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抗がん剤「臨床トライアル」の真の目的は何だったのか?

金沢大学病院「同意なき臨床試験」(5)

出河 雅彦

 より有効な病気の治療法を開発するために人の体を使って行う臨床研究は被験者の保護とデータの信頼性確保が欠かせないが、日本では近年明らかになったディオバン事件にみられるように、臨床研究をめぐる不祥事が絶えない。この連載第1部では、生命倫理研究者の橳島次郎氏と朝日新聞の出河雅彦記者の対談を通して、「医療と研究をきちんと区別する」という、現代の医学倫理の根本が日本に根づいていないことを、不祥事続発の背景事情として指摘した。第2部では、患者の人権軽視が問題になった具体的な事例を検証する。愛知県がんセンターの「治験プロトコールに違反した抗がん剤投与」に続くその第2弾として取り上げるのは、金沢大学病院で行われた抗がん剤の臨床試験で説明を受けないまま被験者にされた女性の遺族が国に損害賠償を求めた「同意なき臨床試験訴訟」である。この訴訟では、愛知県がんセンター抗がん剤治験訴訟のように新薬の治験ではなく、薬事承認を受け、保険診療が認められていた薬を用いた臨床試験におけるインフォームド・コンセントのあり方が問われた。第5回では、抗がん剤投与で減る白血球を増加させる薬のデータ収集こそが臨床試験の主たる目的であったという原告側の新たな主張をめぐる攻防を取り上げる。

北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコール。「目的」の中に「あわせて高用量の化学療法におけるG-CSFの臨床的有用性についても検討する」と書かれている。
 金沢大学病院での抗がん剤を用いた比較臨床試験をめぐる損害賠償請求訴訟は、提訴から約2年後、原告側が前面に押し出した追加の主張によって新たな展開をみせることになる。その主張とは、比較臨床試験の実施計画書(プロトコール)に記された「高用量の化学療法におけるG-CSFの臨床的有用性についても検討する」ことが臨床試験の主たる目的であり、卵巣がん患者をCAP療法とCP療法に分けて行う比較臨床試験と、G-CSFの市販後調査は「不可分一体」のものである、というものだった。

 すでに述べてきた通り、G-CSFは抗がん剤の副作用で減少した白血球を増やすための薬剤であり、CAP療法とCP療法の比較臨床試験で、当初、症例登録の事務局を担当していた中外製薬の製品だった。

 原告側はG-CSFの市販後調査の計画書を証拠として提出した。計画書の標題は、G-CSFの商品名を用いた「ノイトロジン 特別調査Ⅱ(卵巣癌)」で、表紙の下の部分には、「HOKURIKU GYNECOLOGIC ONCOLOGY GROUP(HGOG)」と記されていた。この記載は、CP療法とCAP療法の比較臨床試験を発案、実施したのと同じく北陸GOGが実施したことを示している。

 計画書の「目的」には「Intensify CAP/CP療法におけるノイトロジン注の投与タイミングの検討を、好中球数回復効果及びQOL(発熱等)によって検討すると共に、ノイトロジン注併用により本化学療法が完遂出来るか否かについて、その際の奏効率及び安全性と併せて検討する」と書かれていた。目標症例数は60例となっていた。

 目的欄の冒頭の「Intensify」は「増強する」という意味で、比較臨床試験のプロトコールに記載されていた「High dose」(高用量)に相当する。ノイトロジン市販後調査の計画書と、CAP療法とCP療法の比較臨床試験のプロトコールを比べると、対象とする患者の選択基準(卵巣がんの進行度合い、骨髄や肝臓、腎臓の機能など)や、CAP療法とCP療法の投与方法についての記載内容はほぼ同じだった。

北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコール。「全例にG-CSFによるレスキューを行う」「特に2コース目より予防的にG-CSFを投与する」と書かれていた。
 すでに述べたように、CAP療法とCP療法の比較臨床試験のプロトコールの「目的」には「高用量の化学療法におけるG-CSFの臨床的有用性についても検討する」と記されており、投与方法の記載には「全例にG-CSFによるレスキューを行う」「特に2コース目より予防的にG-CSFを投与する」というくだりがあった。

