金沢大学病院「同意なき臨床試験」(10)
2019年02月04日
井上教授の尋問に先立ち、新たな動きがあった。
井上教授の尋問の1週間前に書証として提出された文書は、井上教授と、Kさんの主治医(以下、A医師と言う)の署名、捺印のある、「医学部附属病院長」宛ての「受託研究中止届」だった。「平成9年4月11日」という日付の文書には次のように記されていた。
平成8年5月13日付けで決定した受託研究は、次のとおり中止しましたので届出します。
記
- 研究題目 ノイトロジン注 北陸卵巣腫瘍研究
- 委託者 中外製薬株式会社
- 研究期間 平成8年6月1日~平成9年3月31日
- 中止した年月日 平成9年3月31日
- 中止した理由 本年4月の薬事法改定内容に準じて本調査を見直したところ、継続することが難しいと判断される為
一審金沢地裁は判決で、原告側の「不可分一体論」を認めず、北陸GOGクリニカルトライアルの目的は北陸地域において高用量化学療法を定着させることにあったとする国の言い分を採用し、「結果的に、同時に行われた本件ノイトロジン調査の被調査者を確保する機能を果たしたとはいえ、これが目的だったとまで認めることはできない」との判断を示した。この点については自らの主張を認められた被告側がなぜ、一審で証拠提出しなかった「受託研究中止届」を控訴審になって出してきたのか。なぜ一審で主張しなかったことを控訴審になって初めて主張したのか。原告側はその意図を訝るとともに、文書の信用性に疑問を抱いた。その理由は、次に挙げるようにいくつかあった。
井上教授は証人尋問に先立って、2004年8月17日付の陳述書を提出した。その中で、北陸GOGクリニカルトライアルは、文書による被験者からの同意取得が1997年の厚生省令(GCP)で義務づけられた新薬治験に該当しないからGCPの適用を受けず、説明と同意取得は不要との主張を繰り返すとともに、一審判決後の2003年7月30日に厚生労働省が施行した「臨床研究に関する倫理指針」に照らしても、インフォームド・コンセントは必要なかった、と主張した。井上教授の論理はこうだった。
指針には、「診断及び治療のみを目的とした医療行為」でインフォームド・コンセントが不要な「臨床研究」が存在するとは明記されていないが、井上教授の主張は、そのような臨床研究があることを前提に展開されている。
井上教授に対する証人尋問では、はじめに国立大学法人金沢大学の代理人が主尋問を行った。代理人は北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコール(乙第12号証)を示しながら、その作成経緯やCAP療法とCP療法の比較について尋ねた。そのやり取りを尋問調書から引用してみよう(元号表記の後の西暦は筆者が書き加えた)。
――これが本件で問題となっているクリニカルトライアルのプロトコール、治療指針でございますけれども、証人はこのプロトコールを作成されましたか。
井上教授 ええ、そうです。私がつくりました。
――この乙第12号証の内容で、プロトコールとして治療内容が決められていますが、この治療内容のプロトコールというのは、これをやってみて何か初めてわかるといった試験的な性格というのが、何かあったんですか。
井上教授 この治療法は、標準的治療で保険適応もありますので、これによって何か全く予想もしない新しいことが見つかるということは、まずないと思います。
――ここで比較対照になっているCAP療法、CP療法自体は、どちらも平成10年(1998年)当時に標準的治療法ですか。
井上教授 そうです。どちらも世界的に使われている基本的なゴールドスタンダードと言われている治療法です。
(略)
――このようにCP、CAP療法に差がないということは、平成9年(1997年)から平成10年(1998年)にかけての当時、婦人科腫瘍の専門医の間では、よく知られていた事実でしたか。
井上教授 それは当然のことです。みんな学生の教科書にもそういうふうに書いてありますし、我々腫瘍を専門にやっている人間は、当然のこととして理解しております。
(略)
――CAP療法、CP療法、一応薬剤が違うので、あえて差があるというふうに言われれば、どこら辺にあるんでしょうか。
