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「住友銀行が心のふるさと」と語る「兜町の錬金術師」の市場犯罪

証券取引等監視委 前委員長インタビュー② 光進事件

村山 治

 リクルート事件の捜査が終わってまもなく、佐渡賢一氏は、本格的な市場犯罪に遭遇する。国際航業、蛇の目ミシン工業などの上場会社の株を買い占めた仕手集団「光進」の小谷光浩代表による大がかりな相場操縦、企業恐喝事件である。
 検事として36年、証券取引等監視委員会委員長として9年。リクルート事件やオリンパス粉飾決算事件など経済事件の捜査・調査の最前線にいた佐渡氏にインタビューした。朝日新聞経済面の連載「証言そのとき:不正に挑んだ45年」に大幅に加筆した原稿の第2回では光進事件、イトマン事件、石橋産業事件などを取り上げる。(敬称略、肩書は当時)

 ■国際航業事件

 ●敵対的M&Aの時代

拡大光進代表だった小谷光浩氏=1990年6月28日、東京都千代田区六番町の国際航業本社
 1980年代半ば、日本の市場は新たな時代を迎えていた。米国発の新自由主義的グローバリゼーションが進み、政府が規制緩和に舵を切ったのに伴い、米国流の敵対的M&Aが本格上陸したのだ。ベアリングメーカー「ミネベア」による「三協精機」買収(1985年)を皮切りに、仕手筋の「コスモポリタン」による「タクマ」買収(87年)、不動産会社「秀和」による「忠実屋」「いなげや」の買収(88年)、グリーンメーラーとも呼ばれた米国の投資家、ブーン・ピケンズによる「小糸製作所」買収(89年)などが、マスコミの紙面を賑わせていた。

 中でも、突出して話題を集めたのが87年の「光進(当時の社名はコーリン産業)」の小谷光浩代表による国際航業株の買い占めだった。同社の内紛に乗じて株を集め、事実上、同社の支配権を握った。

 小谷は、狙いを定めた上場会社の株を買い占めて役員になり、その影響力を行使して融資名目でその会社からカネを引き出し、次の獲物となる上場会社の株買い占めに使うなどの手法で次々に上場企業の株式を買い進めていた。

 その間、中曽根康弘元首相の政治団体の会計係の女性に国際航業株の相対取引でわずか1ヶ月の間に1億2千万円の利益をもたらし、国際航業社長と共同経営会社設立の覚え書きを交わす際には三塚博元運輸相が立ち会った。それらは大きく報道された。背後には暴力団の影もちらついていた。

 小谷は積極的に経済メディアに登場し、「私は、いうなれば企業成人病を治す医者みたいなものですよ」と「買い占めの正当性」を主張。「住友銀行は心のふるさと」などと発言していた。

 リクルート事件の捜査が終わり、特捜部の特殊直告班に戻ったら、仕手集団「光進」のかかわる経済事件の主任検事に指名された。奥の深そうな経済事件の匂いがした。

 ちなみに、担当副部長は、斉田国太郎検事。早稲田大学同窓の2期先輩。私は82年3月、東京地検八王子支部から特捜部に異動になったが、斉田さんは同支部での私の前任で、やはり同支部から特捜部に異動した。その後も、斉田さんの後任の特捜部副部長になるなど検察では、斉田さんの後を追っているような関係だ。

 捜査の端緒になったのは、国際航業株をめぐる脱税事件だった。

 国際航業の株価は、1987年5~7月、小谷の買い占めと同社側の防戦買いもあって急騰した。小谷は親しい稲村利幸衆院議員や取引先の三井信託銀行の支店幹部らに買い占め情報を流し、同社株を売買させて儲けさせていた。一方、国際航業側も、経理部長らが小谷情報で自社株を売り、利益を上げていた。いずれも株取引の利益を申告しておらず、東京国税局が89年4月、脱税で特捜部に告発していた。

