2017年03月27日
中山国際法律事務所
弁護士 中山 達樹
そこで私は、シンギュラリティが何であるか、そして来るべき新時代にどう備えるべきかを探るため、シリコンバレーにあるシンギュラリティ大学のエグゼクティブ・プログラムに短期留学してきた。
シンギュラリティ大学は、グーグル等が出資して、文字どおり「シンギュラリティ」その他世界最先端の技術や哲学を学ぶところだ。未来学者のレイ・カーツワイルらが2008年に創立した。「10億円を稼ぐのではなく、10億人にいい影響を与えること」を使命としており、誠に気宇壮大である。
私が参加したのは、全世界35か国から約100人が集い、一週間で26クラスの講義を受けるエグゼクティブ・プログラムで、受講料は1万4千ドルと高額だ。
参加者は、弁護士はほとんどおらず、起業家、投資家、CEO(最高経営責任者)、軍人など様々だ。講義を全て英語で行うためか、これまで3000人弱の卒業生のうち、日本人は10人にも満たない。
直訳すれば「技術的特異点」である。「人工知能(AI)が人知を超える」ことがシンギュラリティであると広く信じられているが、実は、そうではない。多くの分野で、すでにAIは人知をしのいでいるからだ。囲碁、チェス、将棋、オセロ、診察、画像認識……。
法務の分野でも、アメリカでは判例検索にAIが大きな役割を果たしているし、雇用契約や機密保持契約の簡単な契約書も、AIが作成することができる。M&A(企業合併・買収)に必要なデューデリジェンス(資産評価)でも、大量の契約書から特定の条項を検索する作業などは、AIに代替されつつある。
著書『シンギュラリティは近い』でシンギュラリティを提唱したレイ・カーツワイルは、シンギュラリティの定義を「わずか1000ドルで買えるコンピューターが、全人類の知能を超える日」とし、2045年頃にその日に到達すると予測している。
このシンギュラリティの根底にあるのは、科学技術(IT)の「加速度的」(等比級数的、指数関数的、エクスポネンシャル)な進歩だ。この加速度的な進歩は、半導体の集積率が18カ月で倍増するという「ムーアの法則」に裏打ちされている。例えば、我々の手にするスマートフォンのメモリ容量は、数十年前のスーパーコンピューター並であり、驚異的な勢いで日々進化している。
「加速度的」と対比されるのが「直線的」(等差級数的)だ。両者の違いを端的に見てみよう。
例えば、直線的に歩めば、我々は、30歩ではわずか約30メートルしか進めない。一方、「加速度的」に進むことができれば、30歩(2の29乗)で地球を12周でき、月まで届く! IT分野の進歩は、文字どおり、日進「月歩」なのだ。
加速度的な進化は、特異点(シンギュラリティ)を超えると、革命的・驚異的・破壊的(ディスラプティブ)な変化をもたらす。シンギュラリティ後の世界は、進化が無限に発散すると言われる。
では、上記のようなシンギュラリティが仮に2045年に到来するとして、それまで四半世紀程度、座して待っていればいいのだろうか? 決してそうではない。
実は、2045年の「シンギュラリティ」到来よりはるか前に(論者によってはわずか数年後と言う)、ITの加速度的進歩により、我々の生活は「破壊的」に変わり得る。これが「プレ・シンギュラリティ」(前特異点)と呼ばれる。昨今、AIやIoTへの投資が盛んになっているのも、この「プレ・シンギュラリティ」における革命的な変化に備えたものだ。
実際、以下のとおり、すでに我々の身近なところで、「破壊的」な技術革新は進んでいる。
その他、シンギュラリティ大学で学んだ、目を見張るITの進歩の例をいくつか紹介する。
そこで、我々の旧来的・直線的思考自体を、「加速度的」に進化・変化させる必要がある。さもなければ、革命的な変化に対応できず、旧世代の遺物として淘汰されかねかい。
パラダイムが変わりつつあるのだ。例えば、子どもの行うサッカーなら、ボールを追いかけていても、なんとか楽しめよう。しかし、サッカーボールよりはるかに速く進むパックを扱うアイスホッケーで、パックを追いかけていては、全く話にならない。パックの進む先を読んで進まなければならない。
同様に、シンギュラリティに備える今こそ、時代の先を読む「洞察力」が必要になる。旧来の思考の「枠」を飛び出し(これをthink out of the boxと言う)、先回りして「補助線」を引く思考が望まれる。
