2018年07月09日
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
福田 直邦
筆者は弁護士を始めてもうすぐ15年になるが、その前に12年ほど損害保険会社に勤めていた。その間、営業マンもやったし、新入社員に保険を教える教育係もやった。また、筆者が勤めていた会社が外国損害保険会社の日本支店の総代理店というものを受託していた関係で、総代理業務の取りまとめを筆者が担当していた時期もある。現在、保険商品の許認可は、全ての保険商品に共通する総則と、個々の保険商品ごとの各則という2層構造になっているのだが、かつてはそのようになっておらず、今の形に組み替えたのが、ちょうど筆者が総代理業務を担当していた時期であった。組み替えるに当たっては、その外国損害保険会社の許認可書類を隅から隅まで読んで、構造を理解するという作業が必要であった。
以上のような次第で、筆者は、普通の人よりは相当に保険に詳しいと自負していた。自分自身が保険について「餅屋」だと思っていたのである。ある時までは。
筆者が加入している自動車保険は、保険料の割引を最大にするため、家族が運転中の事故に限って保険金が支払われるという家族限定特約を付け、さらに、一定以上の年齢の者が運転中の事故に限って保険金が支払われるという年齢条件も上限まで引き上げていた。
ある平日の昼間、妻から電話があった。息子が運転免許を取ったから家の車を運転させてよいかと尋ねるものであった。息子の年齢は自動車保険の年齢条件を満たしていないため、そのままでは事故を起こしても保険金が支払われない。保険の餅屋の息子が無保険で自動車事故を起こしたのでは洒落にならないので、自動車保険の変更手続が終わるまでは絶対に運転させないように厳命して電話を切った。
早く運転させてあげたいのは山々であるが、今から書類を送ってもらって、それを記入して返送しなければならないし、保険料が高くなるのは間違いないので、不足額を振り込む必要もあり、こういった手続を終えるのに数日から1週間くらいはかかるな、と思いつつ、保険代理店に電話を掛けた。ひととおり事情を話した後、いくつか質問に答えると、追加保険料の金額を告げられ、それは登録済の預金口座から後日引き落とすので、たった今から運転しても大丈夫とのことであった。
便利になったものだと感心し、やや拍子抜けしつつも、妻に電話を掛けて運転解禁を伝えた。この間、15分程度のことであった。
運転お預けの期間が数日から15分に短縮されたのだから、本来喜んでいいはずなのだが、あまり嬉しくない。むしろ、どことなく悔しい。自分の知識が時代遅れであること、つまり、自分はもはや餅屋ではないことを突き付けられたからであろう。
悔しかったので、本当にこれでいいのか、検証してみることにした。
保険契約の成立時には、即時に保険料の全額を領収しなければならない。これが「保険料即収の原則」と呼ばれる原則であり、筆者の時代には、新人損保マンが必ず教わる基本のひとつであった。保険契約が成立すると、保険会社は事故が起これば保険金を支払う義務を負うことになるが、保険料の後払いを容認すると、事故に遭った者、換言すれば、これから保険金の支払いを受けたい者は保険料を支払うであろうが、事故に遭わない者は保険料を支払わないかもしれない。しかし、それを許容したのでは、多数の者が少しずつ掛金を負担することで事故に遭った少数の者が多くの給付を受けることができるという保険の基本コンセプトが維持できない。
もっとも、筆者の時代から、保険料の分割払いは存在しており、即時・全額の要請は既に絶対ではなかった。ただし、筆者の時代の分割払いでは、2回目以降は口座振替によることが多く、その場合の最初の振替日は2か月目か、タイミングによっては3か月目の25日前後となり、2回目以降の後払いは容認されていたが、1回目は即時に現金または振込みで支払わなければならなかった。その後時代は進み、分割払いの1回目の支払いや、分割払いでない一時払いの場合も口座振替でよいこととされ、即時・全額の要請は大いに緩和された。ここまでは知っていたのだが、契約内容を途中で変更する場合の追加保険料の支払いも口座振替による後払いでよくなっていたというのは新たな発見であった。とは言え、新規契約を結ぶ場合の保険料が後払いでよいのなら、追加保険料についてのみ後払いを禁じる理由はないし、むしろ、当初の保険料については支払済であるという実績もあるのだから、与信の観点からの問題も小さい。
