2016年05月30日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 土屋 智恵子
1. はじめに
2. ウィーンと国連
オーストリアの首都ウィーンは、ニューヨーク、ジュネーブに次いで第3の国連本部が設けられた都市である。ウィーンには、IAEAの他、国連工業開発機関 (UNIDO)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会、国連薬物犯罪事務所(UNODC)、国連宇宙部(UNOOSA)、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)等の本部が設置されており、これらの機関は、Vienna International Centre(「VIC」)と呼ばれる国連ビルに入っている。ウィーン市民は、VICを「UNO(ウノ)シティ」との愛称で呼ぶ。VIC内には、銀行・郵便局・薬局等の他、国連職員・外交官用のコミッサリーと呼ばれる売店があり、ここでは一定限度で免税にて日用品が購入でき、大変便利だった。
3. IAEAとは
IAEAは、1953年国連総会において、アイゼンハワー米国大統領が原子力の平和的利用を促進する国際機関の創設を提案した有名な演説「Atoms for Peace」(平和のための原子力)を直接の契機として、創設のための協議が開始され、1957年に発足した国際機関である。IAEAは、国連傘下ではあるものの、独立した国際的機関とされる。
現在の加盟国数は168カ国(2016年2月現在)、事務局は、天野之弥事務局長を筆頭に、100カ国以上の出身国からの約2560名の専門職・サポートスタッフから構成される。事務局長の下に6名の事務次長がおり、それぞれ、管理運営、原子力エネルギー、保障措置、技術協力、原子力科学・応用、原子力安全・セキュリティの各局の長を務めている。
本部はウィーンにあるほか、ニューヨークとジュネーブに連絡事務所、東京とトロントに地域事務所、ウィーン郊外のサイバースドルフ、モナコ、イタリアのトリエステに研究施設がある。2016年の通常予算は、約359.3百万ユーロ(約440億円)で、うち日本の分担率は約10%であって、米国の約25%に次いで第2位である。私が勤務していた2014年12月時点では、ウィーン本部における日本人職員は約50名だったが、その半分以上がコストフリーエキスパートと呼ばれる官庁等からの出向者(日本側が給与等の必要経費を負担)であり、日本人の職員数は、拠出金の分担率に比してかなり少ないといえる。
IAEAは、原子力発電分野の事業や、原子力が軍事的目的に転用されないことを確保するための査察事業がよく知られているが、近年では放射線技術の農業や健康分野等への応用にも力を入れている。例えば、途上国において、同位元素を用いて地下水等の情報を取得し、汚染を探知して安全な飲料水の提供を行えるようにしたり、害虫対策として、放射線を利用して生殖機能を失わせた不妊虫を放つことにより、生息数を減少させ、根絶させる対策を行ったり、開発途上国に放射線治療設備を提供し、医療スタッフの研修を行う等のプログラムを行ったりしている。
4. IAEAへの就職
私は、ウィーンに来てから、IAEAのリーガルオフィサー(法律専門家)の空席ポストに応募した。まずIAEAの書式で経歴書を作成・送付したところ、書類選考を経て、面接の連絡が来た。面接では、これまでの職務経験を聞かれたので、英語を日常的に使用して、日米並行倒産や国際紛争、海外資産のある争訟性の高い相続等、複雑な各種国際事件を担当してきたこと、それらの経験や弁護士会のあっせん人等の職務を通じて、関係者の利害を調整しつつ案件をリードしていける能力を備えていることを、募集ポストの職務につながるようにアピールした。その他は、こういう場合あなたならどうしますか、このことについてどう考えますか、といったタイプの質問が多かった。また、チームワーク、タイムマネジメントについての質問や、仕事上どういう失敗を経験し、そこから何を学んだかという質問もあった。感触は悪くはなかったが、この時は採用されなかった。後から聞くと、このポストには300人以上の応募があり、かつ国際機関でありがちなことではあるが、当初から組織内部に有力な候補者がいたとのことであった。
