2018年09月02日
オウム事件について取材らしい取材をしたのは、朝日新聞夕刊の連載企画「人脈記」の検察篇でオウム事件を取り上げることになり、2005年秋から06年初めにかけて捜査にかかわった検察関係者の話を聞いたのが最初だ。捜査総括の覚書はその時に入手した。その一部は、人脈記の記事で報告したが、その後、別の経済事件や調査報道の取材に追われ、覚書については記事化する機会を失い、倉庫でほこりをかぶっていた。
ブリタニカ国際大百科事典(ウエブ)によると、カルトとは「祭儀,儀式,崇拝を意味することばが転じて,特定の人物・事物を熱狂的に崇拝,礼賛すること。または,そうした行動をとる集団や教団」を指す。同事典は、松本サリン事件、地下鉄サリン事件を「カルトが否定的にとらえられるきっかけとなった事件」と記している。
検察幹部がオウム事件捜査を総括した覚書は、1990年代の日本の治安当局が対オウム事件ではまったく機能しなかったことを記している。これは、国家の危機管理にとってゆゆしき事態だ。
しかし、その治安当局の機能不全の原因を、政府や国会など公的機関が調査して解明し、その結果を国民に示したうえで再発防止策を講じた、という話を寡聞にして聞いたことがない。
それ以上に、オウムというカルト教団に有意の若者が吸引され、犯罪へと一線を越えていった原因の解明と再発防止について、政府、国会など公的機関が具体的にかかわった形跡がない。これは、社会の慢性的病理ともつながる、ある意味で治安当局の機能不全よりさらに、重大な問題だ。政府や国会は、それにも正面から取り組んでいない。
こういうことでは、同じことがまた起きてしまうのではないか、と考えざるを得ないのだ。
オウム真理教事件に直面した警察や検察がこうした役割を果たせたかを見てみると、2.については成功の部類といっていいだろう。警察のネットワークとローラー作戦で、地下鉄サリン事件発生2か月半でほぼ重要容疑者の身柄を確保し、結果として地下鉄サリン事件以後、死者の出るテロは起きなかった。
たしかに、坂本弁護士事件の初動捜査にミスがあった。松本サリン事件の被害者が「犯人視」報道される原因となる軽率な捜索はあった。しかし、こと地下鉄サリン事件後の対応は一定の評価をしていいと思う。
検察、警察の捜査手続きは、覚書が記しているように、平時の手続きに比べると、グレーゾーンに踏み込んだ面はあったが、緊急避難的要素があり、ある程度、やむを得なかったのではないか。犯罪をでっち上げるような、大きな逸脱も冒してはいない。
検察と警察は、苦労して関係者の供述を引き出し、カルトの中心人物である松本を含めて訴追した。松本が公判にきちんと向き合わず、一審の死刑判決後、弁護側が控訴趣意書を提出せず、公判打ち切りで刑が確定するハプニングがあったが、多くの国民にとって、死刑制度の存否はさておき、松本を最も重い刑に処すとの結論に違和感はなかったと思われる。
逮捕したオウム信者の半数は不起訴となった。結果として予防拘束と指摘されても仕方がないが、化学兵器や爆弾を持って潜伏する教団幹部の身柄は、どんな手段を使っても、一刻も早く押さえてほしい、と当時、多くの国民は考えていたのではないか。私自身、当時はそういう気持ちだったことを告白する。
捜査は人間と人間が作った組織が行う。完全無欠の人も組織もこの世には存在しない。それゆえ、捜査や公判など刑事手続きに逸脱がなかったかどうかを検証し、捜査結果と手続きのバランスの是非について議論し、それを国民が共有することが、このシステムを健全に保つために必要不可欠となる。
問題は、1.と3.だ。
1.については、警察の公安部門と公安調査庁が主に担ってきた。覚書は、両機関がともにオウム真理教について「ノーマーク」だった、と酷評した。覚書の筆者は、刑事畑が長く、公安警備警察に対し辛口な表現をする傾向があるが、それを割り引いても、化学兵器まで使って無差別テロを行った集団をそれまで見過ごしてきた警察の警備公安部門と公安調査庁の監視活動は明らかに失敗だ。税金の無駄遣いと批判されても仕方がないだろう。
