政治権力と法執行機関の激突、日本への示唆(2)
2017年06月08日
経営倫理実践研究センター主任研究員
北島 純
一時は、トランプ大統領が大統領行政特権(executive privilege)を行使し、コミー前長官が作成していたメモの提出や公聴会での宣誓自体を拒否する可能性も取り沙汰されたが、予想される反発をおそれてか、介入しないことをサンダース報道官が言明した。既に元FBI長官のロバート・マラー氏が特別検察官(Special Counsel)に任命されており、その捜査との兼ね合いで、少なくともメディアに公開される午前中の公聴会では、踏み込んだ証言がなされないという観測もあった。
しかしながら、今回の公聴会は、コミー前長官が5月9日に解任された後に公の場で証言する初めての機会になる。そもそもの解任理由とされた「ヒラリー・クリントン元国務長官の私用メール問題に対する捜査に重大な誤りがあった」と言えるのかという点も含めて、コミー前長官による証言に期待が高まる所以である。
このうち、メール問題捜査については、前回、一連の経緯を振り返った上で、捜査が二転三転したのはヒラリー陣営による政治的圧力が背景にあった可能性が高いと言えることを指摘した。捜査の公平性と大統領選挙に与える政治的影響の狭間で悩んでいたコミー長官はむしろ被害を受けたと言うべきだろう。仮にヒラリー政権が誕生し、意趣返しとしてコミー長官が解任されたなら話は分かりやすい。しかし、トランプ政権では話は逆のはずだ。コミー長官はトランプ政権誕生の立役者となる役割を「結果として」果たした人物であり、任期途中で解任するのはいかにもおかしい。
解任劇の翌朝、ホワイトハウスのオーバルオフィスにロシアのラブロフ外相とキスリャク駐米大使を招き入れたトランプ大統領は、「FBIトップをクビにした。彼は頭がおかしい、本当の変人だった(He was crazy, a real nut job.)大きな圧力に直面していたが、解放された」と言ったと報じられている。また、コミー長官が5月3日の上院司法委員会の公聴会に続き11日も下院で証言する予定だったこと、解任の前週にローゼンスタイン司法副長官に対して、ロシア問題の捜査態勢増強のため増員と予算増額を要求していた等の事情からすると、真の解任理由がいわゆるロシアゲート捜査の妨害にあるのではないかという推測は高まる一方だ。
とはいえ、ホワイトハウス及び司法省が発出した正式な声明は依然として取り消されておらず、メール問題に対するコミー長官の捜査指揮に「重大な誤り」があったことが解任の理由とされている状況に変わりはない。
下院行政監視政府改革委員会からFBI長官に2016年7月11日に出された質問状及び8月16日付のFBIによる回答文書によれば、ヒラリー・クリントン国務長官のメール問題は当時、三つの連邦法違反の嫌疑で捜査されていた。
一つは、連邦記録を故意かつ不法に隠匿、持ち出し、破壊する行為を行なった者を重罪(Felony)とする合衆国法典第18章2071条だ。もう一つが、国家の機密情報を適切なシステム又は保管施設から意図的に(knowingly)持ち出す者を軽罪(Misdemeanor)とする合衆国法典第18章1924条。最後が、国防に関する情報を故意または重大な過失(gross negligence)によって不当に扱った者を重罪とする合衆国法典第18章793条である。
ヒラリー国務長官が私設メールサーバーを利用して業務上のメールをやりとりしていたことは、前回指摘したように、国立公文書記録管理局(NARA、National Archives and Records Administration)に関する行政規則(連邦規則36巻1236条22項(b)に違反していた可能性がある。しかし、連邦法上の違法性となると、国務長官が業務上の必要性から自分の部下に対して行う私設メールサーバーを介した電子メールの送受信行為が、連邦記録の「隠匿(conceal)・持ち出し(remove)・破壊(destroy)」にあたるといえるか、そしてメールに機密情報が含まれていたとしても、かかるメール送受信行為が意図的な「持ち出し」(remove)と言えるかは微妙とも言えよう。
そこで、電子メールの送受信行為を国防に関する機密情報の「不当取り扱い」(mishandle)と見なし、そこに「故意又は重大な過失」(intentionally or in a grossly negligent way)があるかどうかを判断することが重要となる。この点についてコミー長官は、ヒラリー・クリントン国務長官とその同僚には、機密情報を「極めて軽率に」(extremely careless)扱った証拠があるが、「重大な過失」と同等とは言えないと判断して、起訴するべきではないという勧告を司法省に行った。