 国際航業役員の防戦買いによる自社株売買は、今ならインサイダー取引に当たり、稲村議員らにもその疑いがあった。今なら、証券取引等監視委員会がまず、インサイダー取引の疑いが調査に入るところだが、当時、委員会は存在せず、インサイダー取引の禁止を定めた改正証券取引法もこの年4月1日に施行されたばかりで適用できず、何らかの制裁を加えるには、所得税法違反で摘発するしか術がなかった。

 当時の特捜部は、脱税事件を鳥羽口にして、その背後に事件があれば、どんどん捜査を広げるという方針だった。稲村議員など個人的な脱税事件の捜査は、同僚に委ね、企業犯罪がからむ国際航業側の脱税事件に焦点を絞った。

 ●防戦買いが許されない新判例を作る

 特捜部は90年6月13日、国際航業の元経理担当役員ら4人を、小谷の買い占めに便乗した株売買で合計約15億5000万円の所得を隠し9億円を脱税していた脱税容疑で逮捕し、起訴。いずれも有罪が確定した。

 並行して小谷代表の国際航業株買い占めの手口を解明しているうちに、会社はだれのものか、という市場経済の根源的な問題を問いかける事件が見えてきた。国際航業の大株主になった小谷代表は、経営陣にいろいろな要求を突きつけ、さらに会社支配を目指して敵対的買収を仕掛ける。それに対して経営側はどういう対抗措置がとれるのか、という非常に大きな話になってきた。理論的には、大株主は会社の所有者だ。その人に向かって、会社なり経営者が会社の資産で敵対的な活動がどこまで許されるのか。当時は、検察では、そういう事件を扱ったことがなかった。

 国際航業の元経理担当役員は、国際航業の経営権を会長一族から奪おうと画策し、株を買い占める小谷と一時、協力関係にあった。一方で、元役員らは会長一族らによる自社株の防戦買いにも加担した。その事実を小谷側に知られたため、自分たちの社内での地位を守るためには、小谷側の国際航業株買い占めを妨害し、経営権の奪取を阻止することが必要と判断。政治団体代表ら2人に、小谷へ融資しないように金融機関へ圧力をかけることなどを依頼し、国際航業の簿外資金約8億9500万円を工作資金として渡した疑いがあった。政治団体代表らはミニコミなどを使い小谷を中傷する情報を流していたとされる。

 いまでこそ、敵対的買収へのアレルギーは薄くなったが、当時、企業側や裁判所は、仕手筋や米国の投資家による買収について「しょせんは会社の財産狙い」と受けとめ、防戦買いを肯定する傾向が強かった。

 それでも、さすがに国際航業のケースは、会社側が対抗策として許容される限界を超えているのではないか、と考えた。会社は株主のものである。その株主を会社が違法な手段を使って攻撃していいはずがない。ただ、前例がなかった。

 斉田さんと2人で法務省の民事局に局付検事として出向している商法専門の裁判官に相談に行ったが、明確な答えはなかった。結局、自分の「常識」を根拠に、摘発に踏み切った。公判は簡単ではなかったが、「不正な手段を使っての対抗買いは許されない」という最高裁判例ができた。記憶に残る仕事だった。

 特捜部は業務上横領容疑で同社元経理担当役員を再逮捕。部下の1人を新たに逮捕した。光進側の株買い占め・乗っ取りを阻止するための工作資金として、会社の裏金約9億円を着服、政治団体代表らに渡した、という容疑だった。

 東京地裁は94年6月、「出金は会社の方針に沿って行われ、不法領得の意思もなかった」として、元経理担当役員に脱税を除く横領罪について無罪、横領罪だけに問われた部下にも無罪を言い渡したが、東京高裁は96年2月、「工作資金を支出する具体的な権限を社長から与えられておらず、資金支出は支出した相手方のためにした行為」と認定。2人に有罪判決を言い渡した。経理部長は上告棄却で2001年11月、有罪が確定。経理部長の手足として動いた部下は上告審で高裁に差し戻しとなり2003年8月、無罪になった。

