2018年08月01日
9月半ばごろ、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の情報交換サイト「グローバル アイハブ」を通じて、ICIJの記者、ウィル・フィッツギボン(31)が、アップルビーへの直接取材の同行を世界各国の記者に呼びかけた。日本企業の中には、バミューダに拠点を構える会社もある。私は、タックスヘイブンにかかわる取材の経験が長い編集委員の奥山俊宏記者と相談し、取材に加わることに決めた。取材班には、調査報道で知られる米新興メディアVICE(バイス)、オーストラリアの公共放送ABC、日本のNHKの記者やカメラマンら七つのメディアの総勢20人が参加することになった。アップルビーへのアポなし訪問の決行日は10月10日に決まり、バミューダ入りする記者たちは、暗号化されたメールを使って、取材の日程などを打ち合わせた。
そのうち、一部のメディアが、バミューダの元閣僚らにコンタクトをとっていることが分かった。記者としては、現地での「撮れ高」が重要だし、事前準備に気がはやるのもよく分かる。一方で、私たちの行動が当局に事前に漏れれば、入域を拒否される可能性もないとは言い切れない。フィッツギボンは、現地の人とそれ以上の接触を控えることや、すでにアポイントのとれたインタビューは各社で共有することなどを提案した。
10月8日夜遅く、私はバミューダに到着した。アップルビーへの直接取材は翌々日に迫っていた。
同じころ、フィッツギボンが滞在するホテルの部屋では、取材に参加する記者たちの最初の打ち合わせが開かれているはずだった。
ICIJは9月以降、アップルビーにパラダイス文書に関する質問状を3回送り、取材を申し入れたが、アップルビーからは具体的な回答は得られていなかった。ICIJを代表して、アップルビーに質問状を送ったのは、フィッツギボンだった。朝日新聞からは、日中に到着した野上英文記者が打ち合わせに参加した。あとで、野上記者から全員が無事に入域し、参加できたと聞き、胸をなでおろした。パナマ文書の報道前の取材で、パナマへの入国を拒否されたメディアがあったと聞いていたためだ。
翌9日午後8時、もう一度、同じ部屋で打ち合わせが行われた。フィッツギボンのホテルは、街のはずれの小さなゲストハウスだった。部屋の入り口の前には、ABCのクルーがいた。リポーターのマリアン・ウィルキンソンらに軽く自己紹介した。 薄暗い室内では、笑顔のフィッツギボンが迎えてくれた。
「君がみちこか。会えてうれしいよ」
フィッツギボンが右手を差し出す。
「私もよ、ウィル」と答えて、握手をした。
フィッツギボンとは、暗号メールを使ったやりとりだけで、会うのは初めてだ。なのに、もう「同志」のような気がする。部屋の中には、ほぼ全員がそろっていた。みんなその日の取材の成果などを話している。
少しすると、VICEのプロデューサー、エリック・ウェインリブが、ペンと紙を手に私に近寄ってきた。何か言っているが、早口でよく聞き取れない。文書を読むと、私の映像を放映する許諾が欲しいということのようだ。全員にサインを求めているらしい。肖像権に関わるからだろうが、訴訟社会で知られる米国のメディアの慎重なやり方に驚いた。
私はこの日、長旅の疲れもとれないまま、町なかを歩きまわり、疲れ切っていた。シャワーを浴びたあとで、化粧もしていない。少し躊躇したが、ウェインリブのやや威圧的な口調に負けて、サインした。
司会役のフィッツギボンが端の椅子に腰掛けると、ウェインリブは私に隣に座るよう促した。記者やリポーター約10人が半円になり、それを各社のカメラが取り囲んだ。地理的に近いせいか、米国のメディアが多いが、デンマークのテレビ局もいた。
フィッツギボンは
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