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自分独自の「Google 20%ルール」プロジェクトで得たもの

伊藤 多嘉彦

「サイドプロジェクト」は私に何をもたらしたか

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
伊藤 多嘉彦

伊藤 多嘉彦(いとう・たかひこ)
 1997年3月、東京大学法学部卒。1999年4月、司法修習(51期)を経て裁判官任官。2003年4月、弁護士登録(第二東京弁護士会)、フレッシュフィールズブルックハウスデリンガー法律事務所入所。2007年6月、米国Stanford Law School (LL.M.)修了。欧州三井物産株式会社法務部出向。2008年4月、ニューヨーク州弁護士登録。2012年6月、ビンガム・坂井・三村・相澤法律事務所入所。2015年4月、統合により当事務所。
 私は、主に大企業に対して独禁法のアドバイスを提供することを専門にしているが、ここ数年、ご縁があって取り組んできたいくつかの「サイドプロジェクト」を通じて体験したことが、私自身の考え方や仕事のやり方に大きな影響を与えはじめていると感じているので、今回は振り返りも兼ねて、その一端をご紹介することとする。

1 スタートアップ支援

 私は、2006年から2007年にかけてスタンフォード大学ロースクールに留学をした。当時はYouTubeがGoogleに買収され、最初のiPhoneが発売された頃だ。

 印象に残っているのはビジネススクールの学生と一緒に受講した「ベンチャーキャピタル」という講義だ。ゲスト講師としてやってきた伝説のベンチャーキャピタリストの話を聞いたり、3名のチームが創業者、最初の投資ラウンドの投資家、次の投資ラウンドの投資家に分かれ、教授の用意したシナリオをベースに真剣に仮想のタームシートの交渉をしたりした。日米のベンチャー投資の違いをレポートにまとめようと思って東証マザーズの新規上場会社の有価証券報告書を数年分調べたが、当時、日本にはシリコンバレー流の優先株投資をしている会社はほとんどなかったことはよく覚えている。ベンチャー投資において、優先株投資が一般的となった今とは隔世の感がある。

 シリコンバレーの風に吹かれた私は、いつかはスタートアップ支援をしたいと熱い想いを持ったのだが、留学が終わって日本に戻ると、日々の業務をこなすのに忙殺され、いつしかその気持ちを忘れつつあった。

 転機が訪れたのは、2013年だ。当時所属していた事務所に、留学時代にブログ経由で知り合ったベンチャーキャピタリストのファンド組成等を手伝っている弁護士が移籍してきたのをきっかけに、ベンチャーキャピタリスト主催のイベントに招待された。多くの上場・未上場スタートアップ企業や投資家が集まるイベントは、活気に溢れ、自分より若い社長や幹部が熱く未来を語っていた。当時は、周囲に知り合いはほとんどいなかったが、これをきっかけに、スタートアップ関連のイベントに出ることは自分自身の「Google 20%ルール」(勤務時間の20%は、本来の業務とは別に自分独自のプロジェクトに使ってよいというGoogle社のルール)だという理屈を勝手に作り、多くのイベントに参加するようになった。

 色々なイベントで複数回会う中から少しずつ仲良くお付き合いする方々が増え(趣味のランニングもその一助となった)、彼らが本気で世の中の課題の解決を目指していることに共感し、元気や勇気をもらった。そのようなことを3〜4年続けていたら、色々なご縁から、テクノロジーによって未来を変えていくスタートアップのお手伝いをさせていただく機会も少しずつ増えてきた。

2 難民認定支援

 ベンチャーキャピタリストと再会したころ、同僚弁護士の誘いで、難民支援のプロボノ活動(社会貢献活動)に関与するようになった。その内容は、NPOである難民支援協会と提携して、母国から日本に逃れてきた方が日本で難民認定を受けられるよう難民認定手続を法務面から支援するというものだ。当初の動機は不純で、弁護士会で義務付けられている年間の公益活動時間をカバーできたらという程度だった。