FBIによれば、ヒラリー国務長官のメールには機密情報があることを示す「(C)」マークがついたものが3通あったが、それらはいずれも部下からヒラリー国務長官に「転送」(forwarded)されたもので、ヒラリー氏自身が発信したものではなかった。また、「(C)」の位置も、ヒラリー氏が受け取ったメールのヘッダーやフッターではなく、転送によって自動引用されたメールの束の中にまぎれていた。更に、国務省によって機密情報が含まれていると実際に認定されたメールは3通のうち1通に過ぎず、メールの送受信時には3通とも指定されていなかったことから、ヒラリー国務長官に機密情報を不当に取り扱ったという「認識」または「故意」があったという明確な証拠はないと判断されたのだ。
では、「重大な過失」はどうか。合衆国法典第18章第793条(f) (18 U.S. Code § 793(f))の制定当時から、「重大な過失による機密情報の不当取扱」という過失犯が犯罪とされることに懸念が持たれており、実際、制定以来の99年の歴史の中で、司法省が793条(f)の重過失犯で起訴したケースはたったの1件しかないという。それは国防情報のスパイおよび背信(espionage and disloyalty)が認められるケースだったが、被告人が別の偽証罪で有罪を認めたため免訴になった事案だ。そして、そのような前例を踏まえると、司法省実務の観点からは、同罪をヒラリー国務長官にあてはめる訳にはいかないというのだ。
つまり、収集されたメール内容と送受信の態様等から総合的に判断して、ヒラリー国務長官には、一般的な用語としての「大きな不注意」(extremely careless)は確かにあったが、それは合衆国法典第18章第793条における「重大な過失」と同じであると認めることはできず、したがって起訴するべきではないという結論に至ったということである。
また、2016年7月5日にコミー長官が、捜査の終結を宣言するだけでなくヒラリー候補の訴追を見送るべきだ(no charges are appropriate in this case)と公表したことに対して、司法省内の法執行機関であるFBIが起訴権の行使について言及するのは越権行為であり、かつ公表するのは不適切ではないかという批判が起きた。これに対してFBIの回答文書は、FBI長官が司法省の検察官に起訴するかどうかの勧告を表明し、それが公に共有されることはよくあることだと指摘している。
以上からすると、捜査機関のトップとしてコミー長官が2016年7月5日に表明した捜査終結という判断と、その司法省に対する勧告及び公表に、裁量を逸脱するような明確な違法があったということは難しいように思われる。
これに対して、より深刻なのが「ロシアゲート」の問題だ(なお、現在米国では「ロシアゲート」(Russia-gate)よりも一段冷静な「ロシア調査」(Russia Probe)という言葉の方が多用されているが、本稿では「ロシアゲート」という用語を用いることをお許し頂きたい)。
ロシアゲートは当初、インターネット上におけるハッキングの問題と思われていた。大統領選挙期間中からロシアの政府機関関係者が民主党全国委員会(DNC: Democratic National Committee)のサーバーをハッキングして情報を流出させた問題だ。これは、大統領選挙プロセスに対する直接的な介入ではあるが、あくまでもサイバー空間での情報操作に過ぎないとも言える。
しかし、その後に分かりつつあるのは、単なるハッキングにとどまらず、実際にトランプ陣営幹部がロシア政府関係者と接触し、例えば国家安全保障担当補佐官に内定していたフリン氏がロシア制裁解除等に関する密約を交わしたり、最側近の親族ジャレッド・クシュナー氏がクレムリンとの秘密回線(ホットライン)の設置を提案したりしたのではないかという、外交・安全保障上の問題が生じていたという事態だ。トランプ大統領自身がイスラエルの諜報活動に関する機密情報をロシア大使に漏洩した疑惑等ともあいまって、トランプ政権の度を越したロシア傾倒が、米国の国益を現実に損なっているのではないかという疑念が、多くの人々に共有され始めている。
そして、そのような「実体的な疑惑」に対する捜査を続行しようとしたコミー長官にトランプ大統領が自らへの忠誠を要求し、それを実質的に拒絶した長官が捜査継続の意思を鮮明にするや解任に踏み切ったという経緯が報じられると、米国政治史上最大のスキャンダルであるウォーターゲート事件に匹敵する「大統領自身による司法妨害」ではないかという懸念が生じたのである。大統領といえども法の下の平等に服するという、米国社会の根本的な価値が踏みにじられているのではないかという懸念は深刻だ。
つまり、ロシアゲートは二重の意味を持っている。一つは外交・安全保障の観点を中心とする「実体的な疑惑」だ。もう一つは、その隠蔽のためになされた可能性がある司法妨害という「プロセス上の疑惑」である。しかし、これらの疑惑が具体的にどのような違法性を持つものか、それとも「国益を毀損する」という政治上の非難にとどまるものなのか、釈然としないことも多い。そこで、本連載ではこれから、この二重の疑惑がいかなる意味を持つものか考えていきたいと思う。まず、ロシアゲートと呼ばれる一連の経緯を確認していこう。
