金沢大学病院「同意なき臨床試験」(13)
2019年04月17日
上告を棄却する理由について第2小法廷は、「上告理由は、理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するもの」と述べた。民事事件で最高裁への上告が許される場合について、民事訴訟法312条1項は「判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするとき」、同条2項は「判決に理由を付けなかったり、理由に食い違いがあったりするとき」などに限定しているが、それらに当たらない、という判断だった。また、民事訴訟法318条1項により、最高裁が上告を受理できるのは、判決に最高裁判例と相反する判断があるなど、法令の解釈に関する重要な事項を含むと判断される場合に限定されており、第2小法廷は名古屋高裁金沢支部判決について、これに該当しないとの見解を示した。
提訴から7年に及んだ訴訟は終結し、名古屋高裁金沢支部が下した判決が確定した。
原告側で訴訟に関わってきた打出喜義医師は、金沢地裁判決から大幅に後退し、プロトコールを作成して行う臨床試験であるにもかかわらず、被験者に対する説明と同意取得について「医師の裁量」を認めた控訴審判決が確定したことが医療現場にもたらす悪影響を心配した。
上告理由書が指摘したような数々の矛盾がある高裁判決がなぜ出され、確定したのか。打出医師は、その理由について、国を被告とした国家賠償請求訴訟であったためではないかと考えた。臨床試験の責任者であった井上正樹教授でなく国を被告としたのは、ずさんな臨床試験の実態を知れば、大学の幹部や国の担当者は誤りを認め、すぐに訴訟は終わるのではないか、という期待があったからだった。しかし、被告である国は誤りを認めるどころか、自らの正当性を主張して徹底して争った。
裁判所は被告が提出した証拠の矛盾点をきちんと吟味せず、それを頭から信じ込んで判決を書いたのではないか。国を被告とした裁判を、国の機関である裁判所が裁くことには限界があるのではないか――。打出医師は、国賠訴訟の難しさを実感した。北陸GOGクリニカルトライアルの症例登録票を自分がコピーしていなかったら、患者の症例登録自体を否定する被告側の言い分が通り、原告側は完全敗訴していたに違いないと思った。
国賠訴訟の難しさとともに、打出医師が強い印象を受けたことがあった。それは、「打出医師の医局人事への不満が訴訟の背景にあった」とする「私怨説」を唱えた被告側が、自分の人格を否定するような主張を繰り広げたことだった。
被告側が2001年7月13日付で金沢地裁に提出した準備書面では、打出医師を非難する井上教授や、患者(以下、Kさんと言う)の主治医(以下、A医師と言う)の陳述書などが引用され、「以上のように、打出医師には、本件病院内の人事に対する不満が鬱積しており、そのことが発露となって、(略)本件訴訟に発展していったものと考えられる」と記されていた。
被告側は控訴審の最終準備書面(2004年11月1日付)でも打出医師への非難を繰り返したため、原告側は同じく控訴審の最終準備書面(同年11月9日付)で次のように厳しく批判した。
控訴人は、平成16年11月1日付最終準備書面第5において、「打出医師の欺瞞に満ちた説明」によって、「Kに控訴人病院産婦人科に対する要らざる不信感を抱かせて苦痛を与え、本来受けていれば2、3年の延命が十分期待できた放射線治療を受けさせず、Kの死期を早めた」等と主張する。
Kが本件クリニカルトライアルの被験者とされていたことを打出医師から説明を受けて知ったことにより、自らに無断で本件クリニカルトライアルの被験者とされたことについて、Kが精神的苦痛を被ったことは極自然なことであって、当然のことであるにもかかわらず、控訴人が上記のとおり主張することは、打出医師の名誉を毀損するとともに、尊厳ある個人として扱われなかったというKの受けた屈辱感を真摯に受け止めないばかりか、Kがかかる屈辱感や憤りを控訴人病院に対して抱いたこと自体が誤りであるかのように主張するものであって、K及びKの遺志を継いで本件訴訟を提起した被控訴人ら遺族を侮辱するものであり、控訴人である国の人権感覚の欠如を如実に物語っている。
被控訴人としては、Kが本件クリニカルトライアルの被験者とされたか否か、また、本件クリニカルトライアルの被験者とするについて患者に対するインフォームドコンセントを尽くすべきであったか否かという単純明瞭な争点を巡る本件訴訟において、当該争点につき医学的ないし法律的な知見をもって主張ないし反論することは訴訟における当事者主義の下での対立構造においてやむを得ないとしても、控訴人の上記主張の如く、争点とは関係なしに人の名誉を貶めるような主張をすることは控えるべきであると考える。
