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マレーシア、シンガポールでの地域統括会社の誘致、最新動向を見る

木村 裕

 「ASEAN経済共同体(AEC)」が2015年度中に発足する。ASEAN域内におけるヒト・モノ・カネの動きが今までにも増して流動化することが期待されている。これに伴い、域内における地域統括会社の誘致合戦も起きており、各国が新たな優遇策を次々と打ち出している。今回は、今年5月1日から新たな優遇政策を実施しているマレーシアと、その隣国であり地域統括会社の設置国としてすでに確固たる地位を築いているシンガポールに焦点を当てる。シンガポールは今までの地位を維持できるのか。マレーシアはどれだけシンガポールに追随できるのか。今年6月までの2年間ベーカー&マッケンジー法律事務所クアラルンプールオフィスに出向していた東京オフィス所属の木村裕弁護士が、シンガポールオフィス所属のユージン・リム弁護士と、クアラルンプールオフィス所属のメン・ユー・ウォン弁護士に話を聞いた。

木村 裕(きむら・ゆたか)
 弁護士・ニューヨーク州弁護士。
 2001年、東京大学法学部卒業。2008年、ニューヨーク大学ロースクールLL.M取得。東京オフィスのコーポレートM&Aグループに所属。2013年6月より2年間クアラルンプールオフィスに出向。主要な日本企業、外資系企業、プライベートエクイティファンドや投資銀行に対し、国内およびクロスボーダーM&A、企業再編、海外進出を含む一般企業法務に関するアドバイスを提供する。
 木村氏:マレーシアでは地域統括会社の新たな優遇策であるプリンシパル・ハブ(Principal Hub Incentive)が今年5月1日から施行されているようですが、導入の目的はどこにあるのでしょうか。

 ウォン氏:世界経済の成長スピードは、マクロで見た場合、全体として減速傾向にあります。そんな中で、世界中の多国籍企業が、その持続的成長を維持した上で株主価値を守るため、新たな可能性や成長余力のある経済地域に注力しようとしています。ASEANはまさにそのような経済地域として最適なポジションにあると言えるのではないでしょうか。このような状況を受けて、マレーシア政府は新たな地域統括会社の優遇政策としてのプリンシパル・ハブを最近発表しました。マレーシアは、地政学的な観点からもASEAN域内のハブとしてASEAN全域を統括するのにふさわしいと考えられており、AECが発足した際には多くの多国籍企業が地域統括会社を設置することが期待されています。

 木村氏:マレーシア政府は、プリンシパル・ハブにどのような役割を期待しているのでしょうか。

Meng Yew Wong(メン・ユー・ウォン)
 Wong & Partnersの税務グループにパートナーとして所属。国際貿易、税務、関税およびコンプライアンスに関する案件を主に手掛ける。国際税務、貿易および関税の分野において、商品、サービスならびに投資に関する多国間のサプライチェーン問題および戦略についてクライアントにアドバイスを提供。取扱業務はHSコード、WTO評価基準、自由貿易協定の輸出入規制、貿易制裁、貿易救済、腐敗防止およびフランチャイズ事業。
 ウォン氏:プリンシパル・ハブは、ASEAN域内ひいてはグローバルで事業を展開するにあたって高度な経営上の意思決定などを行う、いわば司令塔としての役割を担うことが期待されています。したがって、プリンシパル・ハブは、戦略策定、意思決定、財務、人事、リスク・マネジメントなどの機能を果たすことが求められており、これはプリンシパル・ハブの認定を受けるための要件にも色濃く表れています。

 木村氏:プリンシパル・ハブと認定されるためにはどのような要件が必要なのですか。

 ウォン氏:まず、マレーシアで設立された法人であることに加え、払込資本金が250万マレーシア・リンギットを超えていなければなりません。また、商品・製品の売買を行う企業では、年間売上が最低でも3億マレーシア・リンギットなければなりません。
 プリンシパル・ハブにはTier1、Tier2、Tier3という3つのカテゴリーがあり、それぞれ優遇税率などの優遇措置が異なりますが、いずれのカテゴリーにおいても、プリンシパル・ハブ法人は指定された戦略サービス(経営企画・ブランド/知的財産管理等)、事業サービス(研究開発・マーケティング等)、シェアードサービス(人材管理・ITサービス等)のカテゴリーの中から3つ以上の適格サービスを運営しなければならず、うち1つは戦略サービスのカテゴリーに属するものでなければならないとされています。

 高付加価値専門職*年間事業費ネットワーク会社
の所在国の数
Tier 3
法人税率10%
15人
うち3人が戦略・経営を担う経営職**
3百万RM 3
Tier 2
法人税率5%
30人
うち4人は戦略・経営を担う経営職**
5百万RM 4
Tier 1
法人税率0%
50人
うち5人は戦略・経営を担う経営職**
10百万RM 5

