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喧噪とエネルギーに満ちた金融都市・香港の深さに魅せられて

鈴木 杏里

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
鈴木 杏里

鈴木 杏里(すずき・あんり)
 2006年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2008年3月、東京大学法科大学院修了。2009年12月、司法修習(62期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年1月、当事務所入所。
 2014年8月から2015年5月まで米国University of Virginia(LL.M.)。2015年9月から2016年3月まで香港でHarney Westwood & Riegels法律事務所勤務。2016年6月、当事務所復帰。
 洗練された多国籍のビジネスパーソンが行き交うきらびやかな金融ビル街を一歩裏手に入ると、生々しい鶏や豚の塊肉がぶら下がった市場が広がる。カラフルな洋服や雑貨が並ぶ屋台がひしめき、ひと一人通るのも難しいくらいの細道を抜けると、若者向けのおしゃれなブティックやバーが建ち並ぶ。

 香港――と聞くだけで、あの街中から立ち上るギラギラしたエネルギーと熱気を思い出す。

 筆者は、2015年9月から約7ヶ月間、香港の法律事務所で研修する機会を得た。それまで一度も香港を訪れたことはなく、全くイメージもなかったが、金融分野の業務に多く携わりアジアの金融都市としての香港に興味を持っていたこと、以前に東南アジアを訪れた際の温かみと熱気に魅力を感じ、アジアに住んでみるのもいいなとうっすら思っていたことから、香港がどんなところかは深く考えることなく乗り込んだ。元英国領であることもあり、何となく、私の好きなヨーロッパらしい雰囲気もあるのではないかという淡い期待も抱いていた。

 その淡い期待は、到着初日にして儚くも崩れ去った。巨大なスーツケースを持って地下鉄の駅を出ると、そこはまさにアジアの雑踏であった。トラム(路面電車)と大量の人が行き交い、もわっとした何か香辛料の効いた食べ物の匂いがする(後からそこにはスーパーの通気口があるのだと気付いた。決して街中から匂いがするわけではない)。スーパーで買い物をすれば、否応なしに広東語でまくし立てられる。ひと一人通れるかどうかというくらいの狭いガタガタのアスファルトの歩道には、工事用の竹製の足場が何とも不安定に組まれ、工事現場からは白い煙のようなほこりが絶えず飛び散っている。

 香港赴任直前の1年余りを過ごしたのが米国バージニア州のシャーロッツビルという、のどかな田舎街であったことが、よりギャップを大きくしたように振り返ってみて思う。シャーロッツビルは、ワシントンD.C.から車で2時間ほど西に進んだところに位置し、バージニア大学がおかれたいわゆる大学都市である。筆者は同大学ロースクールに留学していた。広大な国立公園が近くに広がり、季節の花々が咲き乱れ、車を走らせれば鹿に出会い、夜、大学からの帰り道には蛍の大群に出会う、緑に囲まれた美しくのどかな街であった(バージニア大学の環境については、弊事務所の楽弁護士の寄稿「カンニングできる環境でカンニングしない自主ルール」をご参照いただきたい)。しかし人間、ないものねだりなもので、のんびりした環境に浸かっていると、だんだん都会生活も恋しくなる。それもあって、「金融都市」「ヨーロッパ」のイメージを持っていた香港の都会生活を楽しみにしていたのであるが、これほどに混沌としたアジアの街であることや人の多さには圧倒された。

 それでも、仕事が始まり、オフィスの同僚やプライベートの友人に親切にしてもらい(今でも感謝してもしきれない)、住み続けていくうちに、次第に香港の懐の深さと奥深さに惹き付けられていった。

人の優しさと温かいつながり

 まず、人の優しさと温かさである。多くの香港人は一見ぶっきらぼうだが、友人だけでなく見ず知らずの人にも親切にしてくれる。ローカルなセルフサービスのレストランで、トレーを持って席を探してうろうろしていると、あちこちから「こっちが空いてるよ!」「ほら、ここ(空いた席のトレー)どけてあげるからこっち!」というような感じで声をかけてくれる(もちろん広東語なので何を言っているのかは分からないのだが)。

 広東語でまくし立てるスーパーの店員も、広東語が分からないと言えば、身振り手振りと片言の英語で「バーグ?」(レジ袋はいるか?の意。スーパーのレジ袋が有料のため毎回聞かれる。)、「エオンカッ?」(AEONのメンバーズカードは持っているか?の意)、「フォー、ディスカウント」(果物を食べようとキウイを1個だけカゴに入れたのだが、4個だと割引になる、の意)などと何とか伝えようとしてくれる(こちらが申し訳なくなる。)。私も公私問わず、拙い英語でも臆せず話そうと肝がすわったものである。

 また、これは香港以外でも感じたことではあるが、電車でお年寄りや妊婦、子供連れが乗ってくると、当たり前のように席を譲る。特に違うなと思ったのが、「子どもは立っていなさい」「静かにしていなさい」と教育する日本と異なり、子どもには優先的に席が譲られ、公共の場所で騒いだり走ったりしても皆温かい目で見守っている。狭い地下鉄の車内で二人の男の子が追いかけっこをしていたときはひやひやしたが、それすら誰一人として迷惑そうなそぶりはしない。また、家族のつながりが濃密なのか、週末のレストランは家族・親族で食事をする客で常に満杯である。それも3人、4人ではなく、多くが8名~12名くらいで賑やかに食事をしている。その中で単身赴任者が一人食事をするのは、地味に寂しさを感じる瞬間であった。

