2018年01月09日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
荻野 聡之
1 はじめに
2 ワルキューレ作戦の発動
暗殺計画は、計画者たちの密談で始まる。トム・クルーズ演じるシュタウフェンベルク大佐をはじめとする暗殺の計画者たちは、秘密を約して、総統暗殺の謀議を行う。暗殺計画が発覚したらゲシュタポに逮捕され処刑されることは目に見えているので、計画の実行まで秘密は厳守である。
国内予備軍参謀長であったシュタウフェンベルク大佐は、周到に計画を進め、緊急時の国内予備軍の動員作戦である「ワルキューレ作戦」をクーデタに利用できるように密かに変更を加えていく。すなわち、「ワルキューレ作戦」を総統が死亡したことを契機として発動し、親衛隊が反乱を起こした等の理由で、自らの所属する国内予備軍が軍の全権を掌握する企てである。
何度か暗殺計画の実行が延期された後、シュタウフェンベルク大佐は、1944年7月20日、総統の同席する会議に出席し、時限爆弾を爆発させる。
同日、いよいよ「ワルキューレ作戦」が発動されることになる。
事業再生事件も同じように密行性が極めて重要である。計画が表沙汰になれば直ちに取り付け騒ぎが起こり破産に至ってしまう可能性がある。そのため、一部の役員、経理担当者などのごく少数の幹部にしか情報は開示せず、弁護士との間で密かにかつ綿密に計画を練っていく。計画を練る際には、アクションプランという、行動計画表を作成することが重要である。誰が何時何分にどこで何をするかを具体的に記載したシミュレーションを作成しないと迅速かつ統制のとれた行動ができないからである。大型事件になれば何十人もの行動が記載された巨大なエクセルシートでアクションプランを作成する必要がある。
法的手続申立て当日には、各事業所に「張り弁」と呼ばれる弁護士が待機している。申立ての連絡が本部から伝えられると同時に、「張り弁」は、全事業所で同時に全社員集会を開催して、全社員に対して申立ての事実を伝える。また、裁判所から「保全処分」(より強力な「保全管理命令」の場合もある。)が発令されれば、各事業所から全債権者に対して、一斉に「保全処分」をFAX送信することになる。
いわば事業再生を扱う弁護士にとっての「ワルキューレ作戦」発動の指令は、裁判所による「保全処分」の発動のことである。
映画では、シュタウフェンベルク大佐らによって、伝えられた「総統死亡。親衛隊の反乱。ワルキューレ作戦発動」の指令が、電報の交換所から、支配地域全域に一挙に伝えられていく。重大な連絡事項であるため、交換手の女性が無言で慄きながら、上官に挙手をして伝える様が生々しく描写されている(女性が一人ずつ手を挙げていく様がこの映画で最も印象的なシーンである。)。
同作戦が発動されると、「ワルキューレ作戦」に従い、一斉に国内予備軍が行動を起こし、各地域の親衛隊を逮捕、重要施設を制圧する等して、権限を掌握していく。
この「ワルキューレ作戦」発動から、国内予備軍による権限掌握の流れが、事業再生事件における法的手続申立初日の過程にそっくりなのである。
3 ワルキューレ作戦のほころび
「ワルキューレ作戦」の発動権限があるのは、国内予備軍司令官であるフロム司令官である。正規に「ワルキューレ作戦」を発動させるためには、当然、フロム司令官の承諾が必要となる。
しかし、国内予備軍の参謀長であるシュタウフェンベルク大佐も、同軍の大将であるオルブリヒト大将もクーデタ計画の首謀者であるが、フロム司令官は謀議に加わってはいない。フロム司令官は、協力した場合の見返りとして、新体制での高い地位が約束されており、保身のため、クーデタ計画について見て見ぬふりはしてくれるが、積極的な協力は得られない状況である。
そのような状況の中、シュタウフェンベルク大佐により、「狼の巣」で爆破事件が決行される。
しかし、爆破の報は聞いたものの、「総統が死亡した」との確証が得られないオルブリヒト大将は、国内予備軍の動員に躊躇し、3時間の時を失ってしまう(この決断できないオルブリヒト大将を演じるビル・ナイの顔芸もこの映画のハイライトである。)。また、オルブリヒト大将は、フロム司令官を十分にケアしないまま、時間を経過させてしまったため、フロム司令官は、総統が生き延びていることを知ってしまい、「ワルキューレ作戦」の発動を拒否する。
そのため、「狼の巣」から戻ったシュタウフェンベルク大佐は、やむを得ず、フロム司令官を監禁して、無理やりフロム司令官名義で「ワルキューレ作戦」を発動させることになる。
仮に、オルブリヒト大将が、爆破直後にフロム司令官に「総統死亡」という情報を伝え、早期にフロム司令官を取り込んで、「ワルキューレ作戦」が発動されていれば、状況はかなり変わっていた可能性もある。
いわば、シュタウフェンベルク大佐らは、権限者であるフロム司令官の説得に失敗しているのである。
事業再生事件でも、社長に法的手続の申立てを決定してもらい、「保全処分」の発令に至る過程が、最もセンシティブであり、最も難しい局面である。
