2018年05月12日
東京霞ヶ関法律事務所
弁護士 遠藤元一
本判決は、多数・多岐にわたる争点を含み、理論的・実務的にも重要な判決であるが、それらの争点のうち、本稿は、主幹事証券会社Yの法的責任という争点に焦点を絞って検討を行う。具体的には、本判決が採用した主幹事証券会社の責任に関する判断枠組みおよび本件事案への具体的なあてはめを紹介し、その判断枠組み自体の合理性・妥当性や、事案のあてはめ場面で問題はないのかを検討する。
主幹事証券会社Yの法的責任という争点に関して本判決の中核となる部分を整序すると、元引受証券会社が負担する注意義務に関する判断枠組み(一般的な規範部分)およびその判断枠組みを本件事案において具体的にあてはめた部分とに要約することができる。
1 本判決は、元引受証券会社について、有価証券届出書等の作成を「指導・助言」する立場と捉えた上で(原判決は「指導・監督」する立場としていた)、元引受証券会社の引受審査に関する注意義務に関し、まず、一般論として、「企業会計及び会計監査の専門家である公認会計士等と同等の作業を重複的に実施させる実益は乏しく、専門家との合理的な役割分担の下で効果的な審査の実現を図る」ことが「金商法の趣旨と解され」るとして、次のような1.~4.から構成される判断枠組みを採用した。
2 次に、本判決は、上記の判断枠組みを本件の事案について次のように具体的にあてはめている。
F社の財務情報は、会計監査人による適正かつ合理的な監査を経て、正確なものと信頼でき、会計監査人の意見を信頼して引受審査を行うことがYはできる。しかし、本件では、㈠❶売上高の異常な増加、❷期末期付近における多額の売上計上、❸売掛金残高の大幅な増加、❹売上債権回転期間の大幅な増加、❺営業キャッシュフローの継続的な赤字、➏生産能力の不足等という、合理的な説明がなければ、監査結果の信頼性に疑義を生じさせるような事情がある。また、㈡F社の実情をよく知る内部者による通報との可能性がある2回の匿名投書には、F社の有価証券届出書の記載内容と著しく抵触することが記載されているので、同投書の内容に触れたことも、公認会計士等による監査結果の信頼性に疑義を生じさせるような事情に該当するので、上記㈠、㈡という公認会計士等による監査結果の信頼性に疑義を生じさせるような事情がある状況に対し、Yは、上記の判断枠組みに従って、監査結果に関する信頼性についての疑義を払拭できるかを確認するため追加調査義務を負担する。
追加調査について見ると、Yは、
これらの一連の追加調査で、会計監査人の報告内容が裏付けられたため、会計監査人の監査結果(無限定適正意見)に関する信頼性についての疑義が払拭されたと判断したことは合理的であり、Yは、一般の引受証券会社を基準として通常要求される注意義務を尽くしたものであって、会計監査人による監査結果(無限定適正意見)を信頼することが許される、と本判決は判断した。このように「相当な注意を用いた」にもかかわらず、有価証券届出書の虚偽記載を知ることができなかったとして、金商法等の損害賠償責任を負わない、と判示した。
では、本判決は妥当だろうか。本判決の一般的規範(判断枠組み)及び事案へのあてはめの両面について問題点、妥当性等を検討する。
まず、判断枠組みに関する検討から始めよう。本判決の枠組みによれば、監査結果に関する信頼性についての疑義がある場合でも、「一般の元引受証券会社を基準として通常要求される注意」を基準として、「監査結果に関する信頼性についての疑義が払拭されるかにつき必要な追加調査を実施」すれば、元引受証券会社としての注意義務を尽くしたことになる。この枠組みならば、元引受証券会社として何をなすべきかについての予測可能性を確保できるという利点がある。引受審査が過度に保守的となると、機動的な有価証券の募集又は売出が阻害される状況になりかねないが、そのような弊害を回避することもできるといえよう。
しかしながら、上記の判断枠組みには、大きく2つの問題点があるように考えられる。
第1は、追加調査の対象が「監査結果に関する信頼性についての疑義が払拭され」たと判断・確認するために必要な事項に限定されている点である。
確かに、元引受証券会社の引受審査において、元引受証券会社に、ルーチンに、企業会計と会計の専門家である公認会計士等の監査と同様の調査を要求することは、本判決が指摘するとおり、適切でない。だとしても、常に、元引受証券会社はもっぱら公認会計士等による監査結果を信頼しなければならないとか、信頼性に疑義がある場合には疑義を払拭できるか否を追加調査し、疑義を払拭できる場合はその監査結果に依拠しなければならないとか、そういう態度が金商法の要請とは考えられない。