今、法律業界の現実を見てみる。手元のスマートフォンで検索するだけで、ある程度の法的知識を無料で即時に得られる。AIが法令確認や判例調査を行える日も近いだろう。しかも、クラウドソーシングにより、何でも安く外注できる時代だ。
そんな中、我々法律を扱う者としても、うかうかしていると、AIという新興勢力により淘汰されかねない。企業がカニバリズム(共食い)を恐れてばかりいては生き残れないように、我々自身も、古い価値観を「破壊」する必要がある。いわば、自己破壊である。
この加速度的に進歩する時代に、利益は生まないくせに、コストばかりかかって、コンサバ(保守的)な意見を言って、ビジネス展開の揚げ足を取る… このような「コンサバなコストセンター」として、ネガティブなイメージを持たれがちの法務は、まさに今、その存在意義を問われつつある。
ではどう対応するか。シンギュラリティ大学では、思考の抜本的変換を強調する。つまり、革命的な変化に対応するためには、10%程度の「修正」を志向するのでは、対応はままならない。従来の延長線上で小手先の戦術を変えるだけでは、パラダイム変化には対応できない。パラダイムシフトに備えるためには、10%どころではなく、10倍(10X、「テンエックス」と言われる)の成長を期す「再定義」が必要だ。
例えば、100年前の馬車の時代、「10%」の成長を目指して顧客の要望を吸い上げていれば、もっと速い馬を探すという「修正」戦略が採られただろう。しかし、「10倍」の成長を期して、移動手段を「再定義」することによって、自動車が発明された。
再定義が成功をもたらした他の例としては、横浜スタジアムの観客動員数を激増させた横浜DeNAベイスターズが挙げられる。スタジアムを従来の「野球場」ではなく、「でっかい居酒屋」に再定義し、野球を「酒のツマミ」にして楽しんでもらうという営業戦略の抜本的転換が奏功したのだ。
このような再定義及び視点の転換を、シンギュラリティ大学では、Shifting perspective is better than being smart. (視点を変えることは、聡明であることに優る)と表現している。
直線的 | 加速度的 |
---|---|
10% | 10倍 |
修正 | 再定義 |
例1:「速い馬」に率いられる馬車 | 馬車から「自動車」へ |
例2:観客の多い「野球場」 | 「でっかい居酒屋」 |
シンギュラリティ時代、法務自体にも「再定義」が必要である。具体的には、法律業務が「コンサバなコストセンター」ではなく、その逆を行き、「プロアクティブな(先見力ある)、プロフィットセンター」に再定義すべきではなかろうか。より具体的な分析を以下に試みる。
(1) 帰納的な思考力・質問力
出された問いを分析して受動的に「回答する」力は、シンギュラリティ時代、もはやAIには到底太刀打ちできない。つまり、与えられた大前提に事実を当てはめて演繹(えんえき)的に「回答する」能力のみでは、法務の存在意義を見いだすことは難しくなってきている。
一方、「何が問題であるのか」を自発的・積極的に「質問する」力は、まだAIに代替されにくい。つまり、なぜその規制があるのか?という法の趣旨を、適用事例や他の業法規制と比較して「問いかける」能力も必要になってくる。いわば「帰納的」な思考と言えよう。
旧来 | シンギュラリティ時代 |
---|---|
コンサバ | プロアクティブ |
コストセンター | プロフィットセンター |
演繹的 | 帰納的 |
回答する | 質問する |
例えば、シンギュラリティ時代には、斬新な新規サービスが登場する。その展開には、必然的に業法規制との抵触・グレーゾーンの問題が伴う。その際、業法規制の存在意義を、「なぜその規制が必要か」という趣旨にさかのぼって帰納的に考えれば、多くの規制は、「サービスの質を確保して、消費者の安全を守る」ためにあることが分かる。
そのような趣旨から考えれば、サービスの質が確保できる「代替手段」があれば、業法規制の存在価値は不要か、極めて低くなることになる。
UberやAirbnbが「レーティングシステム(ドライバーや宿の提供者を評価する制度)」を採用しているのはこのためである。昨今喧伝(けんでん)されるシェアリングエコノミーの普及も、実は、このレーティングシステムの実効性が鍵になっている。
