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棒に振りまわされる人生

竹岡 真太郎

棒に振りまわされる人生

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
竹岡 真太郎

竹岡 真太郎(たけおか・しんたろう)
 2003年3月、京都大学法学部卒業。2004年10月、司法修習(57期)を経て、第一東京弁護士会に登録、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。米国Northwestern Universityへの留学、ロンドンのTravers Smith法律事務所での研修を経て、2012年8月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に復帰。2012年12月、ニューヨーク州弁護士登録。2016年1月、同事務所パートナー就任。
 梅雨の合間の晴天のもと、皇居の木々は青々と輝き、彼方には丹沢山系の稜線の上に富士山が望まれる。江戸城跡には今日も大勢の観光客が訪れているが、程近いパドックでは喧騒をよそに馬がのんびりと散歩している。

 大手町にある新しいオフィスに引っ越して早くも1年以上が経過したが、この窓辺からの景色は見飽きることがない。高層ビルに囲まれつつもそこだけ別世界のように佇んでいる皇居の緑の癒しの力はすごい。午後のひと時、仕事の合間にふと目を奪われていると、興を削ぐような「ガガー」っという響きと共に視界が遮られる。西向きのこの景色、夕方が近づくと西日がまともに入ってくるので、ブラインドが自動で降りてくるのだ。「油を売っているなよ」と戒められるかのようにデスクのパソコンの画面に目を戻しつつも、江戸時代に城勤めしていた武士達の中にも、城下の景色に気を取られては上役に襖をピシャリとやられていた不届き者がいただろうかと思い浮かべたりする。(しかし、今回の執筆にあたり確認してみたところ、意外にも江戸城に高層の天守閣が存在したのは江戸初期までであり、明暦の大火で焼失した以降は、天守閣が再建されることはなかったらしい。私は鉄筋コンクリート造・エレベーター完備の大阪城を見て育ったのだが、昔の様子に色々と想像を働かせることができるという意味では、天守閣が復元されておらず天守台だけが残っているというのも風情があるかなと思う。)

 と、リアルに窓辺の話ばかりしていても仕方ないので、窓の内側の法律事務所に話を移そう。我々弁護士は、日々、クライアントから依頼された様々な案件をこなしつつも、事務所の運営等に関する案件外の事項も扱っている。すっかり使い古された言葉だが、サービス業である法律事務所のビジネスにとって不可欠な財産は事務所に所属する人であり、その源泉を形成するためのリクルート活動は非常に重要だ。私は新人弁護士のリクルート担当をしており、様々な場面で学生と言葉を交わす機会が多い。令和の時代、学生は当然に平成生まれであり、昭和生まれのオジサンに話を合わせるのには何かと苦労をかけているのではないかと思いつつ、少々噛み合わなくても一笑に付して、それも含めて楽しませてもらっている。(最近の音楽の話になって、出てきた単語が曲名なのか歌手名なのかが分からないくらいではへこたれない。でも、結構ショックだったのは、ドラマの話題で「ロングバケーションの山口智子が…」というような話をしたら、「はて?誰のこと?」という反応が返ってきた時だった。「2階からスーパーボールを投げて」とか言っても、文字通りポカンという感じだった。)そんな中、どういうきっかけで法律家を目指したかや、日ごろの勉強でどんな苦労があるかといった話などを耳にしていると、否応なく自分がどうだったかが思い起こされる。

 私の母方の祖父は時代劇が大好きで、小さい頃から祖父の家に遊びに行くと、阪神タイガースの試合をサンテレビで最後まで見届ける時以外は、テレビのチャンネルは、だいたい時代劇の番組に合わさっていた。その影響か、私も時代劇が結構好きだった。(そして、否応なく40年来の阪神ファンだ。)中学生になって、大阪の実家から京都の学校まで通うようになり、京阪電車のほぼ端から端までを毎日往復するようになると、片道40~50分くらいの乗車時間には、池波正太郎の本をよく読んでいた(か、または爆睡していた)。時代小説なので、刀での切り合いのシーンがよく出てくるのだが、部活では中高6年間を通して剣道に勤しんでいたので、冷静に振り返ると、かなり侍に傾倒していたのかもしれない。それとともに、人々の抱える問題を小粋に解決するというようなことにも、なんとなく憧れを抱いていた気がする。

