2016年12月26日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 若林弘樹
私は、故郷札幌を本拠地とする日本ハムファイターズ、とりわけ大谷選手の大活躍を時折見て喜んでいたが、セ・リーグの雄・広島カープの動向には余り注意を払っておらず、緒方監督のこの言葉は、迂闊にも受賞発表の時点では全く知らなかった。発表直後はネット上でも私と同様の感想を漏らしている人が多かった。
むしろ、受賞発表後、このフレーズを様々な媒体で目にするようになったので、結果的には年間大賞に相応しい普及度となったのではないか。
「神」と言えば、もう何年も前に、AKB48の総選挙の上位7名のメンバーを「神7」と呼ぶことを知り、一瞬、軽い眩暈を覚えかけたが、彼女達は有権者(ファン)にとってリアルに聖なる存在なのだろうと、即座に納得した。なお、この「総選挙」は、一人一票ではなく、また、日本国憲法第14条の法の下の平等の制限に服するものでもないようである。
素晴らしく機転の利く対応を「神対応」「神フォロー」などと称するのはもはや一般的な用語法のようであるが、ここまで「神」が遍在するのは、AKB総選挙による普及のお蔭か、それとも、伝統的に八百万の神がまします国柄ならではのことか。
個人的には、今年の流行語としては「神ってる」より、ピコ太郎(古坂大魔王)の「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」の方が、遥かにインパクトがあったのではないかと感じている。
ご承知のとおり、「アイハヴァ ペン、アイハヴァ アポー。オー!・・アッポーペン!」 と、ペンとリンゴ(後半では更にパイナップル)を「オー!・・」の所でガッチャンコ(結合)させるのだが、その結合がまるで原子核融合のような高エネルギーを生成・放出したのか、瞬く間に世界を席巻してしまった(YouTubeの運営元であるグーグルの本年12月7日の発表によれば、今年のトレンド動画ランキングで何と世界2位であった)。
4年生の息子が通っている小学校の文化祭のフィナーレでは、毎年、先生方による楽しいパフォーマンスが披露されるのだが、今年は、その中で名物先生の一人がPPAPを演じておられ、拍手喝采の嵐であった。
息子から最初にPPAPの動画をYouTubeで見せられたときに反射的に脳裏に浮かんだのは、元ザ・ドリフターズの故・荒井注(志村けんの前任メンバー)の「ディス・イズ・ア・ペン」であった(50歳以下の読者にはお分かりにならないかも知れない)。この雑文を書くに当たりネットで検索したところ、案の定、これがPPAPの元ネタではないかという観測が多数見つかったが、真偽の程は定かではない。
ドリフの影響で、「ディス・イズ・ア・ペン」が最も代表的な英語表現であると信じた少年時代の私は、中1英語の教科書の冒頭を飾るのも当然この表現だろうと確信していた。しかし、実際は、最初の一文は思い出せないが、少なくとも「ディス・イズ・ア・ペン」ではなかったので、いたく落胆したことを覚えている。
今にして冷静に考えてみれば、現実の日常会話で、わざわざ「これはペンです。」と説明するシチュエーションは滅多になさそうである。
因みに、その英語の教科書は、米国のヴィンセント少年とソ連のスタニスラス少年とがペンフレンドであるという設定のストーリーを軸にするものだった。当時(1976年)は東西冷戦真っ只中だったことを踏まえると、その設定には編集企画者の何らかの強い思いが込められていたのではないかと推測される。
PPAPに話を戻すと、ドナルド・トランプ米国次期大統領の孫娘によるPPAPの実演動画が大人気を博したことは記憶に新しい(因みに、この雑文の掲載予定日に満4歳を迎える我が家の娘は、いわゆる「キレキレダンス」が大の得意であり、親の欲目だとは思うが、なかなかの出来栄えである。しかし、プライバシー保護に厳格な妻と私は、その実演動画をネット空間で流通させることを差し控えている)。
ここで漸く本題に入る。
一般的にはトランプ当選は大番狂わせとされているが、映画監督のマイケル・ムーア(バーニー・サンダースの熱心な支持者だった。)のように、今年の7月時点で既にこの結果を予測していた人もいる。
私自身、ヒラリー・クリントンとの決選投票が近付く中、事務所の同僚や依頼者、法科大学院の教え子達など、色々な人と床屋政談に興じていた。大抵の会話は、いくら「隠れトランプ」が結構居るといっても最後はヒラリーの勝利だろう、という結論に落ち着いた。しかし、投票直前になると、ブレグジット(英国のEU離脱)のようなことも起きるご時勢なのだから、意外と本当に、本当にトランプが勝つのではないか、というような声を聞くことも徐々に増えていった。