このような「趣旨にさかのぼって代替案を大胆に考える」思考は、与えられた大前提から受動的・演繹的に考えるのみでは、出てきにくい。
(2) 戦略性・先見性のある洞察力
シンギュラリティ時代には、特にデジタル・インターネット業界で、「先例のない」事例へのスピーディーな対処が求められる。それゆえ、今後は、先例を探して解を探すという「後追い」のみの思考では生き残りが難しい。
むしろ、グレーゾーンに既成事実を積み上げ、ロビイングなどで、先例を創り出していくクリエーティビティー・大胆さも必要になるかもしれない。いずれにせよ、先見力、洞察力、そしてビジネス理解の重要性は高まっているといえよう。
昨今、プログラミングの重要性が喧伝されるのも、「与えられた状況下で(受動的に)解答を引き出す」能力ではなく、「自ら(能動的・積極的に)ゼロからルールを創り出す」能力が重要視されているからだ。
このような、時代の先読みをして「戦略的」にリスクを取りつつスピーディーにビジネスを進める新手法を、グーグルでは「カウボーイ・ルール」と呼んでいる。カウボーイが、いちいち馬から降りずに周囲を確認してどんどん先に進むことから来た用語だ。先例を調べて意見書を書いて…という悠長な考えではなく、そもそも先例がない分野で、どのように早くビジネスを進めるか。その視点を法務が持つことも重要である。
確かに、法務は、本質的に保守的で慎重であるべきなのかもしれない。しかしながら、シンギュラリティ時代に備えるためには、「兵は拙速を尊ぶ」と言われるように、「拙速」さがある程度求められているといえよう。ベンチャー起業の多くが、fail fast(早く失敗)して、マーケットからの評価を参考に軌道修正(pivot)しながら事業を拡大していることが参考になる。
(3) ITへの知識・好奇心
IT知識も不可欠だ。現在の爆発的なITの進化のほとんどは、サービス・データの「デジタル化」から始まっている。それゆえ、デジタル領域への研鑽(けんさん)は怠ってはならない。
例えば、アメリカのオバマ政権では、
の頭文字を取った「STEM」を、目指すべき次世代教育の指標としていた。日本ではいずれも「理系」と分類される分野である。「自分は文系だから理系はちょっと…」と考えているようでは、シンギュラリティ時代に取り残されかねない。
また、世界中で、今、天文学的な量のアプリが開発されている。多くは無料である。簡単に様々なアプリを試すことができる時代であるが、気軽にアプリを試す法務担当者は多くないように思われる。頻繁に、日進月歩のアプリを試す好奇心は持ちたいものである。
(4) コミュニケーション力・根回し力
シンギュラリティ時代において、人間の存在意義は「コンピューターやAIには決してできないこと」になる。その1つが、人間らしい、血の通った、温かみのあるコミュニケーション能力だ。
単に論理と結論のみを伝えることは、そのうちAIにも造作なくできるようになるだろう。
そうではなく、かゆいところに手が届くような気配りを施して、相手方の気持ちをつかみ、必要に応じて適切な根回しや心遣いをする…。社会人として要求されてきたこのようなコミュニケーション能力が、今こそ、「AIに代替されない人間らしい能力」として、再び脚光を浴びているともいえる。
人間はどうしても、今までの自分のやり方・考え方に安住してしまいがちだ。「みんなが世界を変えたいと思っているが、自ら変わろうとする人はいない」(トルストイ)と言われるゆえんである。
しかし、シンギュラリティ時代、そのような悠長な考えでは「ぬるま湯のゆでガエル」になりかねない。それゆえ、新しいことを試す好奇心、勇気とチャレンジ精神が重要といえる。
このシンギュラリティ時代に生き残るためには、「自らを変える!」という気概と覚悟がまずは重要である。「世界を変えたいのなら、まず自分がその先駆けとならなければならない(You should be the change that you wish to see in the world)」と喝破したガンジーの箴言(しんげん)を、今、かみしめるときかもしれない。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください