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虚偽公文書作成、偽証などの疑いで上司の教授を刑事告発するも不起訴に

金沢大学病院「同意なき臨床試験」(14)

出河 雅彦

 より有効な病気の治療法を開発するために人の体を使って行う臨床研究は被験者の保護とデータの信頼性確保が欠かせないが、日本では近年明らかになったディオバン事件にみられるように、臨床研究をめぐる不祥事が絶えない。この連載第1部では、生命倫理研究者の橳島次郎氏と朝日新聞の出河雅彦記者の対談を通して、「医療と研究をきちんと区別する」という、現代の医学倫理の根本が日本に根づいていないことを、不祥事続発の背景事情として指摘した。第2部では、患者の人権軽視が問題になった具体的な事例を検証する。愛知県がんセンターの「治験プロトコールに違反した抗がん剤投与」に続くその第2弾として取り上げるのは、金沢大学病院で行われた抗がん剤の臨床試験で説明を受けないまま被験者にされた女性の遺族が国に損害賠償を求めた「同意なき臨床試験訴訟」である。この訴訟では、新薬の治験ではなく、薬事承認を受け、保険診療が認められていた薬を用いた臨床試験におけるインフォームド・コンセント(informed consent、IC)のあり方が問われた。第14回では、原告側を支援した医師が、公益通報者保護法の施行を受け、上司である教授らを臨床試験の症例登録票の虚偽記載や法廷での偽証を理由に刑事告発した経緯とその結末を取り上げる。

厚生労働省内の記者クラブで記者会見する打出喜義医師=2006年4月26日午後4時43分、東京・霞が関で
 最高裁の上告棄却の決定で控訴審判決が確定した後、訴訟で原告側を支援してきた打出喜義医師は一つの行動を起こした。それは、北陸GOGクリニカルトライアルの責任者であった井上正樹教授と、患者(以下、Kさんと言う)の主治医で同トライアルの事務局を担当していた医師(以下、A医師という。当時・講師)を、内容虚偽の症例登録票を作成したり、法廷で虚偽の証言をしたりした行為は偽証などの罪に当たる、として金沢地検に刑事告発したのである。

 これまで繰り返し述べてきたように、Kさんの遺族が起こした民事訴訟では、原告、被告双方が内容の異なる症例登録票を証拠として提出し、「Kさんが北陸GOGクリニカルトライアルに症例登録されていたか否か」をめぐって真っ向から対立した。金沢地裁、名古屋高裁金沢支部とも、被告側が「症例登録していない」証拠として提出した症例登録票の信用性に疑問を投げかけ、Kさんは北陸GOGクリニカルトライアルに登録されていたことを認めた。

 2005年4月の控訴審判決に不服だった原告側が最高裁に上告した後、打出医師は、臨床試験における医師の裁量権と患者の自己決定権はどちらが優位であるべきかを審理してほしいと願いながら、最高裁の審理がどうなるかについて原告側代理人の敦賀彰一弁護士と話し合う機会があった。その中で、「証拠の偽造や法廷での偽証を放置しておくわけにはいかない」という気持ちが強くなっていった。やがて告発を決意し、そのための準備を進めた。控訴審判決から1年後の2006年4月1日に公益通報者保護法が施行されたことにも背中を押され、最高裁の上告棄却の決定からわずか5日後の同年4月26日、井上教授に対する告訴・告発状とA医師に対する告発状をそれぞれ金沢地検に提出した。金沢地裁の判決が出た後に共著『「人体実験」と患者の人格権』を出した仲正昌樹氏も打出医師と一緒に告発人に名を連ねた。

厚生労働省内の記者クラブで記者会見する打出喜義医師(右)と敦賀彰一弁護士=2006年4月26日午後4時40分、東京・霞が関で
 井上教授への告訴・告発状では、①原告側を支援していた打出医師に北陸GOGクリニカルトライアルをめぐる訴訟への関与を中止しないなら退職せよとの脅迫を繰り返すなどした行為が強要未遂罪に当たる、②法廷で証人として宣誓のうえ、Kさんが症例登録されていないと自己の記憶に反した虚偽の陳述をした行為が偽証罪に当たる、と主張した。

 また、A医師への告発状では、①Kさんが北陸GOGクリニカルトライアルの症例選択条件を満たしていないとする症例登録票を作成した行為が虚偽公文書作成罪、同行使罪に当たる、②法廷で証人として宣誓のうえ、症例登録票が真正のものであるなどと自己の記憶に反した虚偽の陳述をした行為が偽証罪に当たる、と主張した。