この土壇場での大逆転(?)に一役買ったのが、米国民主党全国委員会の内部メール約2万件がウィキリークスによって暴露されたことだといわれている。今月中旬、米国の情報機関は、その背後にロシアが関与していたと結論付け、オバマ現大統領はプーチン大統領による指示が行われたことを示唆したが、対照的に、トランプ次期大統領はその筋書きに否定的である。前記のヴィンセント少年とスタニスラス少年も今頃はもう中高年に達しているであろうが、現在の米露関係をどのような思いで見つめているだろうか。
いずれにせよ、情報を巡る国家間の争いはますます熾烈化しているが、他方、諸国内の情報操作・統制(国によっては報道機関側の自主規制)も程度の差こそあれ強化の一途を辿っているように見える。
なお、ブレグジットもトランプ当選も、単にポピュリズムの暴走がもたらした大番狂わせではなくて、既得権勢力による世論誘導に踊らされない、英国民及び米国民のメディア・リテラシーの高さを示すものであった、と評する向きもある。
ところで、実は、私がこの雑文を出稿する時点(2016年12月19日)では、米国の大統領選は、まだ終わっていない。
大統領選は間接選挙であり、まず、大統領を選ぶ選挙人を州ごとに選び、その後、選挙人が大統領を選ぶための投票を行う。11月に大騒動となった決選投票は、州ごとに選挙人を選ぶためのものであった。そして、選挙人による正式な投票は12月19日(米国時間。日本時間でいえば12月20日)に行われるのである。
理論的には、共和党の選挙人のうち38人が造反すれば、ヒラリーの逆転勝利になるそうだ。実際に、過去にも選挙人による投票の際に一ケタ規模の造反者が出たことはあると聞く。
この雑文の出稿後、万万が一、日本時間の12月20日に再度の大逆転劇が起こっていたら、朝日新聞の編集部に頼み込んで、掲載予定日までに少し書き直しをさせてもらわざるを得ないだろう(逆転が起こらなかったら、この一文が残っていることになる)。
ブレグジットについても、国民投票の結果が出た後、様々な紆余曲折があり、先の見えない部分が多い。
中でも、紛争解決を主たる業務とする身として私が興味を惹かれるのは、現在、英国最高裁判所の判決待ちとなっている裁判案件である。
EU離脱反対派が原告となり、英国政府を相手取って、EU離脱の正式な開始手続の差止めを求めている裁判である。原告団には、著名な女性投資家も含まれており、クラウド・ファンディングにより立ち上げられた団体などの支援を受けている。
裁判の論点は、EUの基本条約(厳密にはその改革条約)であるリスボン条約の条項の解釈問題である。
リスボン条約第50条1項によれば、EU加盟国は、自国の憲法が要求する手続(its own constitutional requirements)に従って、EU離脱を決定できるとされ、同条2項によれば、EU離脱を決定した国が離脱手続を開始するには、欧州理事会に離脱の意思を通知しなければならないとされている。
くせ者なのは、この「自国の憲法が要求する手続」という文言である。成文憲法を持たない英国では、何が「憲法が要求する手続」に該当するのかが一義的に明らかではない。
この点、英国政府は、国民投票を経た以上は、憲法が要求する手続に従った離脱決定がなされており、あとは、首相が国王(女王)大権に基づいて離脱通知を行う権能を有するという立場をとっている。
これに対して、離脱反対派の原告らは、英国議会による承認を経なければ憲法が要求する手続に従った離脱決定がなされたことにはならず、議会承認がなされない限り、首相が離脱通知を行う権能はないと主張している。
本年11月3日、英国高等法院(名称から受ける印象とは違って、第一審裁判所である。)は、原告らの主張を認め、離脱決定をするには議会承認が必要であり、首相は離脱通知をできないとの判断を示したが、政府は上訴した。通常であれば、上訴は控訴院が審理するところであるが、本件ではいきなり英国最高裁で審理する許可が下された。
英国最高裁のホームページの「裁判手続」の解説を見ると、このように第一審から直接最高裁に上訴することをleapfrog appeal(カエル跳び上告)と呼ぶとされている。日本でいえば、1959年3月に砂川事件の東京地裁判決が米軍駐留を違憲と判断したのに対して、1960年1 月の安保条約改定までに合憲の司法判断を確定させるため、マッカーサー元帥の甥っ子(当時の駐日大使)の示唆で、我が国の政府が東京高裁を飛び越して最高裁に対して行った「跳躍上告」のようなものか(なお砂川事件はブレグジット裁判とは違って刑事事件だが、我が国の民事訴訟法にも地裁から高裁を飛ばして最高裁に行く「飛越上告」という制度はある)。
さて、その後、本年12月5日から8日まで、英国最高裁で4日間の集中審理が行われた。
この間、私は、連日、審理の模様に関する英国の新聞記事をネットで読んでいたが、記事中に引用された11人の最高裁判事の審理での発言は、概して政府側代理人に対して厳しいものばかりであり、そうしてみると、第一審の結論が覆る可能性は低いと感じられる。