 侍学部というのがあれば迷いなくそっちに進んでいたようなものだが、当たり前だがそんな学部はないので、大学では法学部に進んだ。そろそろ太陽を浴びて外で運動したくなり、部活はラクロス部にして、竹刀をクロスに持ち替えた。中高時代よりも大学の方が実家より近かったのだが、親にわがままを言って一人暮らしをさせてもらったので、電車の中で時代小説を読むこともなくなった。(高校と共に侍も卒業したのかもしれない。)そんな一人暮らしの部屋には、貰い物の映画のポスターを飾っていた。「ショーシャンクの空に」という映画で、ご存知の方も多いのではないかと思うが、ポスターは、主人公が漆黒の雷雨の中でガッっと両手を広げて空を見上げている、邦題にも通じる場面を描いたものだった。この映画、英語のタイトルは"The Shawshank Redemption"という。私が飾っていたポスターにも、この英語のタイトルが記載されていたのだが、そのニュアンス、特に"Redemption"というのが長い間しっくりこなかった。"Redemption"の訳語として「贖罪」という日本語が充てられることは辞書を引いて知っていたのだが、「贖罪」というとキリストの磔が思い浮かぶうえ、侍に傾倒していた後遺症か切腹もチラついて、ポスターの絵面と全然結びつかずに「"Redemption"って何やねん。」とモヤモヤしていた。

 転機が訪れるのはかなり後である。4回生まではラクロス漬けだったこともあり、6回生まで大学生をやってしまったが、何とか司法試験を突破して弁護士となった。社会人になると体力的にさすがにラクロスは無理だったが、かろうじて人並みの走力は残っており、司法修習でお世話になった先生の率いる草野球チームに入れてもらい、クロスをバットに持ち替えた。(背番号は史上最強の助っ人、ランディ・バースの44。)野球はもちろん楽しいのだが、その後に連れていってもらう焼肉や、さらにその後の宴の楽しさも、何とも蠱惑的だった。(そして今も蠱惑的だ。)仕事では、キャピタルマーケッツという分野を専門とする運命が待っており、学生時代にはまったく想像してなかったが、様々な種類の有価証券による資金調達の案件に携わるようになる。そこでは社債も取り扱うのだが、キャピタルマーケッツの弁護士は、社債の設計図たる要項の規定を、個々の社債の商品性にぴったり合うように作り上げる作業を行う。初めは日本語の要項からスタートし、年次が上がってくると英文のより詳細で長ったらしい要項も扱うようになるのだが、そうなると"Redemption"という用語にしょっちゅう出くわす。社債の要項に出てくる"Redemption"は「贖罪」ではなく「償還」という意味である。社債はいわば企業の借金であり、償還は借金を返済する仕組みだが、償還のタイミング、償還が実行される条件および償還時に支払う金額等の内容は千差万別であり、社債ごとに様々な種類の償還の規定が置かれる。色々な案件の経験を積むことで、"Redemption"の多様性への理解が深まったのか、確か留学・海外研修から帰ってきて久しぶりに映画を見直した頃からだったと思うが、映画に出てくる様々な登場人物も、それぞれの形でいわば人生における債務の"Redemption"を迎えるのだなというような気がして、その後は"The Shawshank Redemption"というタイトルの妙味を少しは感じ取れているつもりになっている。映画の内容をあまり書くと見ていない人にとってネタバレになるし、弁護士が契約書ならまだしも映画のタイトルの解釈だなんて野暮なので、これ以上は踏み込まないが、私と同じようなモヤモヤをかかえていて、それをすっきりさせたい法学部やロースクールの学生がもしいたら、弁護士になってキャピタルマーケッツの仕事をやってみてもらいたい(笑)。

 現在では事務所のパートナーになってから約3年半が経った。パートナー就任にあわせて、父がゴルフクラブのセットを新調してくれたことを機に、ここ数年はゴルフクラブを持つ機会が増えた。以前は、どうして休みの日に丸1日を潰してまで止まっている球を打ちに行くのかと、野球に比べゴルフはむしろ嫌いだったのだが、今ではゴルフの日はまだ薄暗い早朝でも驚くほどパッチリ目が覚めるようになった。(スコアは3ケタと2ケタを行ったり来たりする日々が続いており、なかなか劇的な改善はみられないけれども。)こうして振り返ってみると、法律家を目指す萌芽が現れた頃から今日まで、剣道の竹刀に始まり、ラクロスのクロス、野球のバット、ゴルフのクラブと、勉強や仕事の傍ら様々な棒を振ってきた。棒を振り回しているのか、それとも自分が棒に振り回されているのか、よく分からない気もするけれど、それも悪くないかなと思う。弁護士と言えばbar、棒との縁は切れないのだから。問題を小粋に解決できる弁護士を目指して、これからも棒で人生を切り開いていきたい。