金商法は、企業会計・会計監査の専門家である公認会計士等と、国民経済の発展に不可欠なインフラである証券市場への上場の可否を決める際に重要な役割を果たす元引受証券会社等の、複数の相互依存的なゲートキーパーがどのように役割分担することが、有価証券届出書等の虚偽記載を抑止し、財務情報の正確性を担保することに資するかとの観点から損害賠償による違法行為の抑止の規定を設けている。そして、元引受証券会社に対しては、通常は、企業会計及び会計監査の専門家である公認会計士等の監査結果を信頼して、引受審査業務を行えば足りると定めていると捉えられる。公認会計士等と引受審査を行う元引受証券会社とが各々異なる専門性や立場・権限を前提とした上で、それぞれが決められた役割分担を果たせば足りるという相互の役割分担への信頼がその前提となっている。
一方、平時における引受審査ではなく、質・量ともに重大な「粉飾を疑わせる事情」(Red Flag)が存在し、監査結果に関する信頼性について極めて強い疑義が生じている有事の局面では、公認会計士等と引受審査を行う元引受証券会社の役割分担への信頼の前提が崩れさっており、元引受証券会社は、もはや公認会計士等の監査結果を信頼することも、その監査結果に依拠して引受審査を行うことも、許されず、自らあるいは他の公認会計士・監査方針等の専門家を起用して有価証券届出書の正確性を調査する義務を負担するというべきである。
本判決の枠組みが、有事における調査の局面でも平時と同様の調査を行えば足りる(本判決には「特段の事情がある場合を除き、」という留保の文言はない)とするのであれば、会計監査人が精査したことを過大評価して元引受証券会社の審査義務の水準を緩めるに等しく、公認会計士等と元引受証券会社との間で合理的な役割分担の範囲を定めた金商法の趣旨に適うものとはいえないように思われる。
上記のように、公認会計士等の監査とは別個に、元引受証券会社が、有価証券届出書の正確性を直接確認する義務を負う局面では、調査確認の方法として、役員から聴取するだけではなく、実証的な方法である原資料の提供を受け、調査することが当然、求められる。また、このように解することは、元引受証券会社に相当するアンダーライターの責任に関する米国法の考え方とも整合的であろう。
また、本判決のように、追加調査の対象を監査結果に関する信頼性についての疑義を払拭できる事情の有無に限定すると、次のような問題も惹起する。すなわち、クリストファー・チャブリス=ダニエル・シモンズの『錯覚の科学』に登場する「見えないゴリラ」の実験で認知された事項であるが、物事の認知のプロセスにおいて自己の経験や背景などに基づいて情報を選択したり、自己の関心や期待などを反映させる「選択的認知」が働く。元引受証券会社は、信頼性についての疑義を払拭できる事情があるか否かにのみ関心を集中させて調査すれば足りるとなると、元引受証券会社の審査部門の担当者は、監査結果の信頼性についての疑義を強めたり、粉飾の疑義を強めたりする事情については、意図的ではないとしても、見落としたり、過小評価する可能性が生じるとの弊害が懸念される。
第2は、追加調査における注意義務は、常に元引受証券会社として「通常要求される注意」で足りるのかという点である。平時における引受審査ではなく、質・量ともに著しいRed Flagが存在する有事の局面では、元引受証券会社には、粉飾が実際に行われているのではないかとの懐疑心を高め、原判決が説示するような「高度の注意義務」を負担するか、あるいは、Red Flagの切迫性・現実性に応じて懐疑心を発揮した注意義務が措定されることが求められる。
会計プロフェッション側では、平成26年4月1日に始まる事業年度から「監査における不正リスク対応基準」が適用され、「不正による重要な虚偽の表示を示唆する状況」(≒質・量ともに著しいRed Flagがある場合)が存在し、不正リスクが高い可能性のある局面では、監査人は、監査モードを切り替えて、監査証拠の評価や、経営者に対する質問、追加的監査手続の実施等について、それまでの実証主義的手続から反証主義に軸足を置いた監査手続への実施にシフトすることを求められる。同基準の適用は、公認会計士・監査人等に対し、監査実務のあり方に変化をもたらしつつある。