 原告側は2001年4月2日付の準備書面で、CAP療法とCP療法の比較臨床試験と、ノイトロジン(※筆者注=G-CSFの商品名)の市販後調査は「一体をなすもの」であり、「様々な症例において、高用量の抗がん剤を投与し、どの位白血球が減少するのかについてのデータを収集するとともに、さらにG-CSFの効果に関するデータを収集することが主眼にある」と指摘した。その根拠の一つとして挙げたのが、原告側が「無断で臨床試験の被験者にされた」と主張するKさんら、複数の患者が比較臨床試験の選択基準を満たしていないことだった。

 KさんがCP療法を受ける直前の検査で、腎機能が選択基準を満たしていなかったことは前述したが、それ以外に、少なくとも5人の患者が、腎臓や肝臓の検査データが基準外だったにもかかわらず比較臨床試験の対象になっていたことが、被告側が証拠として提出した47枚の症例登録票の記載内容からわかった。被告側は基準値を外れた患者を登録したことについて2001年2月8日付の準備書面で、「基準値に近似していたため、後日基準値に達する可能性があるので、登録対象とされた」「各担当医及び北陸GOGの事務局は、検査値が日々変動する性質のものであったことから、症例登録票の送付時には基準値を満たしていなくても、基準値に近似している場合は、後日基準値を満たす可能性が高いという科学的認識に立って、登録症例を増やすという方針に基づき、登録対象としていた」と釈明した。

 これに対し原告側は2001年4月2日付準備書面で、次のように指摘した。

  1.  Kを含め本件比較臨床試験が基準値に適合しない患者をも被験者として実施した真の理由は、中外製薬から委嘱されたノイトロジン特別調査Ⅱにおける目標症例数60という数を達成するため、実験症例を単に数多く集めることを主眼としていたからに他ならず、そのために基準値に適合しない症例であっても基準値を無視して被験者としたものである。この点、被告自ら、基準値に適合していなくても、「登録症例を増やすという方針に基づき、登録対象としていたものである」ことを認めている。
  2.  高用量の抗がん剤を投与し、どの位白血球が減少するかについてのデータを収集するとともに、G-CSFに関するデータを収集することが主眼であったため、Kや他の登録患者のように、腎・肝機能障害があり、本来試験の除外基準に該当し、試験の対象としてはならない患者をも意図的に試験の対象としたと考えられる。高用量の抗がん剤投与により、白血球がどの程度減少するか、またG-CSFによりどの程度白血球が回復するのかのデータを収集する目的があったと考えられる。このような実体を有する本件試験が臨床試験に当たることは明らかであり、危険な試験であるから、意図的に説明や同意を避けたものと思える。

 原告側は2001年6月4日付の準備書面で、重複癌で腎機能障害が認められたKさんは、本件臨床試験の除外基準に該当するから、症例登録するはずがないという被告側の主張に対し、「本件比較臨床試験(GOG)は、CP療法とCAP療法の比較にとどまらず、G-CSFの臨床的有用性をも検討するために行われていたものであり、G-CSFの効果に関するデータを様々な症例(除外基準に該当する場合も含め)において収集することをも目的として行われていた。それ故、除外基準に該当することは、何らGOG登録をしていないことを推認させるものではない」と反論した。そして、①本件比較臨床試験は、高用量の抗がん剤投与により白血球がどの程度減少するか、減少した白血球を増加させる薬剤であるG-CSFの効果に関するデータを収集するという、一連の不可分一体の目的をもって行われる全体として一つの臨床試験の一部をなすものである、②このような臨床試験を行うためには、被験者とされる患者の同意が必要不可欠であることは論をまたないのに、Kはその同意なしに無断で、このように全体として一つの臨床試験の被験者とされ、自己決定権を中核とする人格権を侵害された、と主張した。

 原告側が「不可分一体」と主張した二つの研究(試験)で患者への説明と同意取得手続きはどのように定められていたのか。

 まず、CAP療法とCP療法の比較臨床試験のプロトコールでは、対象症例の選択基準の一つとして「患者本人またはその代理人に同意を得られた症例」と記されていた。一方、ノイトロジン特別調査Ⅱの計画書では、対象症例の選択基準の一つとして「患者本人またはその代理人に説明の上、同意を得られた症例」と記されていただけでなく、「被験者に対する説明と同意」という項目が別に設けられていた。その項目には、次のようにアンダーラインを付して、患者本人の文書による同意が必要であることが明記されていたのである。