 ■藤田観光株価操縦事件

 ●「かんぬきをかける」供述で捜査に自信

 佐渡が、小谷を逮捕する突破口となったのは、藤田観光株をめぐる相場操縦だった。

 小谷らは90年4月下旬、数日間にわたって藤田観光株75万9000株を都内の証券会社5社に委託して売り買いし、株価を3750円前後から5200円まで高騰させた。最高値をつけた4月24日に、所有する600万株すべてを約300億円で飛島リースに売却した。同株の売買取引が盛んであると一般投資家に誤解させて投資欲をあおり、人為的に株価を高騰させた疑いがあった。

 小谷は88年12月の国際航業臨時株主総会で同社取締役に就任。経営の一角に食い込んだ後、国際航業から自らが経営する光進グループ側に計240億円を融資させた。この融資については、同社取締役の地位を利用して小谷が強引に融資を決定させており、担保不足があった。小谷は藤田観光株の売却益から240億円のうち190億円は返済していた。

 特捜部が国際航業幹部の防戦買いに絡む業務上横領事件に切り込み、国際航業の経理が捜査の焦点になったことから、240億円を引き出したことが特別背任罪などの犯罪に問われるのを恐れ、慌てて保有していた藤田観光株を証券会社を通じた売買でつり上げ、建設会社側に売却し、返済資金に充てたのだった。

 特捜部は90年7月19日、小谷と仲間の建築会社社長を証券取引法違反(株価操縦)容疑で逮捕。小谷は懲役1年6月執行猶予3年とした東京地裁の判決に対して控訴せず、株価操縦については93年6月、有罪が確定した。

 検察に端緒の情報を提供したのは大蔵省証券局だった。証券業界を保護・育成する「業者行政」と市場の公正さを確保する「監視行政」の、相反する2つの機能を持ち、市場監視は、証券会社に対する検査を軸に行っていた。一方、市場のプレーヤーである一般企業や個人に対する直接の検査権はなかった。

 大蔵省は、証券会社を通じて小谷の行為の外形を知りながら、小谷には手を出せなかった。証券会社の行儀の悪さは糺せたが、市場のプレーヤーを独自に制裁することはできず、目に余るものがあれば、健全な市場を守るためには検察に摘発してもらうしかなかったのだ。

 捜査は大変だった。今なら、市場監視の専門家集団の証券監視委が、相場操縦について複雑な場帳を作って客観的に容疑を固めていくところだが、当時は、キャップの私を含めチームの検事たちは株式相場についてはまったくの素人で、場帳づくりなど今から考えると冷や汗ものだった。相場操縦を行った背景や動機の解明は進んでいたから、故意に相場を動かした犯意を認定できるかどうか、がカギだった。

 若手検事が小谷代表から「かんぬきをかける」(価格を固定する操作)との供述を引き出し、「決まりだ」と喜んだ。それで「操縦の故意」を立証できると確信した。

 「場帳」というのは株価の値動きを記録した帳面のことで、相場操縦の捜査にはそれを作成するのが必須だった。

 ●「闇社会の守護神」、田中森一弁護士との因縁

 小谷に国際航業への「返済」をアドバイスしたのは、元特捜検事で佐渡と司法修習同期の田中森一弁護士だった。特捜部の手の内を知っているがゆえに、捜査を先読みし、背任罪での立件を回避するため先手を打ったつもりが墓穴を掘った形だった。

 佐渡は、田中が大阪地検特捜部時代に摘発した大阪大学の汚職事件の報告書を読み、「たいしたものだ」と思っていたが、田中は、退官後は政界や暴力団がからむ事件の弁護を多数引き受け、後に「闇社会の守護神」と呼ばれた。

 佐渡と田中とは因縁は続く。これより7年後の1997年、佐渡が東京地検刑事部長時代に捜査を指揮した石橋産業事件で、田中は、イトマン事件で公判中だった許永中被告の共犯として捜査のターゲットとなった。東京の商社・石橋産業から96年に額面約179億円の約束手形を詐取した容疑だった。

 刑事部は、本来、警視庁が摘発した事件の送致を受け、捜査・起訴するのが本業だが、そのころ、特捜部は、証券会社の利益供与事件から大蔵接待汚職へと捜査を広げつつあり、忙しかった。特捜幹部が元同僚に対する捜査に消極的だった面もあったのかもしれない。それで石川達紘検事正から私に「頼む」と、事件が配点されてきた。