このように公認会計士・監査人の監査実務に変化が生じているのと同様、元引受証券会社の引受審査のあり方も、不正リスクの程度に即応して変化が求められることは当然である。このように考えると、元引受証券会社の注意義務の水準は、常に「通常要求される注意」に固定されるものではなく、Red Flagの程度に応じて、原判決が説示するような「高度の注意義務」のレベルにせり上がり、あるいはRed Flagの切迫性・現実性に応じて懐疑心を発揮した注意義務が措定されると解することがゲートキーパーである元引受証券会社に期待されているというべきであろう。
以上検討したとおり、本判決の判断枠組みには疑問がある。
次に、本事案へのあてはめ部分の妥当性について検討する。本判決の判断枠組みを前提とする場合でも、本判決のあてはめに問題はないだろうか。
Ⅱ2記載の1.~7.は、Yが、日本証券業協会が作成した「財務諸表等に対する引受審査ガイドライン」の「疑わしい事象を発見した際の対応」に掲げられた検討作業に沿って、「監査結果に関する信頼性についての疑義が払拭される」か否かについての具体的な検討が反復しながら進められたように見える。同ガイドラインは、F社の粉飾が耳目を集めた数年後である平成24年5月に、引受審査に係る実務の合理化・効率化を図るために改訂が行われたが、Yの検討プロセスはそれにも適合しているように見える。検討プロセスにフォーカスすると、Yは主幹事・元引受証券会社として、相当な注意を用いて引受審査(追加調査を含む)を行ったと評価することも可能かも知れない。
しかし、相当な注意を用いたか否かの「相当」という規範的概念は、本件に表われていたRed Flagの質的・量的な重大性との相関関係(比較衡量)で、Ⅱ2の1.~7.の追加調査が十分であるのかを吟味して判断することが求められる。
Ⅱ2の1.~7.の追加調査と比較衡量されるRed Flagの質的・量的な重大性を概括的に整理すると、⑴ Ⅱ2❶~➏はそれぞれが粉飾を強く疑わせるRed Flagである。そのようなRed Flagが6つも重なることは殆ど零に近い確率でしか生起しないはずであり、したがって、1つ1つのRed Flagについて「合理的な説明が可能」としても、6つのRed Flagが並行して生起していることを合理的に説明することは極めて困難と考えられる。⑵ 2度にわたる匿名投書に上記Red Flagに関連する手口が記されていたことを勘案してⅡ2❶~➏のRed Flagについて合理的な説明を果たすことは一層困難である。⑶ Ⅱ2❹(売上債権回転期間の大幅な増加)について、半導体メーカーの新規生産ライン向けに最初に納入する装置の販売に係る売掛金の回収は、売上計上から1年半から2年半程度の期間を要するとのF社の説明は、リピート機(増設生産ライン向けに納入する装置)の販売割合が見込まれる時期以降も、売上債権回転期間が長期化の一途を辿ったことからF社の説明は破綻していたこと、Ⅱ2❺(営業キャッシュフローの継続的な赤字)は、平成15年3月期から平成21年3月期まで継続的に赤字であり、同業他社のキャッシュフローと比較してF社だけが一貫して赤字が続いていた。赤字の継続は典型的な粉飾のRed Flagであるのに、合理的な説明ができていない。Ⅱ2➏(生産能力の不足等)について急激に売上高が増加しているにもかかわらず、平成21年3月期における設備投資額がわずか800万円足らずであり、決算書類に記載された売上を得ることが不可能であることは明白であり、Yが元引契約を締結した時点では、当初、「合理的な説明が可能」であったⅡ2❹~➏の合理的な説明が破綻している客観的な状況にあったこと等を指摘することができる。これらの事情は、YがF社との間で元引受契約を締結した時点で存在し、経験則上も、主幹事・元引受証券会社であるYが認識していたと認められる事情である。
YによるⅡ2の1.~7.の追加調査では、このようなRed Flagの質的・量的な重大性の疑義を払拭することが困難であることは自明の理といえ、Yの検討プロセスだけに傾注して、監査結果に関する信頼性の疑義が払拭されたと合理的に判断できるとの本判決の認定はバランスを失している。
以上の検討を踏まえると、本判決は、元引受証券会社の引受審査が十全な役割を果たす上で、課題を残す判断枠組みを提示し、的を射ていない結論を示したと評せざるを得ない。
公正な証券市場の健全な発展のためには、株式新規公開時における会計監査・引受審査・上場審査が果たすべき役割は極めて大きい。本判決が示した新たな判断枠組みをめぐり、今後、理論面での研究が進められ、実務面でも克服すべき課題の探求等が行われることを期待したい。
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