もっとも、どこの国、どこの組織でも同じような失敗はする。
FBIミネアポリス支部は2001年8月中旬、同時多発テログループの「20番目の男」とされるムサウイ服役囚を移民法違反で逮捕しながら、所持していたパソコンの検証をできなかった。航空学校で不審な言動があったため、「航空機を破壊しようとした容疑」や「米国内の構造物を破壊して人間を傷つける危険を発生させるなどテロ容疑」で令状を取ろうとしたが、9月11日に実際にテロが発生するまでFBI本部の決裁が下りなかった。
一方、CIAは同年8月6日、大統領への情勢報告で「アルカイダがハイジャックにより1993年の貿易センター爆破犯の釈放を要求しようとしている」と指摘したが、大統領やホワイトハウス幹部はFBIとの情報共有を図る、などの対応をしなかった。
CIAやFBIは国家の安全保障にかかわる機密情報を扱う。そういう組織の性質上、一般の行政官庁に比べ、適切に業務を行っているのかどうか、議会やマスコミなど外部からの監視が働きにくい。日本の公安警察や公安調査庁も同じ構造だ。外部チェックの働きにくい組織は、緊張感を失う。それは、いつの時代、どの国でも同じだ。それが、大きな「危機」を見過ごしてしまうことにつながる。
日本には、政府や国会がオウム真理教の一連の事件を調査した公的報告書は存在しない。検察、警察が身内である警察の捜査の失敗や、警備公安警察や公安調査庁の監視活動の失敗を自ら進んで明らかにすることはまずない。その点で、本音で身内の「失敗」を指摘した覚書は貴重といえる。
米国と日本の違いは、同時多発テロのような国家の安全にかかわる重大事件や政官業がからむ構造的な腐敗事件が起きた時の、国家としての対応だ。
米国では、大きな事件が起きると、議会が特別調査委員会などで徹底した調査を行い、問題点を詳細に分析し、政府に再発防止の対応策を迫る。同時多発テロで米議会上下両院の情報特別委は合同秘密聴聞会を開き、テロを未然に防げなかった政府を追及した。米政府はCIAとFBIの情報共有や各機関内での情報分析や判断が不適切だったことを認め、FBI、CIA、軍の諜報機関などが入手した情報の有効活用のため国土安全保障省を新設した。
米上院はそれに先立つオウム事件発生時にも、議会スタッフを東京、モスクワなどに派遣して調査報告書をまとめ、それをもとにオウム真理教のニューヨーク支部代表らを呼び、同教団のテロ活動などをテーマとする公聴会を開いている。
政府=行政は、化学兵器だけでなく核兵器、生物兵器を含めたNBCテロに対する対応についてのマニュアルを作成し、それを動かすための関係省庁会議を立ち上げた。96年には、首相官邸に危機管理センターを設置。98年には内閣危機管理監をおき「防衛」以外の様々な危機にまず対応する役割を与えた。
一見、テロに対する危機管理が強化されたように見えるが、オウム捜査班の一員でその後、法務省で危機管理政策を担当した検事は「その場しのぎの安易な『改革』にすぎなかった。テロ対策の要点である『未然防止』がその時点では制度として組み込まれていなかった」と指摘する。
重大事件や政官業腐敗の解明と制裁を検察など捜査機関に丸投げし、そこで国民の「ガス抜き」をし、政府の失策については、小手先の弥縫策で体裁を整え、国民の記憶からフェードアウトさせる。それが日本という国の習い性だった。オウム事件に対する政府と国会の対応はその典型といってよい。
地下鉄サリン事件の実行犯らを取り調べた検事によると、オウム側が、一番警戒していたのは公安当局による盗聴だった、という。それゆえ、オウム幹部は、電話では暗号しかしゃべらなかった。
オウム側が公安当局の盗聴を警戒したのは、自分たちがさんざん、「教団の敵」と判断したジャーナリストらを盗聴していたからだ。彼らは、一定の技術があれば、簡単に盗
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