今回は法律とITの関係を考えてみたい。立法爆発の背景には様々な要因があるが、ITのような新しい技術の登場が新法の制定や法改正に与えている影響も少なからずあるだろう。また、立法爆発の問題を解決するために、ITが貢献できるという面もあると考えられる。特に、法律の条文はプログラムのコードとよく似ている。プログラム開発において使われてきたツールを活用すれば、法改正の自動化や論理チェックの自動化などができるのではないだろうか。
ITという技術が法律に与えた影響
前回、立法爆発の背景には、経済活動における法的基盤の改正、不動とみなされた刑事分野の改正、民法改正や議員立法など、これまでの社会とは明らかに様相が異なる状況の出現があることを見てきた。ITというこれまで存在しなかった技術の登場が、従来の法制度を大きく変化させ始めたことも否定できないだろう。
コンピュータは電子計算機として戦後登場し、初期は高速な計算や印字など従前の事務処理を合理化するための機械として利用されるに過ぎなかった。そのため、コンピュータが関わる法的な問題においても、現行法で解釈するだけで十分であったといえる。しかし、1995年頃を境にしてWindows95やインターネットが普及し始め、コンピュータが個人のものとなり、通信技術と融合するようになっていく。いわゆるIT革命が起こった時代であり、この頃からコンピュータではなく、通信も含めたIT(情報技術)という言葉が使われるようになっていく。
ITという言葉が使われるようになった理由は、情報の共有化やインターネットビジネスなどが盛んになっていくに従い、従来のプロセスを効率化するのではなく、技術を使ってビジネスのプロセスを抜本的に変えるという大きな考え方の転換があったためである。情報が紙から電子データへと変化するに伴い、紙を前提としていた従来の法律は当然変化を余儀なくされることになる。図表1は、2000年前後に成立した電子政府関連の主な法律を整理したものである。電子データや電子署名の法的有効性、公文書管理と情報公開、個人情報保護などの法整備がなされてきた。すなわち、ITという技術を社会で活用していくためにこれだけの法整備が必要とされたのである。
しかし、これだけの整備がなされたにもかかわらず、電子政府の専門家から「対象は行政機関であっても、電子データに限らず紙媒体をも対象とするものであったりする」と批判され、従来の法制度においてITを利用可能にしただけであり、紙を廃止して電子データへと転換を図るという意思が政府になかったと指摘されている。つまり、日本の電子政府が諸外国に比べてこれだけ後塵を拝しているのは、ITで紙を廃止するという意思表示の無い中途半端な法律が原因だという。
また、住民基本台帳法の改正は、住民基本台帳ネットワークで番号制度を構築するものであったが、法定受託事務としての位置づけを与えなかった。そのため、自治体に裁量があるかのような誤解を与え、住民の不安に応えるために住基ネットに接続しないという宣言をする自治体が出現し、社会的な混乱を招くことになった。そのため、電子政府の要となる番号制度の構築に失敗し、実効性のある番号制度はマイナンバー法成立まで待たされることになった。
さらに、旧公職選挙法はインターネットを文書図画と解釈していたため、選挙期間中のホームページの更新などが違法とされた。公職選挙法の改正によって解禁されたのは2013年であり、実に先進国の動きに比べて10年以上も遅れたことになる。この事例も、技術を活用して社会を前進させるという意思を法制度に反映させず、現行法のなかで技術を解釈しようと遅れに遅れてしまった事例といえる。
このように、新しい技術を社会のなかで活用していくためには法整備が必要であるが、それを法律の専門家だけに任せてしまっては不都合が生じることがよくわかる。もちろん政府としては、法律案などをパブリックコメントに付して国民に意見を求め、立法への国民参加という制度を作ってはいる。しかし、法律の条文などが国民にとってわかりづらく、実質的に参加できる制度であるとは言いがたい。
法律に対するIT支援
このように新しい技術が従来の法制度に影響を与えることも事実であるが、もう一つの面として、新しい技術が法律のあり方自体を変えていくという可能性もある。これまで法律の内容を確認しようと思えば、分厚い六法全書を紐解かなければならなかった。しかし、今ではインターネットですぐに検索できる。このように環境が変化すると、我々一般国民と法律との関係性も変化していくだろう。
政府においても、ITを活用して法律をより取り扱いしやすくしようという取組みが実施されている。
① 総務省行政管理局の法令データ提供システム(http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi)
これはインターネットで法令を検索・閲覧できる無料のサービスであり、国民にとってはもっとも身近に法令にアクセスできるサービスである。さらに、法令の条文のなかで他法令の規定内容を参照している場合、その法令の該当部分を表示できるようリンク情報を設定しているため、リンク先の情報が画面に表示され、使い勝手も良い。
例えば、図表は、下記の住民基本台帳法の第四条における地方自治法第十条第一項を参照したもので、画面下の欄にその条文が表示されるようになっている。
(住民の住所に関する法令の規定の解釈)
第四条 住民の住所に関する法令の規定は、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第十条第一項に規定する住民の住所と異なる意義の住所を定めるものと解釈してはならない。
しかし、問題もある。法令データ提供システムの利用にあたっての注意事項として「本システムで提供する法令データは、(中略)官報で掲載された内容と異なる場合は、官報が優先します」と記載されており、あくまでも紙の官報が原本であるという考え方である。では、官報に簡単にアクセスできるかというと、独立行政法人国立印刷局がインターネット版「官報」を提供しているが、直近30日間を除くと、有料である。官報(紙)の定期購読者でない場合は月額2,160円を支払わなければならない。さらに、「内容の正確性を問う場合は、印刷物である官報で再度確認してください」との但し書きまであり、紙文化からまったく脱していないことがわかる。
