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ある弁護士の英語奮闘記 「アウェイ戦」のすすめ

宮川 賢司

ある弁護士の英語奮闘記 「アウェイ戦」のすすめ

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
宮川賢司

 1. 国内志向から国際志向への転換

宮川 賢司(みやがわ・けんじ)
 1997年3月、慶應義塾大学法学部卒。2000年4月、司法修習(52期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。2000年4月から2014年11月まで田中・高橋法律事務所(現事務所名 クリフォードチャンス法律事務所)勤務。2004年8月、英国University College London (LL.M.)修了。2014年12月、当事務所入所。
 私は、2000年4月に弁護士登録をし、約13年間外資系法律事務所で勤務した後に、2014年12月にアンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所させていただいた。主な取扱業務は、外国の投資家による日本の不動産や再生可能エネルギープロジェクトへの投融資(いわゆるインバウンド)と日本の投資家による外国の不動産や再生可能エネルギープロジェクトへの投融資(いわゆるアウトバウンド)である。

 このように経歴や業務を説明すると「帰国子女だったのですか」、「学生時代から英語に興味があったのですか」等と聞かれることがあるが、事実は全くの逆で、大学を卒業するまでは純粋国内志向の人間だった。

 しかし、法律事務所の就職活動を続ける中でいわゆる予防法務としての企業法務が面白いのではないかと思い、そうであれば英語力を磨かなければならないと遅ればせながら気が付いた。そこで、1998年当時京都で司法修習をしているときに、慌てて英会話学校に通い始めた。

 このように、遅まきながら国際志向に転向した私であったが、そのような私が国際的な企業法務の分野で生き残ることができた理由は何か、改めて考えてみると「アウェイ戦」というキーワードが浮かび上がってくる。

 以下、これまでの個人的経験の中から3つほどエピソードを紹介しながら、アウェイ戦の効用を検証してみたい。

 2. エピソード1: UCL Pre-sessional English Course(ロンドン大学の英語準備コース)

 私は専門を金融にしようと考えていた。かつ、海外留学前に仕事を通じて親しくなったイギリス人の若い弁護士が2003年当時ロンドンで仕事をしていた。このため、私は、海外留学としては2年間ロンドンに1点集中することを決めた。そして2003年7月から約2年間、ロンドンで様々なアウェイ戦を経験することになる。

 その開幕戦となったのが、ロンドン大学のUniversity College London (UCL)で開催されるPre-sessional English Courseであった。UCLのPre-sessional English Courseでは、法律を専攻する学生とそれ以外の分野を専攻する学生を集めて、実践的な英語力に磨きをかけるとともにロンドンでの生活に慣れるというものであり、大変有益であった。

 Pre-sessional English Courseでは15人弱で1クラスを構成する。当時は日本人留学生があまり多くなかったため、私の所属クラスでは日本人は私一人であった。

 当時最も苦しみかつ今でも役に立っていると思うことは、各自が自由なテーマを決めて英語で小論文を書き、その内容について5分間程度で全員の前でプレゼンテーションを行う課題である。今思い返せば勇気のある決断であったが、私は「死刑制度は必要か否か」という日本語で議論するのも難しいテーマを選択し、四苦八苦して小論文を書き上げるとともに、5分間のプレゼンテーションを行った。聴衆はヨーロッパ諸国、アジア諸国からロンドン大学に留学に来ている議論好きの20代前半の若者だったため、案の定様々な質問が飛んできて、今から思えばよく乗り切ったと思う。

 日本では「プレゼンテーション」の技法についてあまり勉強したことがなかったが、パンチ力のある「プレゼンテーション」を行うためには、例えばメインメッセージを1つ決めて、それを支えるアイデアや実例を2つか3つちりばめること、プレゼンテーションを実施する際にはアイコンタクトを心がける等、様々な技法があることを学ぶことができた。これらの経験が、後に述べる国際会議でプレゼンテーションを行う際の土台となった。

