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司法取引制度導入に伴う企業のリスクと対応策

太田 洋

 容疑者や被告が他人の犯罪を告白することと引換えに検察がその人の刑事処分を軽減することができる司法取引制度が、いよいよ日本でも遅くとも来年6月までには導入される。この日本版司法取引制度は、企業が関係するホワイトカラー・クライムの事案などについて検察当局が積極的に活用するものと見込まれる。企業危機管理に明るい太田洋弁護士が、日本版司法取引制度の概要を解説するとともに、米国で、企業が関係するホワイトカラー・クライムの立件に際して積極的に活用されている訴追延期合意制度(企業が捜査等に協力し、再発防止体制を整備する代わりに、当局が刑事訴追を猶予し、刑事処罰によって企業が破綻するのを回避しつつ、同種犯罪の再発防止にもつなげる米国の制度)が、司法取引制度の導入と共に日本でも活用されることになるのか、について検討する。

 

日本版司法取引制度と訴追延期合意

西村あさひ法律事務所
弁護士・ニューヨーク州弁護士
太 田    洋

一 日本版司法取引制度及び刑事免責制度の導入

太田 洋(おおた・よう)
 1991年、東京大学法学部卒業、1993年に弁護士登録(司法修習45期)。2000年、ハーバード・ロースクール修了(LL.M.)、2001年に米国NY州弁護士登録。2001年~2002年に法務省民事局付(参事官室商法改正担当)、2007年に経済産業省「新たな自社株式保有スキーム検討会」委員。2013年~2016年に東京大学大学院法学政治学研究科教授。現在、西村あさひ法律事務所パートナー、金融審議会ディスクロージャーWG委員。
 2016(平成28)年6月3日、刑事訴訟法等の一部を改正する法律(以下「改正法」といい、改正後の刑事訴訟法の条文を「新刑訴法○○条○項○号」として引用する)が公布され、これによってわが国でも司法取引制度(新刑訴法350条の2乃至350条の15)及び刑事免責制度(新刑訴法157条の2)が導入されることとなった。なお、この改正法は、基本的に公布の日から3年以内の政令で定める日に施行されるものとされているが、上記のいわゆる日本版司法取引制度の導入は、公布日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとされており、来年(2018年)6月までには施行されることになる。

 今回、改正法によって導入されることとなったわが国の司法取引制度は、被疑者または被告人(以下「被疑者等」という)が、「他人の犯罪」の訴追等について、捜査機関に一定の協力をすることと引換えに、検察官が、公訴の不提起や軽い求刑をすることを約束する制度である(新刑訴法350条の2第1項)。

 つまり、わが国の司法取引制度は、米国や英国で見られる司法取引、即ち、有罪答弁取引、不起訴合意(Non Prosecution Agreement)及び訴追延期合意(Deferred Prosecution Agreement)のように、被疑者等が、「自らの犯罪」を認める代わりに不起訴や減刑といった利益を得るというタイプのもの(いわゆる自己負罪型)が除かれ、「他人の犯罪」について捜査機関に協力することによって見返りが得られるタイプのもの(いわゆる捜査・訴追協力型)のみが認められた点に特徴がある。

 そして、被疑者等に求められる捜査機関への「協力」の具体的内容は、①捜査機関に対し「他人の犯罪」事実を明らかにする真実の供述をしたり、証拠物を提出したりすること、及び②「他人の刑事事件」の証人尋問で真実の供述をすることとされている(新刑訴法350条の2第1項1号)。また、刑事免責制度が対象とする犯罪は、法律が定める一定の犯罪(「特定犯罪」と呼ばれる)に限定されている(新刑訴法350条の2第1項柱書)が、対象となる犯罪には、不正競争防止法が定める外国公務員贈賄罪を含む汚職の罪、犯罪収益等収受(マネーロンダリング)に関する罪、詐欺、恐喝、横領等の財産に関する罪、租税法違反の罪、カルテルや談合等の独禁法違反の罪、金融商品取引法違反の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるものといった経済刑法犯罪が広く含まれているだけでなく、企業が関係する経済刑法事案で問題となることの多い犯人蔵匿や証拠隠滅等に関する罪も対象とされている(同条2項各号)。他方、企業が関係する刑事事案でも、製品事故や労災事故等で問題となる業務上過失致死傷罪や各種業法違反は特定犯罪とはされていないことには留意すべきであろう。

