メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

秘密裏の経営判断はなぜ漏れたのか? 記者と弁護士

柴田 義人

メディアと弁護士

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
柴田 義人

柴田 義人(しばた・よしひと)
 1988年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。富士通株式会社勤務を経て1991年3月、慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業。1993年3月、慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。1998年4月、司法修習(50期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。2004年5月、米国Duke University School of Law修了 (LL.M.)。
 行列のできる・・・というタイトルのテレビ番組がヒットして以降、頻繁にテレビや雑誌に弁護士が登場するようになった気がする。私の大学の同級生にもワイドショーにレギュラー出演する有名弁護士がいて、恥ずかしながら、同窓会で会った時に一緒に写真を撮ってもらったりした(有名人と写真を撮りたがる心理はどのように説明できるのだろう)。「○○さんみたいにテレビにたくさん出てくる弁護士さんって、どう思いますか」と依頼者や知人に聞かれることも多い。「弁護士としては感心しませんねえ。なぜかというと・・・」という答えが期待されているのかもしれないが、そんなにひとくくりにできるとも思えず、私の答えはいつも曖昧になってしまう。あまり曖昧なことを言っていると、自分もテレビに出たいと思っているのではないかと思われてやしないかと気になり、ますます歯切れが悪くなったりする。メディアで活躍する同業者は、このように日常の私を少しだけ困らせている。

 さて、今日書きたいのは、そういう「タレント弁護士」のことではなく、私たち企業法務の弁護士が避けることのできない、取扱案件に関する報道と弁護士業務の微妙な関係についてである。

 弁護士登録をしてから19年目になるが、これまで何度か、連日のように報道される事件を担当した。記者会見をしたり、依頼者の同意を得て長時間の取材に応じたこともある。そこまでではなくても取扱案件がメディアに登場することはあまり珍しいことではない。

 世間の耳目を集める倒産事件や企業不祥事では、各社の経済部・社会部の記者さんが、今でも夜討ち・朝駆けの伝統的な取材方法でキーパーソンに張り付く。トップの記者会見には時に数百人のメディア関係者が集まり、カメラマンは事件を象徴する一瞬の表情を狙って無数にシャッターを切る。世界中の苦悩を一身に集めたような経営トップの表情を、よくもあれだけうまく撮るものだと思う。

 メディアといえば、こんな出来事があった。あるメーカーで大規模な不祥事が発生し、危機管理を担当していた私たちは、文字どおり毎日、時には1日に何度も社長と顔を合わせ、危機脱出に向けた戦略を立て、行動プランを調整し、社長の記者会見の原稿を書き、内外の当局や関係者と交渉していた。

 案件が大きな節目を迎え、深夜、経営陣と弁護士が数名で合議し、方針を決めた。重要な事柄ほど非公式な場で決まるのは、企業不祥事でも同じである。議事録などない。根回しが終わる前に外に漏れては実行に支障をきたす内容であったため、いつまで内容は秘密に保つかということまで合意された。誰がその場にいたか、誰がどのような意見をどんな表情で述べたか、お互いにはっきりと記憶できる状況であるから、そのような合意をするまでもなく、秘密は当然に保たれる・・・はずであった。

 実際には、その方針は、翌朝の朝刊や朝のニューズ番組さえ待たず、夜明け前に某新聞社のウェブサイトで正確に出てしまった。漏らせば自分が話したことがかなりの確率でわかってしまう会議。それでも、秘密裏の決定が数時間後には日本中の人が自由に読むことができる状態に置かれてしまう。私にとっては、メディア、とりわけ本気になったときの新聞社の取材力を思い知った出来事だった。この事件では、ある3連休に、3日続けて(それぞれ違う新聞に)書かれたくないネタを書かれたこともある。こうなると、しばらく新聞は読みたくなくなる。

 記者さんたちの取材力は、率直にすごいと思う。よく調べるなと思うし、実際には書けないネタが多いだろうことを思うと、どれだけ話を聞いて回っているのか、想像もつかない。深夜まで法律事務所や会社、時には自宅の周辺で待機している様子を見ると、頭が下がる。

 それほど勤勉で取材力のある記者さんたちを私は尊敬しているが、残念ながら協力はできないことの方が多い。今の時代、不祥事でもM&Aでも倒産でも、基本は情報の開示である。しかし、タイミングというものがある。書かれてはまずいタイミングで書かれるのは、何としても避けたい。取材への対応として、自分から積極的には話さないが、嘘はつかないし、記者の間違いは正すという方針の弁護士も結構いる。私は少し違う。知っていることでも平気で知らないと言うし、記者さんが間違っていても訂正してあげたりはしない。それで誤報した記者さんが信用を失い、又は次のネタを書くのに萎縮してくれたら、こちらに有利になるかもしれないからだ。記者さんに対して誠実であることより、自分の職務に誠実であることの方が私には優先するので、秘密を守ることが自分の職務なら、前者を犠牲にするのは平気だ(・・・ごめんなさい)。

 尊敬する記者さんたちだが、いくつか苦言も呈したい。書かれる立場にいる人たちのすぐ近くにいて思ったことである。

 その1。単純な話にしたがる傾向は自覚した方がいいと思う。わかりやすい記事にしたい気持ちはよくわかるが、度が過ぎていると感じることも。世の中は、いつも単純なわけではない。

 その2。もう少し勉強して欲しい。我慢して3つだけ法律の条文を読めば、ずいぶんいい記事になるのに、ということ、時々あります。経済部にも社内弁護士を入れたらどうでしょうか。

 その3。決め打ちには気をつけて。仮説は大事だが、仮説を支持しない証拠にこそ注意を向けてほしい。メディア的な通説と違う内容はなかなか記事にならない。仮説で悪者にされた当事者は泣いています。

 もうひとつ違う話。債務者がいつ会社更生を申し立てるのか、注目されていた倒産事件。申立てよりも先に書かれては現場が大混乱になってしまうので、書かれるわけにはいかない。朝にはコピーを終えた書類を裁判所に持ち込む必要がある。大量の申立て関係書類を24時間営業のコピー業者に持ち込む必要がある(当時は事務所の規模も小さかったので、所内ではコピーしきれなかった)。記者さんたちがいる間は持ち出せない。深夜になっても事務所の外には記者さんが待っている・・・。

 困った私は、1時間にひとりずつ後輩を帰し、事務所を離れてから電話をかけてもらった。弁護士がわざとらしく様子を見て戻ってくることを繰り返したら、それこそ朝まで帰ってくれなくなると思ったからだ。午前0時「まだいます」。午前1時「まだいます」。午後2時「皆さん帰ったようです」。午前2時30分、業者に持ち込んでコピー開始。午前9時に無事に申立て。その後、依頼者の社長と事務所の代表弁護士が記者会見して、夕刊で大きく報道・・・。これでも深夜の張り込み、必要なのだろうか? 皆さん、今晩は早く帰って、明日の夕刊に書けばいいじゃないですか。

 「やられた」という記事の情報源は、すぐにはわからない。でも普通は一回で済まずに同じ事件で何度もやられるので、共通点を絞り込んでいけば大抵わかってしまう。「ふーん、この人、しゃべっちゃう人なんだ」と思いつつ(決して口にはしない)、その後も付き合いが続く人もいる。

 さて、極秘の決定が数時間持たずにウェブサイトに出てしまった上記の事例のことを、あるメディアの報道幹部を経験した先輩に話したら、「わかった。監督官庁か銀行だろ。俺も何回もネタとったからね。役所やメインバンクの幹部はおいしい。」

 正解? 知りません。