*「高付加価値専門職」というのは、技術あるいは専門性のあるスキル等を有する職の総称。最低賃金は月5,000マレーシア・リンギット。プリンシパル・ハブのステータスを取得後3年経過した時点において、高付加価値専門職の最低でも50%はマレーシア人でなければならないとされている。
**「戦略・経営を担う経営職」の最低賃金は月25,000マレーシア・リンギット
  

 木村氏:地域統括会社の認定を受けることによる最大のメリットの一つが優遇税制かと思いますが、これについてはどうなっていますか。

 ウォン氏:軽減税率が適用される期間は、いずれのTierにおいても最長で5年で、さらに5年間の延長が認められます。5年間の延長を認めるかどうかは、各Tierで要求される高付加価値専門職の人数および年間事業費支出の達成度合いを考慮して決定されます。
 一点、注意すべきなのが、プリンシパル・ハブがマレーシア国内において供給を受ける製品やサービスが軽減税率の恩恵を享受するためには、その比率は全体の30%までであることが要求されるという点です。つまり、プリンシパル・ハブがマレーシア国内のネットワーク会社に提供したサービス等からの所得は、その合計が全体の30%を超えない限りにおいて軽減税率の適用を受けることになります。

 木村氏:優遇税制以外のメリットにはどのようなものがありますか。

 ウォン氏:マレーシア政府の説明によれば、プリンシパル・ハブと認定された企業には外資規制が適用されないとされています。もっとも、現在規制業種とされている業態に関してプリンシパル・ハブが認められた場合、これが現在適用されている外資規制が適用されなくなることまでを意味するのか、現段階では不透明です。

 木村氏:マレーシアには従前から地域統括会社に対する優遇策がありましたが、これはプリンシパル・ハブの施行によりどうなるのでしょうか。

 ウォン氏:プリンシパル・ハブが施行される前には、マレーシアには統括会社の優遇政策として大きく3つの制度がありました。グループ会社に対して提供されるサービスに関する優遇策を規定していたOHQ(Operational Headquarters)、マレーシア内外でグループ会社のために原材料等の調達を一括して行う会社に関する優遇政策を規定していた国際調達センターのIPC(International Procurement Centers)、グループ会社のために最終製品の配送をマレーシア内外に行うためにマレーシアをハブとして利用していた会社に対する優遇政策を規定していた地域流通センターのRDC(Regional Distribution Centers)がこれにあたります。今回のプリンシパル・ハブは、このいずれの機能をも営むことが期待されているため、プリンシパル・ハブの施行に伴い、これら3つの制度は廃止されました。

 木村氏:プリンシパル・ハブとして認定された場合の優遇策で、以前の制度と一番違う点はどこでしょうか。

 ウォン氏:以前の優遇政策であるOHQステータスを取得した際に免税となるサービスの範囲は、原則としてOHQステータス企業が他のグループ会社から徴収したサービスフィーに限定されていました。これに対して、プリンシパル・ハブ制度の下では、プリンシパル・ハブの認定を受けた企業で発生した課税対象利益に関しては、例えば、Tier 1ステータスであれば、その全額が免税となる点が大きな違いとなります。そのため、ASEAN域内で発生する課税対象利益をプリンシパル・ハブに集約することで、理論上は大きな税務上のメリットを享受できる可能性があることになります。

 木村氏:次はシンガポールについて聞いてみたいと思います。現在ASEANにおける地域統括会社の設置拠点としてはシンガポールが最もポピュラーで、実務的な感覚からしても、日系企業の意向としてシンガポール以外に地域統括会社を設置するという選択肢はほとんど存在しないと言えるくらい浸透しているかと思います。シンガポールは、地域統括会社に対する優遇政策として、どのような制度を打ち出しているのでしょうか。

Eugene Lim(ユージーン・リム)
 ベーカー&マッケンジーのシンガポールオフィスで税務、貿易および資産管理グループの代表として執務。ベーカー&マッケンジーのアジア・パシフィック地域における貿易および通商グループを統括する。シンガポール、中国およびアジア・パシフィック地域における、国際貿易、国際税務プランニング、税務論争、間接税、関税および消費税、輸出規制、貿易制裁に関する案件を主に手掛ける。
 リム氏:シンガポールにおける地域統括会社に対する優遇政策には、大きく分けてパイオニア・インセンティブ(Pioneer Incentive)と開発・拡張インセンティブ(Development & Expansion Incentive)の2つがあります。
 まず、パイオニア・インセンティブですが、これは、シンガポールの関連産業の平均的な水準に比べて高い水準の技術・ノウハウ・スキルを持ち、シンガポールにおいて同じ水準のサービスを提供できる企業は存在しないと認められる場合に付与される優遇政策です。個別事案毎にインセンティブの適用の可否が検討され、この認定を受けると法人税が5年から最長15年にわたり免税となります。日系を含む大手外資系メーカーなどは、かつてこのインセンティブを付与されてシンガポールに進出してきました。