2015年12月17日、ロシアのプーチン大統領がモスクワで記者団に対して、「トランプ氏は非常に卓越した才能ある人物だ」と語ったことを覚えているだろうか。共和党大統領選挙予備選が始まる2ヶ月以上も前のことだ。キワモノ候補に過ぎないと見る向きもあったトランプ氏をプーチン大統領が持ち上げるという不自然さを、この時点で大半の人が見過ごしたと思うが、実は重大な意味を持っていたことが今、分かりつつある。「私ならプーチンに尊敬される大統領になる」というトランプ氏のコメントが冗談では終わらない可能性がある問題、それがいわゆる「ロシアゲート」だ。
大統領選挙に関するロシアのハッキングが公然化したのは、2016年6月14日のことだった。ワシントン・ポスト紙のエレン・ナカシマ(Ellen Nakashima)記者が、民主党全国委員会のシステムがロシアのハッカー集団によって侵入されたと報じたのだ。
同紙によると、民主党全国委員会執行部は4月下旬、ITチームからネットワークに不自然な点があると報告を受け、FBIのサイバー捜査部門のトップだったショーン・ヘンリー氏(Shawn Henry)が率いるサイバーセキュリティ専門会社「クラウドストライク」に調査を依頼した。その結果、ロシア政府と関係のある二つのハッカー集団が別々に、民主党全国委員会のサーバーに侵入していたことが判明した。
Cozy Bearとニックネームがつけられたグループは、ロシア連邦保安庁(FSB)の下で、2015年夏から民主党全国委員会の電子メール及びチャットのやりとりを監視していた。また別のFancy Bearと呼ばれたグループはロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の下で、2016年4月から民主党全国委員会のシステムに侵入し「対立候補調査」(opposition research)のファイルを2個窃取したという。
“opposition research”とは、政治的ライバルのネガティブ情報であり、日本でいういわゆる身体検査情報だ。トランプ候補はそれまで公職に就いた経験がなかったので、ネガティブ情報を新規に入手する価値が高かったのだろう。Cozy Bear によるメール等の覗き見は発覚しなかったが、Fancy Bearによるファイル窃取があだとなり、アラームにひっかかったのである。サイバーセキュリティの世界では、ロシア系のハッカー(集団)を指す隠語として「熊」(Bear)、中国系を指して「パンダ」(Panda)が使われることがある。今回の「熊」系ハッカー集団が民主党全国委員会サーバーに侵入した手口は、職員への電子メールに貼られたリンクまたは添付ファイルがクリックされることでハッキング用の侵入口が開かれるという、いわゆるスピアフィッシング攻撃(spear phishing)の手法が用いられた可能性があると指摘されている。
ワシントン・ポスト紙によるスクープ記事が出た段階では、ロシア政府関係のグループがハッキングした情報に、民主党の有権者リストや政治献金に関するセンシティブな情報等は含まれていないとされており、伝統的なロシア諜報機関による政治情報蒐集の一環に過ぎないと楽観視することもできた。
しかし、その翌日、「GUCCIFER2.0」と名乗る人物が自らのウェブサイトに衝撃的な情報を投稿した。「民主党全国委員会をハッキングしたのは自分だ。窃取したファイルは2個だけではなく、民主党の政治献金リストや、ヒラリー国務長官のPCに入っていた機密文書を含めた大量のファイルをハッキング済みだ。それらはすでにウィキリークス(WikiLeaks)に送ってあり、いずれ公開される」というのだ。
このGUCCIFER2.0がどのような人物なのか、正体は不明だ。刑務所に収監されている伝説のルーマニア人ハッカー「グッチファー」の再来を示唆する「GUCCIFER2.0」というネームを使っているところや、「犯行声明」の末尾に陰謀史観めいた秘密結社「イルミナティ(Illuminati)の打倒」に言及しているあたりがかえって、ロシア機関の隠れ蓑だという印象を強めている感がある。
いずれにせよ、GUCCIFER2.0が掲載した文書には、俳優モーガン・フリーマンや映画監督スティーブン・スピルバーグ等の著名人による1億円を越す政治献金が記載されているリストや、トランプ候補の詳細な身辺調査書といった、いかにもという内容の文書が含まれており、インパクトを与えたのは事実だが、所詮は真偽が不明な怪文書の類と受け止めることも出来た。
しかし、1ヶ月後、事態が進展する。GUCCIFER2.0の言葉通り、ウィキリークス
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