 3. エピソード2: UCLバドミントン部

 2つ目のエピソードはもう少し柔らかい話である。

 私は高校1年生から大学1年生までの4年間バドミントン漬けの学生生活を送っていたが、このバドミントンを武器に、UCLの体育会(?)バドミントン部に入部した。2003年は盛況で100人弱の入部希望者がいたため選抜試験が行われたが、やはりアジアにおけるバドミントンのレベルは高いようで私を含むアジア系の学生10名程度がAチームに選ばれ、毎週数回の練習に参加するとともに、イギリス国内の遠征試合にも参加できた。Aチームの選手は私(当時28歳)とキャプテン以外は社会人経験なしのいわゆる学部生(Undergraduate)であり、ほぼ全員アジア系だったが英語はネイティブレベルだった。学部生の若さ溢れる弾丸トークにさらされて最初はなかなか大変だったが、スポーツという共通の話題があったため、1泊2日でイギリス北部に遠征試合に出かけたときも何とか無事に乗り切れた。

 仕事をしていると、電話や会議で法律的な問題点を英語で議論する機会が多くあるが、その過程で例えば海外から日本を訪れる外国人の依頼者を接待する機会もあり、法律英語だけではない日常英会話が必要となる場面もある。私の個人的経験では、法律英語を駆使して議論をするよりも、日常英会話のほうが話題を絞れないので難易度が高いように感じるが、UCLバドミントン部での経験を踏まえ、今でも臆することなくそのような接待の場面に積極的に参加するように心がけている。

 4. エピソード3: 国際会議の出席その他日々の取組み

 海外留学はそれ自体がアウェイ戦なので、海外留学中に英語力が伸びることはある意味当然の結果であるが、問題はその英語力を日本帰国後にいかに維持発展させるかにあると思う。個人的には、その時点その時点の自分の実力を少し超えるくらいの「完全なるアウェイ戦」を積み重ねていくほかはないのかなと思い、国際会議等に積極的に参加するようにしている。

 例えば、2010年10月のCarbon Forum Asiaでは “GREEN + J-MRV – the fast track for bilateral credits?”においてスピーカーとして参加し、排出量取引に関する二国間クレジットの法的問題点を議論した。2003年にロンドン大学でInternational Environmental Lawを受講して以来、環境分野には興味があり、排出量取引については力を入れてきたのでスピーカー参加できたことは非常に光栄であった。当日はなぜかテレビ局の取材もあり、テレビカメラが回る前でプレゼンテーションを行うことはいつも以上の緊張感があった。

 直近では、2016年3月にInternational Bar Associationの会議(2nd IBA Asia-based International Financial Law Conference)に参加し、アジア各国で業務を行っているかつての同僚や友人と再会し、アジアのファイナンスマーケットの動向などを議論することができた。逆に、かつての同僚や友人が日本に来てくれるパターンもある。例えば、ロンドン在住のとあるヨーロッパ系の銀行に勤めているイギリス人の友達が2015年に結婚し、新婚旅行の行き先として世界中の国の中からあえて日本を選択してくれた!これは歓迎しなければと思い、自宅に招待したり、赤坂の料亭に連れて行ったり、カラオケ大会を開催したりした(2006年に自分の新婚旅行でロンドンを訪れた際にもカラオケ大会を開催してくれたので、その御礼も込めて)。

 より日常的な取組みとしては、事務所に所属するSenior Foreign Counsel、Foreign Legal Assistant、Foreign Legal Traineeという肩書の外国人弁護士たちとできるだけ多く仕事をし、かつ仕事だけではなくランチ等で遠慮のない生の英語に触れるようにしている。

 このように、数々のアウェイ戦を積み重ねることで日本国内外に個人的なネットワークが築き上げられつつあるので、ネットワークの構築という観点からもその有用性が確認できる。

 5. むすびに代えて - 将来の展望

 以上のとおり、国際的なバックグラウンドを持たない中で仕事をしながら実践的な英語力を高めていくためには、少し尻ごみするくらいの「アウェイ戦」を積み重ねることが効果的だと信じている。

 幸いにして、現在は、専門知識と実践的英語力の両者をバランスよく磨きをかける上で最高の環境に恵まれている。日々高い緊張感の中で仕事をさせていただき、自分の成長を実感している。

 与えられたチャンスを無駄にしないよう、今後も数々のアウェイ戦を自らに課すことで自分の特色に磨きをかけ、微力ながら事務所の発展に貢献したいと決意を新たにしている。