 木村氏:パイオニア・インセンティブには非常に大きなメリットがあり、また、以前であれば、これを利用することができる可能性も大きかったと思いますが、現在非常に発展してしまったシンガポールにおいて、同国にない水準のサービスを持ち込むというのは今となってはそれなりに難しくなってきていますね。もう一つの方のインセンティブはどうでしょうか。

 リム氏:開発・拡張インセンティブは、パイオニア・インセンティブほど適用要件が厳格ではないですが、適用される軽減税率は原則として5%から15%となります。軽減税率の適用期間は当初10年で、原則として5年ずつ、最長で合計20年までの延長が一般的には認められます。こちらのインセンティブに関しては、所轄の当局である経済開発庁(Singapore Economic Development Board: EDB)が、シンガポールに対して経済的利益をもたらすような製造業、研究開発事業、IT関連事業などを歓迎するとしています。
 シンガポールにおいても地域統括会社(Regional Headquarter)あるいは国際統括会社(International Headquarter)という言葉が使われることがありますが、いずれにしても統括会社に対する優遇政策に関しては、パイオニア・インセンティブか開発・拡張インセンティブのいずれかに整理されることになります。

 木村氏:シンガポールにおいてこのような優遇政策の適用を受けるにあたっては、マレーシアにはない特徴があると理解しています。具体的にはどのような点になるのでしょうか。

 リム氏:シンガポールの優遇政策の運用の特徴として、その条件の多くは所轄の当局(パイオニア・インセンティブと拡張・開発インセンティブに関してはEDB)との交渉ベースで決まるという点があります。例えばマレーシアのプリンシパル・ハブでは、売上規模や事業支出に関して各カテゴリー毎の要件が細かく決められていますよね?これに対してシンガポールでは、シンガポールに進出する企業がどのようなメリットを国にもたらすかという点に注目した上で、それに応じた様々な条件を当局が要求し、会社側とこれを協議するという点が大きな特徴になります。

 木村氏:なるほど。その意味では、シンガポールという国にもたらすメリットが大きければ、企業としてはシンガポール政府と強気な交渉ができるということですね。マレーシアが新たにプリンシパル・ハブという優遇政策を導入したことは、シンガポールによる地域統括会社の誘致にどのような影響を与えると考えますか。

リム氏(左)とウォン氏
 リム氏:たしかにマレーシアのプリンシパル・ハブは、従前の優遇策に比べ大幅にメリットを拡充してきていると思います。ただ、地域統括会社を設置するにあたっては、優遇政策の手厚さだけでなく、実際に事業を運営していくにあたって考えなければならない様々な課題があります。これらの点も考慮しなければならないと思います。
 例えば、統括会社の運営にあたっては、高度な能力を持っている専門家など、ハイレベルな人材を採用する必要があります。確かにシンガポールにおける人件費の高騰は著しいですが、他方でマレーシアにおいてそのような人材をどのくらい雇えるのか、という点は考えなければならないと思います。また、統括事業を運営していくにあたって必要となるインフラがどの程度整っているか、という点も検討が必要です。

 ウォン氏:マレーシアは、シンガポールの制度が要求するような高い水準の製品やサービスを提供する企業でなくても、統括会社を設置してもらうのはいつでもウェルカムですよ(笑)。この点はマレーシアがアピールできる点かもしれません。

 木村氏:シンガポールとマレーシアは、いずれも元はイギリスが宗主国だったということもあり、法制度は非常に似通っていますが、他方で国民一人当たりのGDPの金額でみると、大きな差がついてしまっています。これは裏を返せばマレーシアにはシンガポールにはない可能性や成長余力がまだまだあるということにもなるのかと思います。その優位性を最大限活用するために、マレーシアはどのような努力をしているのでしょうか。

ユージン・リム弁護士(左)、木村裕弁護士(中)、メン・ユー・ウォン弁護士(右)
 ウォン氏:確かにシンガポールと比べるとマレーシアが改善しなければならない点は数多くあります。ただ、マレーシアは、ASEANの他の新興国といわれる国々に比べればいわゆる中進国であり、法制度を含め様々な社会インフラは整備されていると言えるのではないでしょうか。社会における様々な問題点についても、法整備がされていない分野であれば新たに法律を制定するなど規律を進めています。この点、法律はあっても実務上の運用がこれと全く異なっていたり、あるいは法律がそもそも存在せず様々な課題が野放図になっている新興国とは一線を画していると言えるのではないでしょうか。

 木村氏:ありがとうございます。私も日系企業のASEAN事業をサポートする中で様々な専門家と議論する機会があるのですが、シンガポールの高騰する人件費やオフィスの家賃に悲鳴を上げて、マレーシアに統括会社の拠点を移転しようとする動きも実際に起きているようですね。当面はシンガポールの優位性は崩れないのかもしれませんが、長い目で見ればマレーシアがどれだけASEANにおける地域統括会社の誘致に成功するのか、個人的には非常に興味深いのではないかと思います。