井上教授 最初は、ヨーロッパでCAP療法というのが開発されて、それが一般に使われていたんですけれども、アドリアマイシンというのは心毒性といいますか、長期使うと心不全を起こす症例がちょくちょく見つかってきまして、アメリカを中心にCP療法がだんだん使われるようになってきて、その当時は優劣つけがたい治療法として両方使われていたと。したがって、強いて言えばアドリアマイシンが入っているのは心臓に負担がかかるので、使いにくいと。それから、アドリアマイシンというのは脱毛がひどいので、コスメティックに、毛がまた生えてくるんですけども、一時的にお坊さんのようになってしまうので、嫌がる医者もいるし、患者さんもそれを見て嫌がる人もいます。だから、ほとんど副作用としては個人差の方が強いので、これを使ったから必ずこれが出るというふうな、明確にはなかなか言えないと思います。
――そうすると、あえて言うならば、心臓にもし疾患が疑われるような場合であれば、CAPは避けると。
井上教授 そうです。
(略)
――本件クリニカルトライアルの目的については、日本では適正量が投与されていないという指摘もあったということもあって、北陸地方の医師に適正量を指導することにあったということなんですけれども、そういうところの関係で、北陸GOGという団体をつくられていますが、その趣旨はどういうことなんですか。
井上教授 これは、私がこちらに大阪から金沢に来て、ちょうど10年ほど前に来たんですけれども、そうしますと今言われたように、病院によって抗癌剤の量が、それは全国的にそうなんですけども、少ないと。病院によっては非常に治療成績が悪いということで、そういう状況の中で金沢大学、北陸に来たわけですけども、そうしますと北陸の各病院というのは、小さな病院が多いんです。一人で、例えば能登半島なんか七つほど病院ありますけども、お産もしながら癌のこともしないと、産科、婦人科学というのは、二つの学問領域をカバーしていますので、全然別の病気なんですけど、お産とかいうものをしながら、癌の末期の患者さんとかするということで、やはりなかなか十分量の抗癌剤を投与するのができないような状況にあったということと、それからお互いにコミュニケーションがとれていないということで、こういう治療をやればいいですよとかいう、そういう情報がなかなか末端にまでしみ通っていなかったということで、我々はこっち来たときに北陸GOGという医者の勉強会を北陸3県の先生方に呼びかけて集まってもらって、そういう組織をつくった。その目的は、北陸の婦人科腫瘍に関してのレベルアップを図って、適正な治療をすることによって社会貢献をすると、医者としての癌に対する治療成績を上げるということを目的に、その会というのは毎年2回勉強会を行って…………。
――そのような会をつくって、勉強会などを行っていると、そういうことですね。
井上教授 そうです。
――本件クリニカルトライアルでは、そういう卵巣癌の適正な治療、投薬量を指導するために行ったということですけれども、これをクリニカルトライアルという形で、比較研究の形にされたのはなぜなんですか。
井上教授 だから、私が10年前にこちらへ来ましたときには、お互いにどういう先生がおられるかよくわからないわけで、そういうふだんのコミュニケーションもできていないわけで、そういったときに上から、上というか関連病院、大学というピラミッドの中での教室で、こういう治療法をしなさいというふうに末端の方に、末端というか地方の病院に指示を出すようなやり方をするということが非常に問題があるわけで、お互いにコミュニケーションを図りながらその会に参加していただくということで、お互いに情報交換していろんな病気の内容を検討し合うということで、そういう形にした方が、その会に参加して自分もその一翼を担っているんだというふうな印象を先生方に持っていただくという、そういうことでそういうプロトコールのようなものをつくったわけです。
(略)
――本件クリニカルトライアルのような形で投薬量を指導するということは、当時日本国内で、ほかでも行われていたんですか、CAP、CPを比較するというような形で。
井上教授 比較するということを目的にはしていなかったと思うんですけども、そういった効果は、外国では全く同じ効果であるというのはわかっているんですけど、日本人では差が出るのではないかとか、それから副作用に少し差が出るんじゃないかとか、ほかの新しい治療薬と比較する基準の標準的治療としてCAP、CPを使ったりはしておりました。