最高裁は、来年1月中に判決を下すことを表明している。原告らの勝訴で裁判が確定すれば、政府がEU離脱を進めるには議会承認を得なければならなくなるが、離脱を巡る政治情勢は混迷の度合いを深める一方であり、承認の成否は予断を許さない。
ところで、英国の最高裁は、今から7年前(2009年10月)に設置され、それまで英国貴族院の上訴委員会が担っていた司法府の最終審(法律審)としての権限を承継した、比較的新しい機関である。現在の最高裁長官デビッド・ニューバーガー卿は、二代目の長官である。
実は、このニューバーガー最高裁長官、ブレグジット裁判の争点を生み出す基となった英国の不文憲法に関連して、極めて興味深い発言を行っているので、少々長くなるが、私なりに訳した上で、ご紹介したい。
今や英国が整合性のある成文憲法を制定すべき時が到来したという意見にも、間違いなく十分な論拠がある。しかし、その文脈では、「それ(英国の不文憲法)が壊れていないなら、直すべきではない。」という典型的な英国のプラグマティズム流の議論が明らかに反響する。とはいえ、それ(不文憲法)は既に壊れていると感じている人もおり、また、壊れる前に対処すべきと感じている人もいる。ただし、そのような人達でさえも、ただ単に「隣の芝生は常に青く見える。」ということだけでなく、経験上「ある一国で成功した制度が、いや、大多数の国で成功した制度でさえも、我が国で成功するとは限らない。」ということをも、認めるべきである。そして、このことは、過去350年にわたって非常に特異な憲法史と非常に幸運な政治史を持つ英国に特に調和するもかもしれない。
この長官発言は、本年10月14日、つまり、高等法院(第一審)の判決言渡しの3週間前に、グラスゴーで行った記念講演の中の一節である。そして、その講演録は、11月2日(判決言渡しの1日前)に、英国最高裁のホームページで公表された(講演録全体の分量は引用箇所の40倍位ある)。
もちろん、この長官の発言は、不文憲法から成文憲法に移行すべきか否かという問題についての個人的意見(どちらかといえば慎重論)を表明したものであって、ブレグジット裁判における原告と被告政府のいずれかの主張を支持する、あるいは反対する、といったことを表明した訳ではない。
とはいえ、例えば、我が国の最高裁長官が、憲法問題を含む裁判の下級審判決が下される直前に、憲法改正の是非に関する個人的見解を公表するなどといったことは、およそ想像できない事柄ではないか。
我が国の裁判官(簡易裁判所判事を除く。)の圧倒的大多数は、司法研修所を出ると同時に任官した人々である。近年では毎年概ね100名程度の新任判事補が誕生する。他方、一定期間(原則10年以上)の弁護士経験を積んでから裁判官になる途もある(弁護士任官制度と呼ばれている)が、このルートでフルタイム(常勤)の裁判官になる人は、ここ10年位の平均でみると毎年わずか4名程度である(私もかつてその1名であった)。
これに対して、英国では法曹一元制度が採られており、裁判官は原則として全て弁護士として相当の経験を積んだ人達から登用される。
もちろん、それぞれの国の歴史や文化が異なるので、裁判官の任用制度としてどのような仕組みが最善であるかは一概に論定できない。「ある一国で成功した制度が、いや、大多数の国で成功した制度でさえも、我が国で成功するとは限らない。」という上記のニューバーガー長官の指摘の通りである。
とはいえ、ニューバーガー長官が、公開の場で、憲法のあり方について踏み込んだ形で個人的見解を公表したことには、長官と国民との間の一種の距離の近さのようなものが感じられる。このことは、もしかすると、法曹一元制度と何らかの関連があるのではなかろうか。
司法府の長のあり方も、国によって著しく異なるものだと、改めて感慨を抱いた次第である。
ところで、ニューバーガー長官は、本年11月21日に英国のThe Bar Council(弁護士会)で行った講演の中で、ブレグジット裁判が終わった後、2017年中に、自身の70歳の定年(2018年1月)を待たずに退任することと、後任の最高裁判事の選任プロセスや最高裁判事の構成に一層の多様性を持たせる構想を表明した。
この退任表明は、長官の配偶者が、ブレグジットを可決した国民投票の結果を「狂っている。非常に悪い。」と評する書き込みを、ネット上で実名で(ただし、婚姻前の姓で)繰り返し行っていたことが発覚し、夫である長官に対して辞任を求める世論が強まって来たタイミングで行われたものであった。
英国では、現職の最高裁長官の配偶者であっても、このような政治的な意見を自由に表明するのかと驚いたが、調べてみると、彼女は現職の上院議員であり、政治的意見の表明自体は何ら驚くに当たらない行動であることが分かった。
不確実性が増大し続ける世界では、2017年も様々な大番狂わせが起こるのであろうか。
願わくば、出来るだけ好ましい方向での番狂わせであって欲しいものである。
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