控訴人は、原審(※筆者注=金沢地裁での一審)においても打出医師に対する人格攻撃を殊更展開しようとしていたが(原審では、裁判長の訴訟指揮により被告国側の準備書面のうち打出医師に対する人格攻撃を展開した部分について「不陳述扱い」〈※筆者注=主張そのものがなかったものとして扱われること〉とされたこともあった。)控訴審における最終準備書面において、またしてもかかる人格攻撃を展開するに至り、被控訴人としては、控訴人である国の人権感覚の欠如を痛感しつつも、控訴人に対しては人権感覚の涵養と公正な訴訟追行を期待するとともに、裁判所に対しては本件訴訟における関係人の名誉が害されることのないよう適切な訴訟指揮を期待する次第である。
被告側準備書面のうち不陳述扱いになった箇所とその理由を確認しようと、筆者は金沢地裁、法務省、国立大学法人金沢大学に対し、この訴訟の口頭弁論調書を開示するよう、行政文書や法人文書の開示請求を行ったが、いずれの組織にも文書が保管されていなかった。また、金沢地裁の裁判長として一審を担当した井戸謙一弁護士にも尋ねたが、15年以上前の出来事であり、「記憶にない」とのことだった。
ただ、金沢大学病院における臨床試験をめぐる訴訟で被告側の準備書面の一部が不陳述扱いとなったことについては、筆者の同僚である奥山俊宏記者らが2008年に出版した『ルポ 内部告発』(朝日新聞出版)ですでに紹介している。奥山記者は2006年4月6日、最高裁の閲覧室で、口頭弁論調書を含む訴訟記録を閲覧し、どの部分が不陳述となったかに特に着目して記録に目を通した。筆者が見せてもらった奥山記者の取材ノートの記載や奥山記者の記憶によると、一部が不陳述扱いとされたのは被告側第7準備書面(2001年7月13日付)で、「第1」~「第5」の五項目から成る全文24ページの同準備書面のうち、打出医師がKさんの転院や転院先での治療に深く関わり、不適切な治療のためにKさんの死期を早めたなどと主張した「第4」項目と、打出医師の人事に対する不満の鬱積が訴訟の背景にあると主張した「第5」項目が不陳述とされたことがわかった。このうち「第5」項目の「本件訴訟の背景」には、被告側が提出した、河崎一夫病院長、井上教授、A医師の3人の陳述書の一部が次のように引用されていた。
「打出医師との面談において、私が受けた強い印象は、井上教授に対して、打出医師が強く反目しているように感じたことである。この長年にわたり鬱積した反目がKさんの医療と結びついて、本件訴訟に至ったように私には感じられる。」(河崎病院長陳述書)
「主治医と患者との単なる感情的なトラブルなのか、人権擁護に名を借りた私怨を晴らすための手段なのか、大学付属病院内での人事に対する不満の発露なのか、それとも全く思いも寄らない別のところに目的があるのか、全く理解に苦しんでいます。」(井上教授陳述書)
「打出医師は、6年前に井上教授が大阪大学から教授として赴任されるまでは、前任の教授のもとで長らく医局長を務めてきました。ところが、井上教授が教授となられてからは人事が一新されましたので、打出医師は、この人事に大きな不満を持ち、同人事や新体制にことあるごとに反目して、病院内や関連病院の同門の医師などに井上教授を中傷するような言動を繰り返し、私をはじめ教室員一同打出医師の言動には手を焼いていたのが現状でした。今回の裁判も、当初から、打出医師が絡んでいるのではないかと皆で思っておりましたが、陳述書が提出されて、やっぱりというのが正直な感想でした。」(A医師陳述書)
望んで「内部告発者」となったわけではない打出医師にとって、自分への人格攻撃は予想外のことだった。金沢地裁判決が出てから約1年後、月刊誌「情況」(2004年4月号)に掲載された打出医師のインタビュー記事(聞き手・仲正昌樹氏)などによれば、打出医師の実家は石川県内の「田舎町」にあり、漆器の卸売業を営んでいた。父親は家業のかたわら、33年間、保守系議員をしており、「組織を守り組織に楯突くなど滅相もないという環境」で育てられた。医師を志したのは、妹を産んだ母親の「産後の肥立ちが悪く」、半年後に亡くなったことが影響していた。当時、打出医師は3歳になったばかりで、生母の顔を覚えていない。