 手続としては、司法取引を行うためには、被疑者等だけではなく弁護人の関与が必要とされ(新刑訴法350条の3第1項)、検察官と弁護人らとの間の協議の結果、最終的に取引が成立した場合には、検察官、被疑者等及び弁護人が連署した合意書面(以下「合意書面」という)が作成され(同条2項)、当該合意書面は当該被疑者等に対する被告事件の公判において取調べの対象となる(新刑訴法350条の7第1項)。なお、協議の結果、仮に合意が成立しなかった場合、被疑者等が検察官との協議において行った他人の犯罪事実を明らかにするための供述は、これを証拠とすることができないものとされている(新刑訴法350条の5第2項)。この点は、米国の司法取引において、プロファー・セッション(Profferとはoffer of proof、即ち、証拠の提供である)と呼ばれる検察側と弁護側との協議の過程で被疑者等からなされた供述や情報提供については、一部の例外を除いて有罪立証のための証拠として用いることはできないとされていることと同様である。

 また、改正法の下では新たに刑事免責制度が導入された。この制度は、①証人尋問によって得られた供述及び派生証拠は原則として証人に不利に用いることができず、かつ、②その証人尋問において自己負罪拒否特権をもって証言を拒絶できない、という条件の下で、証人尋問を行うというものであり(新刑訴法157条の2第1項1号、2号)、検察官が裁判所に請求することにより、証人に刑事免責が付与されるものとされている(同項柱書、同条2項)。刑事訴訟法上、証人は証言することにより自らが刑事訴追されるおそれがある場合には証言を拒絶することができる(同法146条)が、刑事免責制度は、刑事免責を与えることと引換えに、証人に証言を強制する制度といえる。

 なお、実務的には、司法取引と刑事免責とはそれぞれ別個に用いられるのではなく、相互に組み合わせて用いられることも多いのではないかと思われる。例えば、司法取引をするに際して、後に被疑者等が「他人の犯罪」に関して公判廷で証言を行った結果、当該証言が(後で)自己に不利益に用いられることのないように、被疑者等の弁護人としては、検察官に対して、当該「他人の犯罪」に関して司法取引に応じる条件として、刑事免責の付与を求める場合が出てくると思われる。

 以上が日本版司法取引制度及び刑事免責制度の概要であるが、これらの制度が導入されると、特に、企業が関係するホワイトカラー・クライムの事案等では、司法取引が積極的に活用され、検察官が従業員と司法取引を行って供述を引き出して企業の上層部や企業自体に対して厳しく刑事責任を追及していく(このような捜査手法は一般に「突き上げ捜査」と呼ばれる)ことになることが予想される。一般に、「突き上げ捜査」を行う際、下位の従業員が犯罪への関与が低いにも拘わらず、自らが刑事責任を問われることを恐れて供述しないことがまま見られるが、司法取引制度を活用すれば、検察官がそれら下位の従業員と協議して、企業上層部や企業自体の犯罪行為への関与について供述することを条件に当該従業員については不起訴処分にすることを合意し、当該従業員の供述により企業上層部や企業自体の刑事責任を追及することが可能となるからである。

 それでは、わが国では、日本版司法取引制度導入後も、企業が関係するホワイトカラー・クライム事案について米国で多用されている訴追延期合意は利用できないのであろうか。以下、この点につき、簡単な検討を試みることとする。

二 日本版司法取引制度の下での訴追延期合意の利用可能性

 米国には、前述したとおり、起訴後の有罪答弁を内容とする司法取引(いわゆる有罪答弁取引)以外の司法取引の類型として、前述した不起訴合意と訴追延期合意という2つの類型が存在する。このうち前者は、被疑者等による訴追協力の見返りとして、検察官が当該被疑者等の被疑事件につき公訴を提起しないことを合意する類型の司法取引であるが、後者は、例えば、企業が関係するホワイトカラー・クライム事案で連邦検察官と対象企業との間で結ばれるものを例にとると、概ね、①検察官は、起訴状を裁判所に提出するのと同時に公判手続の中断を求め、それ以上は公判手続を進行させない(延期する)こと、②検察官は、一定の期間(1年~3年が多いようである。以下「猶予期間」という)の経過後に対象企業が検察官との間で合意した一定の条件を遵守したことを確認できれば、起訴状を取り下げること、③その代わり、対象企業は、違法行為につき抽象的に責任を認めるだけでなく、事実関係についても詳細に認め、場合により一定の制裁金等を支払うこと、等々を内容とする類型の司法取引である。そして、訴追延期合意においては、多くの場合、④対象企業は、連邦司法省に対して、上記③記載の事実関係や社内調査に関連する資料、企業が弁護士から得たアドバイスに関連する資料等について、秘匿特権及び職務活動成果法理の下で弁護士職務活動の成果につき開示を拒み得る特権(work-product privilege。以下「自己利用文書特権」という)を放棄することや、⑤対象企業が、今後は違法行為を行わないことを誓約すると共に、コンプライアンス・プログラムの策定・改定、コンプライアンス・オフィサーの選任、内部通報制度の構築その他の再発防止策の構築、違法行為を行った役職員に対する解雇や懲戒等の人事処分等の措置を講じる旨を約束すること、並びに⑥連邦検察官が選任する独立した第三者のコンプライアンス・モニターが、対象企業の費用で、再発防止策の構築及び実施状況や法令遵守状況を監視すること、等々が定められていると指摘されている。訴追延期合意は、起訴や刑事処罰によって企業が破綻に至るようなダメージを受けて無関係な多数の従業員が失職したり、本来は被害者であるはずの株主が一層の損害を受ける等の事態に至ることを回避しつつ、再発防止策の構築等を通じて企業改革を実現することで、将来の違法行為を抑止し刑事罰を科したのと同等の目的を達し得るものとして、近時、企業が関係するホワイトカラー・クライム事案において数多く用いられるようになっている(因みに、若干古い数字であるが、1993年から2008年にかけて112件の不起訴合意及び訴追延期合意が結ばれている)。