 試験担当医師は、本試験の実施に先立ち原則として患者本人に対し、下記の事項について十分に説明をした上で、自由意志による文書での同意を得る(未成年者の場合は法定代理人)。本人に説明が出来ない場合には、家族(法定代理人)に良く説明し、文書による同意を得る。同意は説明した医師と説明を受けた患者の署名捺印、同意を得た日付を記載した文書として保存する。また、代理人による同意の場合は、同意に関する記録とともに同意者と患者本人との関係についても記録を残す。

 1) 本臨床試験の目的及び方法

 2) 予期される効果および副作用

 3) 他の治療法の有無およびその比較

 4) 患者が試験の参加に同意しない場合であっても不利益を受けないこと

 5) 患者が試験の参加に同意した場合であっても随時これを撤回できること

 6) その他患者の人権保護に関し必要な事項

 7) その他

 原告側の「不可分一体論」に被告側はどう応じたのか。

 被告側は、原告側が「比較臨床試験」と主張している、CAP療法とCP療法を患者に割り付けて行った研究について、保険で投与量や投与方法が定められている医薬品を使用してその定めの範囲内で適応疾患や個別の患者の治療における最適な投与量や投与方法を検討するための比較調査であり、患者への説明や同意取得が必要な臨床試験ではない、との主張を重ねてきたが、ノイトロジン特別調査についても同様に、「臨床試験ではない」と主張した。2001年7月13日付準備書面に記されたその主張の概要は次の通りである。

  1.  ノイトロジンは1991年10月に薬価収載された保険承認薬であり、製造承認を受けた時点で、既に、卵巣がんにおけるがん化学療法による好中球減少症に有効であるとされ、Kの入院当時において広く医療の現場で使用されていた医薬品である。
  2.  北陸GOG関連施設病院では、卵巣がん患者に対してCP療法あるいはCAP療法を実施したことによる副作用である白血球数低下症例について、白血球数を増加させる効果があるノイトロジンを保険適応内で投与する特別調査Ⅱを実施していた。
  3.  1994年4月1日から1997年3月31日まで適用されていた「医薬品の市販後調査の実施に関する基準」(改定GPMSP)によれば、特別調査Ⅱとは「当該医薬品に関する承認前に実施された試験又は承認後に実施された調査、試験により得られた情報の評価・分析結果に基づき検出された、当該医薬品の有効性、安全性及び品質に関する情報について、その情報を検証するため、又は、必要な追加の情報を入手するために実施する調査又は試験」のうち、「再審査のために行われる」もの以外の「調査又は試験」を指す。「医薬品の有効性、安全性及び品質に関する情報について、その情報を検証するため、又は、必要な追加の情報を入手するために実施する調査又は試験」とは具体的に、①小児、高齢者、妊産婦、腎障害、肝障害を有する患者等、特殊な患者での有効性、安全性を目的とするもの、②長期使用時の有効性、安全性の確認を目的とするもの、③市販後に確認又は検証すべき事項について、承認時に付された条件に基づき実施される調査・試験を目的とするもの――である。これら特別調査の定義において、「調査」と「試験」という言葉が使い分けられているが、「調査」は日常の範囲内の治療(保険適応内の治療)について検証することをいい、「試験」とは、臨床試験であり、日常の診療範囲を超えるもの(盲検性を有する試験、あるいは侵襲性を伴う特別な検査を行うもの)をいう。
  4.  北陸GOG関連施設病院で行っていたノイトロジン特別調査Ⅱは、あくまでも日常の範囲内の治療(保険適応内の治療)について検証していたのであるから、原告らのいう臨床試験には当たらず、調査対象患者の同意は、文書・口頭のいずれにおいても必要はない。

 前述したように、ノイトロジン特別調査Ⅱの計画書には、試験の目的と方法、予期される効果と副作用などについて、試験実施に先立って患者本人に十分に説明をして、自由意志による文書での同意を得ることが明記されていた。この点について被告側は同じ準備書面で、「特別調査Ⅱの対象となる患

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