――標準的治療で確立しているとしても、その中でもよりよい治療を目指すという意味で、データをとるという意味はあったと、そういうことですか。
井上教授 そういうことです。
――そして、そのような研究は、日本のほかのところでも行われていたんですね。
井上教授 そういうことです。
インフォームド・コンセントについては次のようなやり取りがあった。井上教授の証言からは、治療と研究を峻別する必要があるという認識はうかがえない。
――インフォームドコンセントの関係を聞きますけれども、CAPをするにしろCPをするにしろ、化学療法を患者さんに始めるに当たっては、その説明と同意というのは必要だと考えますか。
井上教授 もちろんそうです。
――それは、平成10年(1998年)当時も当然そうだったと。
井上教授 そうです。
――その上で、さらにCAPにするかCPにするかということを患者さんに説明するというようなことを証人がこれまでにやったことはおありですか。
井上教授 いや、それは言ったことはないです。といいますのは、CAPとかCPというのが治療法がありますよと、ヨーロッパで今ちょっと説明しましたようなことがあって、今世界的に同等に使われておりますよと、それでCAPをどっちかというと私はよく使っていたんですけども、CAPを使いますけど、いいですかということで説明して同意を得ていると、そういうのが現実だと思いますし、よその病院の先生方は具体的にどのようにされているのか知りませんけども、CAPの説明だけされて投与されているところもあるでしょうし、CPの説明だけされて、自分がいいと思ってそうされているところもあると思います。
――CAPもCPも、例えば心臓に疾患の疑いがあれば別としてCAPを避ける、CPにするとしても、そういう心臓の問題とかが特にない場合、どっちかにお医者さん最終的に決めて投与しなきゃいけないと思うんですが、決め手というか、どういう基準で決めているものなんでしょうか。
井上教授 どちらも同じ、アドリアマイシンというのが入るか入らないかだけなんで、ほとんど治療法としては効果も一緒というのはたくさんの論文が出ていますので、あとは医者の好み、説明するに当たっての。特別に心臓が悪いとか、強度な貧血があるとかいうような場合には、CPをしているところもあったかもしれませんけど、大きな要因は先輩医師に教えてもらったものを、一番なれたものを使うというのがやっぱり医者として原則ですので、なれた治療法をやっていると、その要因が一番、その量に関してもそうですけど、多いんじゃないかと思います。
――そうすると、お医者さんもどちらかというと経験を重視して選ぶということになりますということになるんですね。
井上教授 そうです。
――そうすると、患者さんから見て自分が決めて、どっちを選んだらどう自分の生活なり副作用に差があるというものは、ちょっとはっきりしないということなんでしょうか。
井上教授 うん、はっきりしない。医者自身もどちらがいいか、1人の患者さん目の前にして、CAPがいいのかCPがいいのか決められないような状態がそれはほとんどの場合なんで、それを患者さんにどちらか決めてくださいというのは非常に酷だし、専門家としての責任を放棄していると思います。
――このクリニカルトライアルに登録することについて同意が必要だったかどうかというようなことも問題になっているんですけれども、平成10年(1998年)1月当時ぐらいのころに、治療的には標準な治療をする、ただその治療結果を集積するという場合に、その結果を集積して研究の材料にしますよということを患者さんに同意をとるということは、医学界でなされていましたか。
井上教授 最初プロトコールつくった時点は平成6年(1994年)ですから、患者さんの治療をしたのは平成9年(1997年)の終わりから平成10年(1998年)ですけども、その当時は大学病院で治療した人を後でまとめて発表しますよということを一々患者さんに、毎回毎回その当時は同意をとっている、文書で同意をとるというようなことは大学全体としてもしていなかったし、全国的にやっているような病院はなかったんじゃないかと思います。
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