しかし幸運なことに、数か月後、IAEAから、短期契約でのリーガルオフィサーの募集があるが興味はあるか、との連絡が来た。これは、前回の選考において、候補者のショートリストに残ったためと思われる。そして、論文式の筆記試験を受けることとなった。その後、再度面接を受け、採用となった。その後、数回にわたって雇用期間の延長を重ね、2012年9月から2015年5月までの合計2年9ヶ月間、IAEAで働くこととなった。
5. 法務部について
法務部は、契約、調達、財政、人事、内部管理等についての法的問題を扱うGeneral Legal Section、主に保障措置や核不拡散に関連する法的問題を扱うNon-Proliferation and Policy Making Organs Section、 原子力安全、損害賠償等の条約関係に関するアドバイスや加盟国に対する原子力関連法の制定の援助等を行うNuclear and Treaty Law Sectionの3つのセクションに分かれている。アメリカ人女性の法務部長を筆頭に、リーガルオフィサーが約20人在籍していた。職員の国籍も様々で、私のいたGeneral Legal Section の場合、アメリカ、ロシア、オーストラリア、スペイン、ドミニカ共和国、エクアドル、ボスニア、ドイツ、フランス、日本(筆者)と、 誰一人同じ国の出身者がいなかった。
法務部は、親切で明るい同僚が多く、楽しかった。法務部長のアメリカ人弁護士は、とてもエネルギッシュな女性で、笑い声がいつも廊下に響いていた。エクアドル出身の弁護士は日本に留学したことのあるカラオケ好きの朗らかな弁護士だった。彼は、国際機関での勤務経験が初めてで右も左も分からない私に対し、この問題についてはこの人が詳しいから電話で聞いたらよい、これについては、ここを見たら分かる等、何から何まで教えてくれて、大変お世話になった。ドミニカ共和国出身の女性弁護士は、調達契約のスペシャリストで、リーダーシップもあり、一緒に仕事をして学ぶことが多かった。またよくお互いの子どもの話もした。同室のドイツ人の同僚は学者肌で物静かな性格の好青年だった。日常生活のドイツ語の書類の内容を教えてもらったり、ちょっとした愚痴を言い合ったりした。
また、誰かの誕生日にはケーキやワイン等が持ち寄られ、廊下に集まってお祝いしたり、クリスマスパーティー等は、部長がリーダーシップをとって、クリスマス実行委員を決め、出し物やサンタ、プレゼント、レストラン等を計画したりした。私も実行委員会に参加して出し物を企画したり、誕生日やパーティー等に、巻き寿司やちらし寿司を何度か作って持って行ったりした。
仕事面では、私自身は、IAEAと加盟国政府、研究機関等との間の取り決め、研究協力等についての契約のレビューやアドバイスを担当することが多かった。その他、調達契約のレビュー、人事関連の相談、国際労働行政裁判所(ILO Administrative Tribunal) に係属する人事事件の準備書面の起案等、多彩な業務を取り扱った。なかでも、思い出深いのは、IAEAに入って間もなく担当した、福島第一原子力発電所事故を受けた福島県とIAEAとの間の協力に関する覚書、並びに放射線モニタリング及び除染、健康関連、緊急事態の準備・対応の各分野におけるIAEAと福島県、外務省等との間の各実施取り決めである。
これらの文書は2012年12月に行われた原子力安全に関する福島閣僚会議の際、またはその前後に署名されたが、福島閣僚会議は、日本としても、福島第一原子力発電所事故から得られた教訓を国際社会と共有し、さらに福島の復興を国際社会に発信するための大事な会議であった。IAEAに入って間もなく、これらの覚書や実施取り決めのレビューや交渉を通じて、法務部の同僚・上司、IAEAの原子力安全の専門家や緊急事態の準備・対応の専門家、さらに相手方としての日本の外務省(在ウィーン国際機関代表部)とともに仕事する機会を得たことは大変に幸運だった。また、国際機関の職員として世界のために力を尽くすという大きな目的をもった職務にやりがいを覚えた。同時に日本人として、自分がわずかでも日本の復興に関われたことはうれしかった。
6. IAEA Ball(IAEA舞踏会)について
7. 終わりに
夫の転勤により思いもかけず暮らすこととなったウィーンだったが、国際機関勤務という貴重な経験が得られ、それによって、沢山の友人や思い出ができた。機会があれば、またこのような国際的な職場で勤務をしたいと思う。そして、この経験をぜひ日本の弁護士業務でも生かしていきたい。
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