2017年06月12日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
清水 亘
1. 就職
私は、いわゆる司法浪人を1年やった後で、電機メーカーの100%子会社であるソフトウェア会社に就職した(というよりも、拾っていただいた)。司法試験不合格の発表後に届いた成績表では、すべての科目が「A」評価(最高評価)であり、これ以上やっても、自分はこの試験に縁がないと思ったからである。当時は、司法試験制度改革の試行錯誤がなされており、そういうことがあり得たのだと思う。
私は、その会社が「法務担当者」を募集しているという記事(当時は、比較的珍しかった)を情報誌で見つけ、早速、面接を申し込んだ。役員面接までたどり着いてみると、人事担当役員は、大柄でとても怖そうな人だった。「君、司法試験はどうするのかね?」と想定どおりの質問をされた私は、「はい、やめます」と即答した。すると、あろうことか、人事担当役員は、「君、何を言っているのかね。仕事もやるから、試験も続けなさい」とものすごく大きな声で言った。目が点になった。そして、私は、採用された。
2. 社会人としての基礎
最初の配属は、人事総務部だった。「法務担当じゃなかったのか?」と憤りを感じないでもなかったが、サラリーマンになった以上、仕方がなかった。配属されて最初の仕事は、元社長の葬儀の「看板(☞)」持ちだった。人事担当者役員の指示で、東横線の祐天寺駅前に、小雨の降る中、傘もささず(させず)、「看板(☞)」を持って1時間以上立っていた。「司法試験を志していたはずなのに、自分は何をやっているのだろう?」と自問した。葬儀が始まる時間になって、斎場に移動し、自分がどの持ち場に着けばよいのか、先輩社員にできる限りにこやかに質問した瞬間、人事担当役員の雷が落ちた。「清水君、葬儀の場で、歯を見せて笑うんじゃない。そのくらい分からんのか!」思わず、姿勢を正した。
この年は妙に葬儀が多く、その2週間後くらいには、別の元社長の葬儀があり、「看板(☞)」を持って東北新幹線に乗った。これが、私にとって、初めての長距離出張であった。その1ヵ月後くらいにも、今度は北関東で葬儀があり、もはや友だちになってしまった「看板(☞)」と一緒に、東武線に乗った。そのころには、少しずつ、人事担当役員と話ができるようになっていた。
3. 見かけの大切さ
しばらく経つと、中部支社が労働基準監督署の集中的な査察を受けた。名古屋を発端として、その後全国に広がった「労働時間の適正な管理」の動きの走りである。奇しくも、私が現在拠点を置く名古屋に、ほぼ毎週のように、人事担当役員と一緒に出張することになった。人事担当役員は岐阜県出身で、東海地方が大好きだったのだ。愛知県弁護士会の大先生である顧問弁護士のところで打合せをしたり、査察を受ける会社で準備をしたり、労働基準監督署を訪問したりと、私は、短期間でいろいろなことを経験した。人事担当役員に叱責されることもあったが、私には、すべてが勉強であった。
最後の詰めが近づいたころ、名古屋へ出張する前に、人事担当役員が「清水君、できる限り大きな六法を買って、それを持っていきなさい」と言う。そのとおりに模範六法を購入して、労働基準監督署へ向かっている途中、今度は、人事担当役員がこんなことを言う。「いいかね、君は、監督官の前で、その大きな六法をパラパラして、いかにも理解しています、自分たちの主張は間違っていません、というふりをするんだ。何にも言う必要はない」。かくして私は、人事担当役員の言うとおりにしたのだが、面談している労働基準監督官も、しきりとこちらの様子を窺っている(と思った)。かなり長い時間(だったような気がした)の面談の後、最終的には「分かりました。では、そういうことにしましょう。追って、書面でご連絡いたします」となった。一定程度、我々の言い分を認めてもらえたのである。帰り道、人事担当役員は、こう言った。「いいかね、清水君、見かけはとても重要なんだよ。そのほうが、言っていることも正しく聞こえるんだ」。それが本当なのかどうかは分からなかったが、その晩は、人事担当役員の行きつけのお店(残念ながら、いまはもうない)で祝勝会をして、お決まりの名古屋発22:10発の最終新幹線で東京へ帰った。
4. 人の大切さ
その後、私は、人事異動の担当主任になった。人事担当役員は、異動の辞令の際に、「清水君、組織は、人なんだ。人を大事にしない組織は、長続きしない。それを肝に銘じて、職務を遂行しなさい」と言った。ところが、その直後、私たちは、この言葉の重みを痛感する事態に遭遇する。親会社の業績悪化に伴い、リストラの指示が下ったのだ。人事担当役員は、私が人事異動担当主任になるのとほぼ同時期に親会社から派遣された人事部長と一緒に、親会社と何度も交渉した。いまのメガバンクの統合時期に当たっていて、私たちの会社の業績はまったく悪くなかった(というよりも、大幅黒字だった)からである。