こんな風に考えてみた結果、筆者のケースでの追加保険料が後日の口座振替でよいことについては、比較的簡単に合点がいった。
問題はこちらである。保険契約の内容を変更するのに紙の1枚も出さなくていいというのは、少々衝撃的ですらあった。
保険の話を離れるが、弁護士としての仕事の中で、「契約書に書いていないから、相手方に請求できる余地はありませんよね」であるとか、逆に「契約書に書いていないから、相手方から請求される可能性はありませんよね」といった質問を受けることがある。実は、答えはどちらも「否」である。「口約束も約束のうち」と言われるが、契約とは当事者間の意思の合致、つまり約束のことなので、口頭の合意でも契約は成立する。したがって、上記の質問の例においても、口頭の合意があれば、請求できるし、請求される。では、なぜ契約書を作成するのかというと、合意内容を書面に記録することで明確化するとともに、後日の「言った、言わない」を未然に防止するためである。
話を元に戻そう。法的にみれば、保険契約だって口頭で変更できることは分かっている。しかし、「言った、言わない」の心配はないのだろうか。
筆者のケースでは、電話のやりとりだけで変更手続きは完了したのだが、その後、しかもわずか数日で変更内容が印字された書類が郵送されてきた。それを見て意図した内容と違うことに気づけば、是正されるはずであり、書面主義は完全に放棄されているわけではない。郵送されてきた書類を見ないことも想定できるが、それに備えるには通話内容を録音しておくことくらいしか考えられない。ただ、現在の技術では通話の録音は極めて簡単であるので、技術的なハードルは低い。さらには、そもそも筆者は電話なんか掛けていないという「成りすまし」への対処も考えてみた。これは書面主義の下でも起こりうることで、新しい問題ではないが、書面の場合は筆跡の比較や諸々の事情を総合して成りすましの有無を判定することになるのであろうが、通話の録音があれば似たようなことは可能であろうし、通話内容だけではなく、発信番号なども同時に記録されているであろうから、対処不能の事態は避けられそうである。
こう考えてくると、個人的な感触としては、とんでもない事態になってしまっていることはないが、少々モヤっとしたものが残るといったところである。
さて、そうは読めないかもしれないが、筆者は、電話一本で契約内容が変更できる手続きに全面的に賛成である。少しモヤっとするのは述べたとおりであるが、間違いなく言えることは、筆者の場合、わずか15分程度で変更手続きを終えることができたわけで、筆者が過ごした時代に比べて確実に便利になったということである。この便利さは捨てがたい。
手続きが簡単で便利な方がいいというのは、別に最近になって流行り始めた価値観というわけではない。にもかかわらず、この10年程の間に変化が実現したということは、コンピュータ技術などの進歩が一定の貢献をしているとしても、顧客利便性を高めたいという意気込みと、それを実現するために書面主義にとらわれないという発想の転換が大きく作用していることは間違いない。書面主義を緩和することについては不安視する意見もあったのではないかと推察する。しかし、最終的には実現に踏み切ったわけで、その決意には敬意を表したい。
餅屋というのは、いつもどおりの美味しい餅をつくことで満足せず、より美味しい餅をつくにはどうするかを日々考えるものなのだろう。たしかに、そうでなくては食べる側としては物足りない。筆者が経験したのは保険契約の変更手続きであったが、きっと筆者の知らないところで多くの進化が起きているに違いない。保険の世界で餅屋になるのは諦めて、美味しい餅を食べることに専念することとしよう。
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