そして、法令データ提供システムには次のような限界があり、あくまでも紙の「官報」が大前提となっている。
- 附則の条、項、号単位での施行期日管理ができないため、未施行の情報が当該附則に溶け込んでいる場合がある。
- 表示が困難な法令中の外字、ルビ、数式等で、官報の表記とは異なる表記としているものがある。
- 未施行の改正内容の表記方法は、データ整備の都合上、条の後に「第一項」を表示するなど官報で公布されたものとは異なる。
② 法令審査支援システム
これは内閣法制局が利用している内部システムであり、国民がアクセスできるものではない。法令データベースでは、本則と附則の双方にわたる各条文がどの時点でどのような内容として施行され、または施行されることになっているかという情報を保有しており、法令(案)を施行日ごとに管理することができる機能を持っている。
また、条文点検補助ソフトウェアも稼動しており、その一つである改め文解析ソフトウェアは、施行日ごとに区分して改め文が改正対象法令に溶け込める状態となるようにするほか、修正部分を見え消しで見分けるようにしている。改め文溶け込みソフトウェアは、改め文を改正対象法令に溶け込ませるとともに、法令名称・法令番号、条項号などの表記ミス等のチェックを行っている。
このように施行日を管理したり、条文をチェックしたりするためにITを活用するという考え方であり、従来の法令の条文の書式そのものを変えようという発想は無い。
そのほか法務省では日本法令外国語データベースシステム(http://www.japaneselawtranslation.go.jp/)を構築しており、日本語・英語だけでなく、日英交互・日英対照表形式で表示できるようになっている。その理由は、法令文書がXML(eXtensible Markup Language)で表記され、章・節・条・項などが構造化されているからであるが、紙での表記をそのまま表現したものとなっている。
このように、ITの活用によって法律をより取り扱いやすくしようという試みは非常に意義があると評価できるが、「紙の文化」に固執しているためにITを有効に活用し切れていない部分がある。そして、漢字カタカナ交じり文は少なくなったとはいえ、法令文書自体が国民にとって読みやすいものになったとは言えない。
法令工学の可能性と限界
それでは、ITを活用して法律をより正確にかつ分かりやすくするという学問はどこまで進んでいるのか、学術分野に焦点を当ててみたい。
法律とITとの関係を扱った学問体系としては法学系と工学系の2つの領域がある。法学系では法情報学という学問領域が設定され、法解釈論的な思考を切り離し、情報系諸科学と整合性を保つ、法学と情報諸科学を架橋する領域とされている。ITで現行の法的なプロセスを支援するという問題意識であり、法令文書そのものを解析するような方向性は持っていない。
一方、工学系では、草創期の頃から記号論理の応用に関心を持ち、当時の人工知能研究への関心の高まりとともに法情報科学という分野が登場した。法情報科学とは、一貫して法律を題材として人工知能の実現を目指すアプローチであったが、その後、法とITをもう少し幅広く捉えて研究していこうとする法令工学と呼ばれる分野が登場する。
法令工学とは「法令文書に求められる無矛盾性や完全性などの計算機による支援、例えば、法令で定められるべきことが明確に規定されているか、場合の漏れはないかなどを検査し、法令文書の作成や保守を科学的に行い、また、法令を実働化している情報システムを設計する技術を研究、開発するためのものである」と定義され(片山卓也(2007)『法令工学の提案』国立大学法人 北陸先端科学技術大学院大学JAIST Press 2007年)、法令工学の目的の一つとして「法令文書の作成、解析、保守などを系統的に行う方法論を研究する」ことが掲げられている。
つまり、立法爆発の問題解決には、法令工学における法令文書を対象とした研究領域が役立つと考えられる。この領域では2つのアプローチがあり、まず基礎研究的なアプローチでは、現状の法令文書を論理的形式的に扱うことを主要な目的に据えており、論理的な表現が可能となった暁には、推論への適用、わかりやすい表現や要約への変換、英訳、より高度な検索へと応用範囲が広がっていくことを想定している。
しかし、研究者によれば、自然言語処理以前の問題として、法令文書の表現は「人間にとっても、煩雑で読みにくい表現」であり、法令文書を機械的に構造化することに限界があるという。
もう一つの実務研究的なアプローチでは、実務的な問題意識を背景として、ITを活用して問題解決を図っていくことを目的としている。古くは、コンピュータを使って一部改正法令を言語的に解析し、対象となる法令を自動的に改正する試みなどが実行された。近年では、法律データの記述にXMLを用い、XMLをベースに法律の条文をコントロールして保守の自動化を図ろうという方向に進化している。
法律文書を使った実証においては、不完全ながらも改正処理を自動化することは可能という結論になっているが、一部改正法律を解析する文法はまだ十分ではないという課題を残している。また、他の研究者も現行の法律を使った自動改正の実験を行っているが、その結果約0.5%で改正操作の失敗が確認され、改め文の改め文や多段改正などより複雑な場合への対応が課題となっており、自動処理だけでなくユーザ支援、つまり人間による手作業が必要ではないかと指摘している。
このように、法令工学では自動改正などで成果を上げているものの、完璧な自動改正には至っていない。つまり、法令文書を対象とした研究領域においては、コンピュータによる自動処理の限界を明確にするとともに、それを打開するための方向性を模索しているという状況にある。
立法爆発の問題に対処するためITが有効であることの可能性については確認できたが、「紙の文化」によってITが能力を発揮し切れない問題や、「既存の法令文書」が自動処理の限界に突き当たっているという問題がある。このような問題を解決するための突破口を開くため、今新たな発想が求められている。