それでも、私たちは、親会社の指示どおり、リストラを実行せざるを得なかった。朝、出社すると、私の机の上には、その日に声をかけるべき「リストラ対象者リスト」が置いてある。それを見て、私は、対象者に会いに行く。「実は、来月末で…」と話をするのだが、そんなことを冷静に受け止められる人は誰も居ない。対象者から、「電子メールって、こんなに大きなフォントでも送ることができるのか」と感心するくらい大きな赤いフォントで「何を考えているんだ、お前は!」というメールが届いて、泣きたい気分になったこともあった。
だが、泣いたのは私ではなかった。すべての作業を終えたとき、人事担当役員と人事部長と私は、JR大森駅前の「養老乃瀧」にいた。最初に泣いたのは、人事担当役員だった。「人を切るのは麻薬だ。これは間違っている。人を大事にしない組織は、長続きしない」と言って、彼は、泣いた。次に泣いたのは、人事部長だった。「人を切る仕事は、人事の仕事じゃない。人を育てるのが人事の仕事なんだ」と言って、彼は、泣いた。結局、私にだけは、泣くチャンスを与えてもらえなかった。私は、人事マンとしての自分をリストラして、人事に別れを告げ、法務へ異動した。
5. 自分を知ることの難しさ
エピソードは尽きないのだが、最終的に、私は、法務と社長秘書を実質的に兼任しているときに、司法試験に合格した。その年、人事担当役員と人事部長と私は、短期間で、東京証券取引所に会社を上場させるミッションを負っていた。私は、司法試験場に体を運ぶことができないのではないか、試験場に行けたとしても、疲れで寝てしまうだけではないか、というくらいに忙しかった。当然、勉強などほとんどする時間はなく、旧商法末期に会社関係の改正が連続する中で、条文がどうなっているのかさっぱり理解できていなかった。
論文試験の合格発表の日、「これから発表を見に行ってきます」と伝えた私に、人事部長は、「お前、今年は受かっているぞ。顔にそう書いてある」と言った。私自身には分かっていなかったが、周囲にはそう見えていたらしい。確かに、合格していた。その瞬間、嬉しさとともに、会社を辞めたくない、という強い思いが私の頭をよぎった。人生の選択をすべきときだった。
最終合格後、私は、会社のために働きたいと思ったのだが、当時はインハウスロイヤーの前例もあまりなく、司法修習へ行くために会社を一時休職するなどの柔軟な制度構造にはなっていなかった。人事担当役員と人事部長は、口を揃えて、「君は弁護士になりたかったんじゃないのか?」と言った。一瞬、私は、自分がなぜ司法試験を受けていたのかよく分からなくなったが、悩んだ末、法曹への道を選んだ。それでも、会社の役には立てると思ったからである。
大森海岸の寿司屋で送別会をしてもらったとき、人事担当役員は、「君は、つむじ風みたいな人だな。楽しかったよ」と言ってくれた。彼は、また泣いていた。不幸にしてこのとき、人事部長は、ガンの闘病生活を始めていて、その場に同席していなかった。
6. 健康の大切さ
人事部長は、私が弁護士になってすぐに、49歳の若さで亡くなった。スキルス胃がんだった。リストラ以降、私を指導しながら様々な激務をこなす中で、人事部長は、体にかなりの負担をかけていたと思う。笑いながら「あ、痛たた、胃が痛い」と言う人事部長に、「病院に行ってください」と何度も勧めたが、多忙を理由に、行く気配すらなかった。人事部長が病院へ行ったのは、すべてが落ち着いた、私の司法試験合格後だった。
当時、某事務所のアソシエイトだった私には、この大切な恩人の葬儀に出席することすら叶わなかった。仕事に区切りをつけて、パートナーの了解を得て、大急ぎで斎場に到着したとき、故人を乗せた棺は、火葬場へ向かうところだった。私は、自分がとても無礼な人間だと思った。こんなことのために弁護士になったのではないと思った。このころ、私は、弁護士とサラリーマンとの違いに悩んでいた。人事部長は、仮退院の合間に、すっかり痩せてしまった病身を押して、「君の人間力なら乗り越えられる」とわざわざ励ましに来てくれた。それが、人事部長と話をした最後だった。
7. 人間力の大切さ(まとめ)
いま、私が(司法研修所で強く誘っていただいた検察官ではなく)弁護士を選び、企業法務を選んだのは、会社で私に貴重な経験と勉強をさせてくださったすべての方々へのご恩返しをしたいと考えたからである。人事担当役員や人事部長はそのごく一部であって、他にもたくさん御礼を申し上げたい方がいる。もちろん色々な考え方があるとは思うが、少なくとも私に対しては、すべての方々が、「企業を守ることは、従業員とその家族全員を守ることになるのだ」と教えてくださったように思える。人事担当役員と人事部長からは特に多くのことを教えていただいたが、最も重要なのは、人間力の大切さだったと思う。上述したいくつかのエピソードは、すべてお二人の人間力の表れであり、それを教えていただけた自分は、とても幸せであった。そして、私は、弁護士がクライアントから信頼を得るためにも、人間力が不可欠だと信じている。
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