 ただ、法務省入国管理局に提出する本人の陳述書や意見書の作成をするため、本人にインタビューを始めたら、そのような甘い考えは吹き飛んだ。最初の依頼者はアフリカ某国出身のジャーナリストだったが、当該国の状況を調べると、某国には戦前日本の治安維持法のような法律があり、政治的意見を述べたら迫害されるという海外の政府機関や人権団体のレポートが多数ヒットした。彼の実際の話を聞き、言論が弾圧されている国で、危険を冒してまでもあえて声を上げてきた彼の信念と覚悟に身震いした。

 世界をそれなりに知っているつもりでいたのに、実はまだまだ知らないことが多いことに衝撃を受けつつ、母国に強制送還されたら迫害されて命の危険にさらされる方を救わなくてはという責任感と使命感を同僚弁護士と共有し、ベストを尽くした。

 幸いその彼は難民認定を受けることができ、その後も約1年に1件受任している難民認定支援案件は最初の1件を含めて4件連続難民認定を受けることができている。また、難民認定支援をきっかけに他のNPOの方々(社会起業家)及びそれを支援する方々とも少しずつ交流を深めるようになっている。

3 法社会制度ハッカソン

 近年のテクノロジーの進化は速く、今まで無理だと思われていたこともテクノロジーで突破できることが増えてきた。

 ただ、テクノロジーの進化が速過ぎて、法制度、社会制度、人々の意識がついてきていないことが沢山ある。新しいテクノロジーをベースにした製品やサービスは、既存の古い規範とぶつかり、そこでせめぎ合いが起きる。

 そこでどういう判断が求められるのか。新しいテクノロジーによってもたらされるメリット・デメリットを比較して、メリットが上回り、デメリットを最小化あるいはコントロールできるのであれば、本来は、新しいテクノロジーに適合した新しいルールを作ればよいはずだ。

 ところが、多くの日本人は、「既存ルールに反することはダメ。なぜならルールに反しているから。」と考える傾向が多いように感じる。ルールを守ることが大事なのは間違いないが、既存ルールが絶対というところで思考停止していたら、社会がイノベーションの芽を摘み取ってしまうことになりかねない。

 スタートアップ支援をする中で、そんなことも考えるようになっていた2年前のある夏の日、飲み仲間であるIT業界団体の専務理事さんから、同じような問題意識を共有され、IT業界のプログラマーの間で用いられるハッカソンという手法を用いて、法社会制度ハッカソンというイベントを不定期に開催することとなった。参加者は、起業家、プログラマー、学生、会社員、公務員、弁護士等様々で、ドローン、シェアリングエコノミー、宇宙ビジネス、著作権などをテーマに、例えば「〇〇が活躍する10年後の社会のあるべきルール」を週末の1日をかけて議論して発表するというものだ。夢物語みたいな内容を真剣に議論するのだが、自分で考えて禁止の法規範を作るのか、当事者の自主性に任せたインセンティブ型にするのかなど、実現したい未来にふさわしいルールを既存ルールにとらわれずに自分たちで自由に考える経験はとても面白い。

 法社会制度ハッカソンは、「自分たちが実現したい社会にふさわしいルールは自分たちで考えて、自分たちで作れるはずだ」という考えを草の根レベルで広げていく活動として今後も細く長く続けていきたいプロジェクトだ。

4 「サイドプロジェクト」は私に何をもたらしたか

 これらの「サイドプロジェクト」を通じて、自分の視野は当初想像していた以上にかなり広がることとなったが、一番よかったのは「世の中の課題を解決したい」と本気で考えている人たちに多く出会えたことである。実際、スタートアップの創業者やNPOの代表者の熱量にはものすごいものがある。そういう熱量に触れることで、普段の自分ももっと色々できるはずだという勇気をもらえるし、自分自身が「世の中の課題を解決する」ことにもっと貢献したいという気持ちにもなる。

 ちょっとしたきっかけで、「サイドプロジェクト」として始めたこれらの活動は、今やすっかり私の「ライフワーク」となった。