1972年に金沢大学医学部に入学した後も、名残のあった学生運動に参加することもなく、卒業と同時に産婦人科に入局した。「お産で母親や赤ちゃんが亡くなることがないようにしたい」というのが産婦人科を選んだ動機だった。大学院修了後、福井医科大学(現・福井大学医学部)で1年間、基礎医学の研究をした以外は産婦人科の臨床一筋の生活を送ってきた。大学の先輩で、大阪大学に行っていた井上氏が1994年に産婦人科教室の新任教授として着任する直前には、当時の病院長から呼ばれ、新しい教授のサポート役をするよう指示を受けた。そのため、井上教授の患者や看護師への接し方に問題があると思った時には敢えて苦言を呈することもあった。打出医師は井上教授就任後に講師に昇格させてもらったこともあり、被告側が法廷で持ち出した「人事上の不満」などはなかったという。訴訟で原告側を支援したのは、説明もせずに患者を臨床試験の被験者にするような医療現場のモラルハザードが一掃され、医療が信頼を取り戻すことを願っての行動だった。
ここで話を控訴審判決時に戻す。
すでに述べたように、原告側は2005年4月の名古屋高裁金沢支部の判決を不服として最高裁に上告したが、被告側である国立大学法人金沢大学(2004年4月の国立大学法人化に伴い、被告の立場を国から承継)は上告しなかった。
打出医師がつけていた当時の記録によると、控訴審判決の約1カ月後の5月16日、当時の医学部長から「井上教授はみんなICをとってあると言っているので調べてみたら」と言われた。それを機に、患者のカルテの閲覧を大学病院の医療情報部長宛てに文書で申請し、病院のカルテ庫に保管されていた、北陸GOGクリニカルトライアルの被験者20人以上のカルテを調べた。すると、カルテのほか手術説明書や化学療法説明書はそろっていたが、北陸GOGクリニカルトライアルやノイトロジンの市販後調査に関する説明文書や同意書は見つからなかった。
カルテの中にはノイトロジン投与に関する指示が記載されているものもあり、そこには、北陸GOGクリニカルトライアルに登録されているので、白血球数が低下して基準値を満たせばノイトロジンを投与し、抗がん剤投与の2クール目以降からは「ルチーンに5日目より」ノイトロジンを投与する、という指示が記されていることを確認した。
訴訟で原告側は、北陸GOGクリニカルトライアルの被験者全例に対し、抗がん剤投与によって減少する好中球(白血球)を増やす効果のあるノイトロジンを投与することになっているのは、ノイトロジンの添付文書に記載のない「予防投与」の効果を確かめるものであり、ノイトロジン特別調査は北陸GOGクリニカルトライアルと一体の一つの臨床試験である、と主張してきた。
北陸GOGクリニカルトライアルが行われた当時のノイトロジンの添付文書では、使用法を記載する欄に投与開始時点について「がん化学療法により好中球数1000/m㎥未満で発熱(原則として38℃以上)あるいは好中球数500/m㎥未満が観察された時点から」または「がん化学療法により好中球数1000/m㎥未満で発熱(原則として38℃以上)あるいは好中球数500/m㎥未満が観察され、引き続き同一のがん化学療法を施行する症例に対しては、次回以降のがん化学療法施行時には好中球数1000m㎥未満が観察された時点から」と書かれていた。
これに対し、ノイトロジン特別調査のプロトコールでは、「1コース目」については「規定された化学療法終了後、好中球数1000/m㎥(白血球数2000/m㎥)未満に減少した時点」となっていたが、「2コース目以降」については投与時点が「規定された化学療法終了後、day7より」と記載されており、好中球数に関係なく、抗がん剤の投与開始から一定期間後にノイトロジンを投与することが定められていた。
原告側の弁護団や打出医師がノイトロジンの添付文書に記載されていない「予防投与」の効果を確かめる目的があったのではないかと考えた理由は、ノイトロジン特別調査のプロトコールにおける投与時点に関する規定だけではなかった。同じプロトコールには、調査の目的として「Intensify CAP/CP療法におけるノイトロジン注の投与タイミングの検討を、好中球数回復効果及びQOL(発熱等)によって検討」と記され、さらに、CAP療法とCP療法の比較試験である北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコールには「全例にG-CSF(※筆者注=ノイトロジンの一般名)によるレスキューを行う」「特に2コース目より予防的にG-CSFを投与する」と記されていたからである。
被告側はKさんにノイトロジンが投与されていないことなどを理由に原告側の主張を否定し、好中球が減少した場合にのみノイトロジンを投与していた、と反論してきた。好中球の検査をしないままでのノイトロジン投与を指示する内容がカルテに記載されていたことを確認した打出医師は、原告側の主張の正しさを裏付けるものだ、と思った。