自然の豊かさ

 次に驚いたのが、東京都の約半分(1,103平方キロメートル)という面積の狭さにあって、多くの自然が残されている点である。聞いた話では、香港特別行政区の面積の約6割が山だという。(こうした山を残すために、敢えて市街地には一定の高さ以下の建物を建ててはいけないといういわば逆の高さ規制があるという。)多くのトレッキングルートが整備され、人々は週末にトレッキングを楽しんでいる。筆者としては、滞在中に経験できなかったのが強い心残りである。また、中心部からバスでなだらかな山を越えて数十分もすると、美しい海辺の街スタンレーに着く。ビーチ沿いの歩道を歩き、海沿いのオープンエアのカフェでラテをすするのは格別である。

 私の隠れたお気に入りスポットは、香港公園である。香港のまさに中心部のセントラルとアドミラルティという駅の間に、8ヘクタール(政府HPによる。)もの広大な公園が広がっている。人工の池には魚が泳ぎ、滝から落ちる水音は清々しい。特におすすめは観鳥園(aviary)である。約3,000平方メートルの網製ドームの中には森が広がり、川が流れ、その中に驚くほどの数の、赤、青、黄と色鮮やかな鳥が放されている。気付けば目の前の遊覧用の柵の上を鳥が器用に歩き、大の大人たちがその一挙一動に頬を緩め、夢中になって写真を撮っている。どこからどういう経緯で来たかも分からない見ず知らずの多国籍の他の客と、気付けば同じ鳥の動きを夢中で追っている。そう自覚するとき、何ともいえず温かい気持ちになる。アクセスも良く、ギラギラしたエネルギーと都会の喧騒に疲れたときに、平和な休日を過ごすのに最高におすすめのスポットである。限られた土地で年々地価が上昇し続ける香港にあって、都会の中心部にこれほどの広大な公園を作った香港政府に深く感謝したものである。

税制度

 さらに驚いたのは、税制度である。香港の税率が低いことは何となく認識していたが、帰国後に届いた還付通知を見て驚愕した。7ヶ月間、日本での勤務時とそれほど変わらない額の給与をいただいていたにもかかわらず、所得税総額は日本円にして数万円である。

 私が当局からの通知等で理解している範囲では、香港の所得税は(1)累進税率(控除後の所得に累進税率を掛ける)か(2)標準税率(2015/16年度は一律15%)のうちいずれか低い方が課される。(1)の場合、基礎控除のほか、結婚している場合の婚姻控除(性別や所得を問わない。)、子女控除、父母等の扶養控除等々が適用される。これらの控除額が非常に大きいため、香港人の同僚曰く、控除後所得がゼロになる国民も多いということである。(さらに、届いた通知を見ると、”75% tax deduction”というよく分からない一律の減額がされている。)地方税や消費税もない。

 特に配偶者控除の恩恵にあずかったことがない共働きの我が家では、性別や所得を問わず適用される婚姻控除の存在は有難く感じた。日本でも今色々と議論されているようであるが、個人的には、税制度で結婚・出産を後押ししようとすることには一定の効果があるように感じたりもした(もっとも、事実婚の扱いやマイノリティへの配慮等、考慮すべきことは多いかもしれない。)。

金融都市としての存在感

香港証券取引所や筆者の勤務先が入るExchange Squareとセントラルのビル群
 短期間ではあったものの、漠然と憧れていたアジアの金融都市としての存在感も感じることができた。現地では、ファンドその他の金融ビジネスのために香港に移られた多くの日本人の方々に出会った。日本の当局関係者や香港のファンド業界の方とのディスカッションに参加させていただいた際は、なぜファンド・マネジャーが日本でなく香港に拠点を置くか等々、多方面からの厳しい指摘が飛んだ。筆者が研修していた事務所はケイマン、英領ヴァージン諸島等のいわゆるオフショア法を専門に扱う法律事務所であり、一見ニッチであるが、調べてみると香港証券取引所に上場する会社の4割強がケイマン法人であるという。(ケイマン法人を持株会社として設立し上場させ、その子会社として香港法人、中国法人を設立するケースが多い。)このような業務には英国やオーストラリアから来た弁護士が多く携わっており、ロンドンのシティと、旧英領・英領を通じた壮大なお金の流れを垣間見たような気がした。

 以上、とりとめもなく書いてしまったが、このようにして、当初圧倒された香港のエネルギーと喧騒にも、その懐の深さと奥深さを知るうちに惹き付けられていった。米国滞在中にも色々なことを感じたが、香港の滞在を通じ、香港から中国や日本、世界を見る中でまた多くの発見があった。この少しだけ広がったものの見方、香港人の強さとエネルギーを思い出し、今後日本の金融業務の発展に少しでも貢献できるよう、業務に励みたいと思う。なお、上記はわずか7ヶ月間の滞在で見聞きした香港のごく一部を、筆者の視点から見て感じて、書いたものに過ぎない。一部誤解や偏見もあり得ることをご容赦いただきたい。