 石橋産業内の内紛も絡む複雑な事件だったが、許被告と田中弁護士の容疑はほぼ固まり、中尾栄一元建設相が石橋産業の子会社の中堅ゼネコン側から建設省(当時)発注工事の入札参加資格のランク格上げを頼まれ、大臣室などで計6千万円のわいろを受け取った受託収賄容疑も浮かんでいた。

 告訴のあった詐欺事件だけを刑事部で処理し、政治家がらみの事件はその後、特捜部で捜査してもらう段取りだった。刑事部で最も若い検事に在宅で数回、田中弁護士を取り調べさせた。「手も足も震えていました。(事件の筋は)大丈夫です」とその検事から報告を受けた。「じゃあ、明日逮捕しよう」と指示した。

 共犯の許被告は、大阪地裁でのイトマン事件の公判中で、裁判所が身柄を管理していた。ちょうどそのときは、保釈が認められ、親戚の法事を理由に韓国に里帰りしていた。田中弁護士の逮捕後、裁判所に保釈を取り消してもらい、東京で取り調べる予定だった。

 ところが、その許被告が、田中弁護士聴取の翌日、入院していた韓国の病院から姿を消した。その日に福岡から日本に入国したとの入管記録が残されていたが、次回公判にも出廷しなかった。こちらの捜査が身辺に迫ったと知って逃亡したのは明らかだった。大阪地裁は保釈許可を取り消し、保釈保証人の弁護士は数千万円の保証金を没収された。その弁護士は、私の初任地、大阪地検に勤務した時代の上司だった。

 共犯の許被告がいなくては、田中弁護士だけ捕まえても、容疑が固まらない。そのため捜査を中断せざるを得なかった。事件は特捜部に引き継ぎ、警視庁に許被告の捜索を頼んだ。

 田中弁護士は、同期の私が、顔も知らない若手検事を取り調べ担当にし、厳しい取り調べをさせたことで、私が本気で立件に向けて動いている、と動揺したのだろう。検察に逮捕されるのを回避するため、検察庁を出た後、韓国に飛んだか、電話かで、許被告に逃げるよう知恵を付けたに違いないと思った。

 許は失踪から2年後の99年11月に東京・台場のホテルで身柄拘束され、特捜部は許、田中を詐欺容疑で逮捕した。特捜部は続けて中尾元建設相を逮捕、起訴した。中尾は最高裁で懲役1年10カ月、追徴金6千万円の実刑が確定した。

 田中は保釈されて上告中だった2007年、検事時代の裏話や検察を辞めた後の政治家、暴力団との交流を明かした「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎)を出版。ベストセラーになった。石橋産業事件で08年2月に懲役3年の実刑が確定し、弁護士資格を失った。服役中の10年2月には別の詐欺事件でも実刑が確定。12年11月の仮釈放後は東京で執筆や講演などの活動をしていたが、14年11月22日、病気で死去した。

 一方、許はイトマン事件で懲役7年6カ月、罰金5億円、石橋産業事件で懲役6年の判決を受けいずれも確定。服役したが、受刑中に韓国に移送され、13年9月、韓国で仮釈放となった。

 ■住友銀行青葉台支店事件

 ●小谷代表の「心のふるさと」だった住友銀行

 小谷は不動産取引などで国際航業や蛇の目ミシン工業株買い占めの資金を作っていた。その不動産取引にカネを出したのは銀行だった。

 一連の光進事件の捜査を通じ、銀行が一番悪いと感じていた。銀行はだぶついたカネを運用するイベント(儲け仕事)を作り、そこに貸し付ける。自らは安全地帯にいてぼろ儲け。小谷代表らはその舞台で踊ったにすぎなかった。