打出医師はカルテを調べた結果を医学部長と大学院医学系研究科の科長に報告した。控訴審判決から2カ月後の2005年6月9日、金沢大学は「医学部附属病院インフォームド・コンセント調査委員会」を設置し、2日後に発表した。6月12日付朝日新聞石川版の記事は、「委員会では、訴訟となった臨床試験の問題点がどこにあったかの調査や、同病院での臨床試験や研究にかかわるICがきちんと行われているか、同病院のIC指針が適正かを調査する」と報じた。
その約1カ月後の7月26日、打出医師は大学の学長への「上申書」を内容証明郵便で送った。それは調査のあり方についての要望を伝えるもので、打出医師は、①説明と同意取得がなかった場合の患者、家族への誠意ある対応、②地裁、高裁ともに信用性を認めなかった被告側の「症例登録票」が証拠提出された経緯の開示――の2点を求めた。
金沢大学が調査結果を発表したのは翌2006年1月17日だった。Kさん以外に北陸GOGクリニカルトライアルの被験者とされた23人について、カルテ調査の結果、いずれも医師側から患者に対する十分な説明と同意取得があったことを示す文書は存在しなかった。臨床試験の責任者だった井上教授は学長から厳重注意を受けた。しかし、打出医師が学長に要望した「症例登録票」に関する調査は行われなかった。翌日の朝日新聞石川版の記事はこの発表を次のように伝えた。
金沢大学は17日、インフォームド・コンセント(IC、十分な説明と同意)のあり方が問われた金大医学部付属病院のがん治療訴訟で、名古屋高裁金沢支部が病院側の説明義務違反を認めたことなどを受けて設置したIC調査委員会の調査結果を公表し、訴訟となったがん治療で他に23人の同意を得ていなかったことを明らかにした。今月中にも全員(遺族を含む)に経緯の説明と、謝罪をする。金沢大学のインフォームド・コンセント調査委員会の調査結果を報じる2006年1月18日の朝日新聞石川版の記事調査委によると、23人については、患者に対する十分な説明及び同意が得られたことを示す文書は存在しなかった。治療の責任者だった教授に対し、同日付で学長から文書で厳重注意をした。
今後の防止策については、臨床試験に関するすべての事案について、学内に3つある審査(倫理)委員会のいずれかでICが適正になされているかどうかを調査する、と説明した。
一方で、調査委は今回、裁判で大学側が「(原告側)女性に対し臨床試験を行った事実はない」として、女性の名前が入っていない虚偽の資料(症例登録票)を提出したとされる点については調査しなかった。また、委員長を除く4人の委員の名前を「公正な調査をするため」を理由に最後まで明らかにしなかった。
これに対し、原告側代理人の敦賀彰一弁護士と浅野雅幸弁護士は「大学側がIC不足を認めたことは評価するが、余りにも遅すぎた。また、虚偽文書についての調査がないなど、非常に適正を欠いたもので不満だ」と話している。
ほかの新聞も、23人の被験者に対する説明文書、同意文書が存在しないことやKさんの症例登録票に関する調査を行わなかったことを報じたが、北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコールについて調査委員会がどう評価したかについては報道していない。金沢大学が記者会見で配布したとみられる「金沢大学医学部附属病院におけるインフォームド・コンセントについて」というタイトルの「平成18年1月17日」付文書(計3ページ)の「2.調査事項及び調査結果」に記されている項目は以下の3点だった。
このうち1.には、「医学部附属病院において実施された計23例の事例について、カルテに基づき調査の結果、いずれの調査事例に関しても、医師側から本件についての患者に対する十分な説明及び同意が得られたことを示す文書は存在しなかった」とだけ記載されていた。しかし、インフォームド・コンセント調査委員会は、北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコールの妥当性についても評価を行っており、その内容は、「金沢大学医学部附属病院インフォームド・コンセント調査委員会報告書」(「平成18年1月」付)に記されていた。
筆者の法人文書開示請求に対して金沢大学が2017年10月に開示した同報告書(全12ページ)の「はじめに」には、「金沢大学は、大学側の賠償責任を認めた控訴審判決に対して、平成17年4月27日に上告しないことを決定し、同時に、控訴審判決の判断を厳粛に受け止め、医学部附属病院における臨床上の試験及び研究に係るインフォームド・コンセントの徹底を図り、病院の診療及び医学系研究科・医学部の研究の質の向上と信頼性の確保に資するため、インフォームド・コンセント調査委員会を設置した」と記されている。北陸GOGクリニカルトライアルのプロトコールについては、2ページにわたって詳しい検討結果が記され、調査委員会の指摘事項がコメントとして記載されている。報告書がまとまった当時、Kさんの遺族が控訴審判決を不服として最高裁に上告中だったが、委員会のコメントには、Kさんの遺族が起こした訴訟において国や、国立大学法人金沢大学が法廷で展開した主張を否定する内容も含まれている。調査委員会のコメントには重要な内容が含まれているので、報告書の該当箇所全文を以下に引用する(元号表記の後の西暦と下線部は筆者による)。