 告発状につけた陳述書で打出医師は、Kさんの遺族が提訴した経緯や、自身が原告側で訴訟に関わった理由、訴訟の継続中に上司である井上教授から受けたさまざまな嫌がらせなどに触れた。大学の調査委員会がKさん以外の23人の患者へのインフォームド・コンセントについて調べたものの、民事訴訟で問題になった症例登録票については調査を行わなかったことについて、「症例登録票は薬剤臨床試験の公正を担保するものであり、その改ざん・偽造はカルテの改ざん・偽造と同様、重大な問題であるにもかかわらず、これを調査しようとしないインフォームド・コンセント調査委員会の姿勢には非常に憤りを感じてなりません」と記した。そして、「地域の医療の中心的存在たるべき大学病院がこのような姿勢・対応しかできないのであれば、大学病院に勤務する者として非常に情けなく、地域の人達にも大変申し訳なく思います。今の大学病院に自浄作用をこれ以上期待することは無駄であると考えざるを得ず、告訴・告発を通じて不正を正していく他ないと決心し、本告訴・告発に至った次第です」とその心境をつづった。

偽証容疑などで教授らを刑事告発した打出喜義医師(右)と敦賀彰一弁護士=2006年4月26日
 告発の当日、打出医師は敦賀彰一弁護士とともに午前9時に金沢地検を訪れ、書類を提出した。その後、2人は東京に向かい、同日午後、厚生労働省の医政局医事課で、医師法違反で井上教授とA医師に対する行政処分を行うよう求める上申書を提出した。あわせて、施行されたばかりの公益通報者保護法の趣旨に沿って、告発を理由に、打出医師に解雇や自宅待機命令、退職の強要などの不利益な扱いをすることがないよう金沢大学病院を指導することを要請した。

 そのような要請をしたのは、打出医師がすでに井上教授からさまざまな嫌がらせを受けていたからである。

 告発の際に金沢地検に提出した陳述書によると、Kさんの遺族が国に損害賠償を求めた訴訟で打出医師の陳述書が原告側から証拠として提出された直後の2000年9月21日午前9時ころ、打出医師は井上教授から教授室に呼び出され、「ここにいるよりも、自分で辞職してどこかへ行った方が良い。裁判までして、噓の情報を流して」と言われ、訴訟への関与を止めないならば辞職せよと強く要求された。翌2001年4月3日には、井上教授の指示を受けた当時の医局長から、打出医師が申請していた土曜日と日曜日の他病院での兼業について教授印はつけない、と言われた。他病院での仕事は一般的に行われていることで、打出医師もそれまでは認められていたが、兼業禁止によって収入面からも辞職せざるを得ない状況に追い込み、訴訟への関与を止めさせようとする井上教授の意図を感じた。辞職の強要はその後も繰り返され、2004年12月22日には忘年会が始まる前に、産婦人科医局員や看護師の前で、井上教授から「なんでこんなところに来ているのか!」などと暴言を吐かれた。

 打出医師が井上教授らを告発した翌日の2006年4月27日付朝日新聞石川版の記事では、「公益通報者保護法ができたので頑張ってみようと思った」という打出医師の言葉と、「内部告発がなければ、偽造がまかり通り裁判は負けていた。悪質な行為にペナルティーがないのは許されない」という敦賀弁護士の言葉が紹介されていた。

 しかし、金沢地検は告発の翌年の2007年2月16日、井上教授とA医師を嫌疑不十分で不起訴処分にしたことを発表した。翌2月17日付朝日新聞石川版の記事はその処分について次のように伝えた。

教授らの不起訴処分を報じた2007年2月17日朝日新聞石川版の記事
 金沢地検の吉池浩嗣次席検事は16日、不起訴処分としたことを明らかにしたうえ、「告発で偽証とされた証言は、前後の文脈などから判断して虚偽とはいえない」と説明。また、裁判で提出された大学側の症例登録票が改ざんされていたとの指摘については「仮に改ざんがあったとしても、書類は医師が私的に作成したもので公文書ではなく、犯罪にはあたらない。改ざんの事実があったとも認められない」との認識を示した。

 この決定に対し、教授は「当然のことを当然のこととして認めていただいたものと思っている」とするコメントを発表。講師も朝日新聞の取材に対し、「患者は重複がんで、卵巣がんの標準的な治療の試験の対象にはできなかったため、登録を取り消した」と経緯を説明。改めて偽証はなかったと疑いを否定し、「今後も日々の診療に全力を尽くしたい」と話した。

 打出医師は「遺族による民事訴訟の判決では事実上改ざんを認定し、大学も十分な説明がないまま症例登録したことを認めて患者たちに謝罪した。地検が偽証を認めないとはおかしな話だ。症例登録票は臨床試験の根幹をなし、裁判に証拠提出された重要な書類。公文書でないと退けるのは疑問に思う」と話した。

 金沢大は「個人同士の訴訟案件であり、コメントは差し控える」としている。

 それ

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