 例えば、今年に入ってからも、2016年1月17日付けで、航空機エンジン大手である英ロールス・ロイスが、米国、英国及びブラジルの各捜査当局によって大規模な贈賄を行っていたとして摘発され、総額約8億ドル(約900億円)の罰金を科された事案において、米国連邦司法省が、処分の一環として、同社との間で、約1億9500万ドル(ブラジル当局への罰金の支払いに充当される部分も含む)の罰金を支払うこと等を内容とする訴追延期合意を締結した旨が公表されている。

 翻って、わが国でも、改正法により、司法取引の一類型として不起訴合意は刑事訴訟法上正式に認められるに至ったが(但し、前述のとおり、自己負罪型のものは認められていない)、改正法の明文上、司法取引の一類型として、検察官が、被疑者等による「他人の犯罪」に関する訴追等への協力と引換えに、起訴状を裁判所に提出するのと同時に公判手続の中断を求め、それ以上は公判手続を進行させない(延期する)ことまで認められるかは若干不明確である。

 ただ、企業が関係する経済刑法事案(改正法上の特定犯罪の類型に入るものに限る)であって、企業自身も両罰規定を通じて刑事処罰され得るものについては、a) そもそも、改正法では、検察官が提供できる「見返り」として、既に提起された公訴を取り消すことや特定の訴因・罰条の追加・撤回・変更を裁判所に請求すること(具体的には軽い罪に訴因を変更すること)まで明示的に認められている(新刑訴法350条の2第1項2号ロ、ニ)以上、当然に、公訴を提起すると同時に裁判所に公判手続の中断を求め、それ以上は公判手続を進行させない(延期する)という措置を提供できると解し得ること、b) 企業自体も「他人」である役職員の特定犯罪の訴追等に協力することの見返りとして自己についての公訴不提起その他を内容とする司法取引を行い得るものと解されること、c) 逆に、企業の役職員が、「他人」である当該企業の特定犯罪の訴追等に協力することの見返りとして、自己についての公訴不提起その他を内容とする司法取引を行い得るものと解されること、d) 改正法による司法取引制度及び刑事免責制度の導入前の段階においても、刑訴法248条に定められた起訴便宜主義に基づく起訴猶予処分を活用することにより、実質的に、「日本型の訴追延期合意制度」を運用によって実現できると唱えられていたこと、e) 企業が関係する経済刑法事案であって、役職員(及び企業)を実刑に処すべき重大事案でないものについては、起訴や刑事処罰によって企業が破綻に至るようなダメージを受けて無関係な多数の従業員が失職したり、本来は被害者であるはずの株主が一層の損害を受ける等の事態に至ることを回避しつつ、再発防止策の構築等を通じて企業改革を実現することで将来の違法行為を抑止し、刑事罰を科したのと同等の目的を達し得るものとして米国や英国で用いられているような訴追延期合意は極めて有用であって、捜査ないし調査に必要な人的資源等の効率的な配分の観点からも、このような類型の司法取引を認める必要性は高いと思われること、等々からすれば、運用によって、実質的に訴追延期合意に相当する内容の司法取引(但し、自己負罪型は除く)を認めることも十分許されるのではないかと考えられる。

 改正法の下で、わが国検察当局が、どこまで(及びどのような形で)上記のような運用を行うことに踏み切るかは、特に企業が関係するホワイトカラー・クライム事案への対応を巡って、今後、実務上非常に注目される点であるように思われる。