Ⅲ 北陸GOGクリニカルトライアル卵巣癌(Ⅰ)
1.概要
本事例におけるプロトコルの概要を以下に示す。
概要とともに記載内容が「臨床試験」として必要な内容を含んでいるか、また、方法の妥当性など指摘事項を記載する。
(1) 本事例実施の形態
多施設共同による無作為比較試験である。
※通常の医療(患者状態に合わせた医師の裁量での治療)の結果を収集して評価するものではなく、「計画された前向き臨床試験」(無作為抽出比較試験)である。金沢大学のインフォームド・コンセント調査委員会の調査報告書。北陸GOGクリニカルトライアルについて「計画された前向き臨床試験」と記している。(2) 本事例実施の内容
卵巣癌のⅡ期以上で術後の残存腫瘍のサイズにより2群に層別化して、①高用量のCAP(Cisplatin 90mg,THP-adriamycin 45mg,Endoxan 500mg)療法とCP(Cisplatin 90mg,Endoxan 500mg)療法の有効性の評価、②高用量化学療法における(白血球減少に対する)G-CSFの有効性を評価、の2つの試験を連動して行う形となっている。
※高用量でのCAPとCP療法の効果の評価が基本となっている。高用量が有効である前提で化学療法の組合せの優劣を評価するデザインである。
※①の試験が②の試験の前提となっていると考えられる。
(3) 対象症例の選択基準
通常の「臨床試験」における基準と同様の記載方式となっている。
(4) 治療方法の割付・登録
術後の残存腫瘍のサイズにより2群に層別化することとしている。各治療方法への割付はFAXまたは電話による連絡を行うこととなっている。
※症例の無作為割付の方法(ランダム化の方法)についての具体的な記載はない。
(5) 治療方法およびスケジュール
高用量のCAP療法(1日目にCisplatin 90mgとTHP-adriamycin 45mg投与、5日目にEndoxan 500mg)とCP療法(1日目にCisplatin 90mgと5日目にEndoxan 500mg)は、いずれも初回手術後2週間以内に開始し、投与の周期は原則として4週間ごととなっている。4回目の投与後に4ヶ月の休薬期間をおき、更に4回の合計
8回の投与スケジュールである。G-CSFは、2μg/kgを投与となっている。
投与のスケジュールおよび減量の基準観察項目についての記載は、一般的な「臨床試験」の形式に準じている。
※G-CSFは、全例に行うこととなっており、白血球減少の出現の有無を問わない投与と考えられるが、この場合にG-CSFの有効性が適切に検討できるかが疑問である。
(6) 観察・検査項目
治療前後の画像診断を「必須」としている。
※医療上の必要性は考慮されていないため、「必須」項目を通常の保険診療で行うことは適切とはいえないのではないか。
(7) 目標症例
完成例として60例となっている。
※「完成例」の意味が不明であるが、「脱落症例とならなかったもの」の意味か。
(8) 登録集積期間
本事例実施の対象症例を登録する期間は、平成7年(1995年)9月9日から平成9年(1997年)8月末の2年間となっている。この期間中に前記(7)の目標症例を集積する計画としている。
(9) 本人または(法定)代理人の同意および拒否
患者本人またはその代理人の同意を得ることを明記しているが、同意取得に関する手順(患者への説明内容・説明の方法、同意取得の方法・様式)および同意拒否・取消しに関する記載はない。
患者への説明書はない。
※「臨床試験」では、プロトコルに必須の記載項目である。(10) 経費の負担
本事例実施における経費負担に関しての記載はない。
※上記、(6)のコメントと同様で、「無作為抽出比較試験」としているが、通常の保険診療を前提としており適切ではない。
(11) 症例登録票
一般的な形式と考えられるが、組織診断名の記載欄はない。
※診断名欄で、卵巣癌につきYES、NOの選択式となっている。この点では、卵巣癌以外も症例登録票が作成され得ることが考えられる。
※印は調査委員会のコメント
調査委員会のコメ
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