この最大の役割を担うのが、ボス(大将)の弁護士である。オーナー系企業が法的手続を申し立てた場合、事業は生き延びたとしても社長の株式は失われ、支配権を喪失することになる。長年手塩にかけて育てた会社を手放すわけであるから、いわば子供を手放すようなものである。特に創業者系の社長は、修羅場をくぐり抜けてきた猛者であり、凡百の弁護士では太刀打ちできない強烈な個性がある人が多い。この社長を説得して、自らの分身である会社の法的手続の申立をさせるのであるから、これは並大抵のことではない。
事件の直前には、社長と我々のボス(大将)である弁護士の一騎打ちが繰り広げられる。無謀だとわかっていながら一縷の望みにすがろうとする社長と、より早く混乱が小さな形での申立てを迫る大将弁護士のいわば実存を賭けた勝負である(事業再生事件を扱う大物と呼ばれる弁護士は極めて個性的な人物が多い。猛者の社長と対等に渡り合ううちに独自の個性を伸ばさざるを得なかったのではないかと思う。)。
我々、兵卒は、作戦が発動されれば一挙に行動に移すことができる準備をしているが、社長がOKを出さなければ、申立もなにも存在しないし、解任されれば、弁護士は、単なる無関係の人である。兵卒は大将の一騎打ちを固唾をのんで見守らざるを得ない。
4 ワルキューレ作戦の崩壊
映画では、「総統は生きている」という情報が流通することによって、クーデタ側が一挙に力を失っていく様が描かれている。
面白いことに、映画では、総統の姿は、爆破以降一度も出てこない。単に「総統は生きている」という電報と電話、ラジオでの声だけである。本当に「総統が生きている」かは、ごく一部の人間にしかわからないのである。
すなわち、どのような情報を伝えるかで勝敗が決してしまうのである。
シュタウフェンベルク大佐は、情報戦の重要性を理解しており、事故直後には、協力者に事故現場である「狼の巣」の通信を遮断させる手はずを取っている(余談ではあるが、シュタウフェンベルク大佐と行動を共にする副官ヘフテン中尉は、元々銀行の企業内弁護士だったようである。)。
しかしながら、オルブリヒト大将の動員がそもそも遅れる等して、クーデタ側は、電報の交換所や放送局などの情報戦の要となる施設を掌握できないままである。そして、最終的には、電報の交換所の将校が、クーデタ側からの情報を遮断し、総統側の情報のみを流す判断をすることで形勢が逆転してしまう。
他方、総統側は、爆破事件後から直ちに重要人物に対して電話で「総統が生きている」という情報を伝達し、また、いち早く放送局でのラジオ放送を行う等、情報戦の重要性を理解して反撃に打って出ている。
映画では、このように最終的にはクーデタ側が総統側に情報戦で敗れて、ワルキューレ作戦が崩壊する過程が描かれている。
事業再生事件でも情報管理が極めて重要になる。申立直後の混乱期は、関係者全員が不安になる。どのようなメッセージをどのように正確に伝えていくか、どうすれば混乱が収まるのか、特に序盤でのメッセージが極めて重要になる。
関係者に適時かつ適切な情報を提供し続けることに事業再生の成否がかかっているのである。
5 終わりに
命を賭けたクーデタ事件と事業再生事件をなぞらえてしまうのは、甚だ失礼なのかもしれない。
事業再生事件においては、関係者は不眠不休で事件に関与するが、それでも会社1社(グループ)の話である。他方で、クーデタとなると、会社どころではなく、国家単位の規模であるうえ、失敗すれば生命の保証は全くない。
また、事業再生事件においては、「経済合理性」(弁済率の向上)という軸となるべき価値観が存在する。他方で、クーデタにおいては、軸となるべき価値観は存在せず、政治信条、宗教、民族等々の比較不能な価値観を天秤に掛け、果ては外国勢力の動向まで見越して、瞬時に情勢を判断して行動を決断していかなければならない。
「経済合理性」という軸がある事業再生事件においてすら、現場で発生する小競り合いに目を奪われて、しばしば、全体の流れを見失いがちになってしまう。いわんや、複数の価値観が乱れ飛び、複雑な情勢を判断しなければいけないクーデタにおいてをや、である。先を読むのが段違いに難しいというより、このような勝負を読み切れるのは、どのような天才なのかと思うほどである。
映画の序盤で、シュタウフェンベルク大佐は、暗殺計画者たちのクーデタ成功後の見通しが甘い、と批判して、一度は計画に加わらない旨を表明する場面がある。政権の打倒は何とか可能でも、その後の混乱を治めるのは至難の業なのである。
まさにそのとおりであり、事業再生事件においても、申立まではなんとか可能でも、その後の見通しを持って、事業を再生しないと意味がなく、むしろ申立によって周囲に迷惑を掛けるばかりである。
事業再生事件は、このように映画のようにドラマチックである(むしろ映画よりドラマチックであることも多い。)。
事業再生事件に関与し始めてから、あまり映画を見なくなってしまったのは、目の前の事件があまりにもドラマチックであるからかもしれない。
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