 小谷資金の流れを追う中で、小谷代表が「心のふるさと」と呼んだという住友銀行の青葉台支店で小谷代表や別の仕手筋に対する大がかりな浮き貸しを発見した。前支店長の時代の話だった。その容疑で支店を捜索したら、後で分かるのだが、捜索当日、現支店長が後で起訴することになる315億円の一部について店内で浮き貸しの仲介していた。準現行犯みたいなものだった。

 検事正の吉永さんに報告すると、「ちょっと待ってろ」と言い残し、一人でさっさと東京高検、最高検を回り捜査着手の了解を取ってきた。通常は、特捜幹部が丁寧に説明して回るところだが、有力検察OBが歴代、住友銀行の顧問などをしており、時間をかけると、捜査にちゃちゃが入る恐れもあると考えたのだろう。

 特捜部は90年10月5日、住友銀行青葉台支店(横浜市)の前支店長らが、その地位を利用して、支店の顧客から光進など2社への融資の仲介をしていた出資法違反(浮き貸し)の疑いで逮捕。後任の支店長も含め3人を起訴した。浮き貸し総額は計438億円に上った。

 光進への融資は、小谷代表が国際航業株の買い占めを進めていた時期に行われており、この資金が同社株購入資金の一部に充てられたものとみられた。後任の支店長はちょっと気の毒だった。前任の支店長は確信犯だった。光進などから融資仲介の謝礼として現金1億4500万円を受け取っていたほか、光進側から聞いた仕手戦の情報に便乗し、株売買をして利益をあげるなど自分も甘い汁を吸っていた。

 後任に引き継ぎはしなかった。当然、支店の業績は落ちる。後任支店長は、部下に聞いて前任者が違法行為で業績を上げていたことを知る。本来なら、本社に報告して不正を正すべきだが、当時の住友銀行は「向こう傷を恐れるな」がスローガン。報告しても、自分の成績が上がるわけでもない。むしろ、同僚を告発したと白い目で見られ、サラリーマンとして終わりになってしまう。それぐらいなら、と毒を喰い、前任者のやったことを踏襲した。一審は無罪になったが、控訴審の公判中に亡くなった。

 ●イトマン事件とのかかわり

拡大記者会見で辞意を表明する住友銀行の磯田一郎会長(左)と会見に同席した巽外夫頭取(右)=1990年10月7日、東京・丸の内の住友銀行で
 前支店長逮捕2日後の7日午前、同事件の責任を取って、同行の「天皇」と呼ばれていた磯田一郎会長が近く辞任する、と発表した。

 「ええ?」と驚いた。どうして一支店長の犯罪でトップの会長が辞めるのか不思議だった。後でわかるのだが、当時、住友銀行では、親密取引先の商社「イトマン」が不動産や絵画投資で許永中被告ら闇の勢力の食い物になっていた。磯田会長の親族もそれにからんでおり、磯田会長は追い詰められていた。

 これが引き金となって、燻っていたイトマン事件の幕が上がる。このイトマン事件を告発したのが住友銀行部長の國重惇史だった。大蔵省や日銀にイトマン従業員有志を名乗って告発文を送り、新聞にも情報提供したことを2016年に講談社から上梓した「住友銀行秘史」で明らかにした。その344~345ページに、次のように当時の手帳のメモが引用されている。

 12月4日 東京地検の佐渡氏と
 府民信組(大阪府民信用組合)の貸し出しの実態、絵画事件などについて概略説明。
 國重 府民の件は詐欺罪か何かでやれないか。
 佐渡 詐欺ではない。だが、背任の後始末ということだろう。事件になる。
   (中略)
 國重 絵画の件はどう思うか。
 佐渡 これは完全なファイナンス。
 國重 91年3月末時点でカネが返済されなければ河村、伊藤両氏を背任でやれるか。
 佐渡 というよりこれは、こんな先にファイナンスをつけることが果たして正当な営業と言えるかという点だ。
 國重 カネが返るかどうかにかかわらず、ということか。
 佐渡 そうだ。

  國重は自著で佐渡との接触を明らかにし、知人を介して著作を佐渡に贈呈し

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筆者

村山 治

村山 治(むらやま・おさむ) 

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)、「市場検察」(同)、「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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